第5話
「あ、瀬下さん」
とたとたとこちらに歩み寄ってくる杉下の姿を見て、不必要にぎくりと身体が少し強張る。何もしていないのにパトカーが近づいてきただけで不安になるような嫌な感覚だった。
「こちらが、奥様ですか?」
休日にショッピングモールで尚子と買い物をしている時だった。家から車で二十分程離れた所にあるよく行く場所だったが、杉下と鉢会ったのは初めてだった。
「初めまして。杉下って言います。瀬下さんにはいつもお世話になっています」
「あ、初めまして。瀬下の妻の尚子です」
「会社の後輩で、僕の部下なんだ」
「そうなんだね」
「仕事だけじゃなくって、悩み聞いてもらったりとか本当に頼りにさせてもらってる先輩なんです」
余計な事を言うなと思った。少し前に腕に絡みつかれた記憶が甦った。
「無理やり私が誘っちゃって、仕事終わりに飲みに連れて行ってもらったりもしちゃって、ごめんなさい。迷惑かけてしまって」
「いえいえ、大丈夫ですよ。職場なんですから、それぐらい構わないです」
朗らかな笑顔で尚子は対応してくれた。
「ごめんなさい、ご一緒の所邪魔しちゃって。じゃ、瀬下さんまた」
「あ、ああ」
杉下は僕に軽く手を振って去って行った。
「可愛らしい子だね」
それは尚子の素直な感想で他意はない、と思う。
「そうかな」
でもどうしてもそこに含みがあるように勝手に思ってしまう。何もやましい事などないのに、何故自分がこんな気持ちにならないといけないのか。杉下にまた何とも言えない苛立ちを覚えた。
ーーわざとじゃないだろうな。
苛立ちは杉下への妙な勘繰りへ発展していた。
杉下は僕の事を慕ってくれていると思う。入社から今に至るまで、パーソナルスペースの近い彼女のコミュニケーションを抜きにしてだ。だがもちろんそれは男女のものではなく、会社の先輩と後輩という関係上での話だ。
“瀬下さんって本当いい人ですよねー奥さんが羨ましい”
第一今日なんで杉下はここにいた。偶然か。確か杉下が住んでいる所はもっと離れた場所だったはずだ。わざわざこのショッピングモールに一人で来たのに、何か理由があったりはしないだろうか。
ーーいや、考えすぎだ。
僕は敏感になりすぎている。少しでも尚子に負担をかけたくないという想いが故だが、少々自分でも空回りしているようにも感じる。
「大丈夫だよ」
そっと尚子が僕の手を握った。
「変な心配しなくても、私は大丈夫だから」
まただ。本当に自分が情けない。
「尚子には適わないな」
「直樹が分かりやす過ぎるんだよ」
ふふっと尚子は笑った。
優しい僕の大好きな笑顔。だからこそ自分の気持ちがより強まった。不安要素は少しでも減らしたい。尚子の心配をしてきたが、僕自身の心配だって必要だ。僕の不安が尚子の不安に繋がるので、それは取り除かなければいけない。
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