第6話
「すまないけど、尚子が出産するまでは少し距離を離してくれないか」
「……どういう意味ですか?」
会社が終わってから杉下を呼び出した。静かな夜の道を歩きながら僕は自分の中で用意した言葉を伝えた。
いざ口に出すと自意識過剰も甚だしい発言である事に気付く。考えすぎだ。こちらの意識だけの問題だ。自分の中でうまく処理出来ていれば何の問題もない話だ。だが万に一にも、僕が危惧するような感情を杉下が持って行動しているのだとしたら、その可能性はやはり摘んでおかなければいけない。
「自分が神経質になりすぎている事は認める。でも、僕にとっては大事な問題なんだ。僕が不安に思う事を、あまり家に持ち込みたくないんだ」
杉下は黙って僕を見つめる。
「やっぱり、信じてるんですね」
僕は黙って頷いた。しばらくして、杉下の表情が微かに変わった。
「ばっかみたい」
そう言って杉下は僕に抱きついた。
「お、おい、やめろ!」
僕は慌てて彼女を引き剝がす。やっぱり、この女はどこかおかしい。
「こんなので赤ちゃんが死ぬわけないじゃん」
「そうかもしれない。でもそうじゃないかもしれないだろ」
「関係ない。そんなので赤ちゃんが死んでたら、もっとずっと前から赤ちゃんが死にまくってるはずじゃないですか」
「確かにそうかもしれないが……っていうか、どっちにしてもこんなのは良くない事だろ」
「私が瀬下さんを好きな事が、何で良くない事なんですか!」
今まで見た事のない形相で杉下は激昂した。
「お前、どうしたんだよ。おかしいぞ」
「おかしくなんてないですよ。何も」
また杉下が僕に近づく。僕はゆっくりと後ずさる。
「分かってますよ。尚子さんの事が大事なんだって。それを奪おうなんて、そんな事まで思ってないですよ。それぐらい分かってますよ。でも、先輩がSBを異様に恐れているのを知って、私は先輩が許せなくなったんです」
この女は何を言っているんだ。全く彼女の言っている事が一本に繋がらない。
「許せない? SBが怖いのは当たり前だろ。無事に産まれてきて欲しいんだよ。それの何が悪いんだよ?」
「だから浮気や不倫に繋がるような出来事は避けたいんですよね。それが許せないんですよ。そんな事で赤ちゃんが死ぬわけないんですから」
さっきも杉下は同じような事を言っていた。
「なんでそんな事を、お前が言い切れるんだよ」
杉下の真っすぐに淀んだ目が僕を見つめた。
「私だって信じられなかった。自分の子供が自殺しただなんて、そんな訳ないと思った。でも医者が確かに言った言葉。自殺としか思えないって。問い詰めて問い詰めてやっとのように吐き出すように言われた。嘘だ。嘘だ。信じない。もう訳が分からなくなった。吐き出す場所がもうどこにもなくて、自然とSNSに気付いたら呟いてた。赤ちゃんが私の中で自殺した。でも誰も信じなかった。励ましもあったけど、そんな事あるわけないって、また女のかまってちゃんな嘘だって否定的な言葉がほとんどだった」
ーーちょっと待て。それって……。
「その後から、私と似たような女性が現れ始めた。やがてそれは一気に広まって、私の呟きもまたバズって拡散された。本当なんだって。私の赤ちゃんもそうなんだって。でも、誰が撒き散らしたのか、SBの原因は浮気や不倫に起因するなんて話が広まり始めた。そんな訳、ない。絶対、ない」
彼女が全ての始まりを呟いた最初の女性だったと言うのか。
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