第3話
「瀬下さんって本当いい人ですよねー奥さんが羨ましい」
「そんな事言っても奢らないからな」
「違いますよー本当に思っている事言っただけですよー」
正直早く家に帰りたい所だったが、後輩である杉下の仕事を手伝っていたら思っていたより遅い時間になってしまった。それだけならまだしも、どうしても一杯だけ付き合って欲しいと言われ、しょうがなく二人で居酒屋に入った。
確かに彼女は一杯しか頼んでいないが、仕事やプライベートの愚痴等、どうやらかなりガスが溜まっているようだった。
「どうして私いい男と付き合えないんでしょうねー」
今年で三十になる俺の三年後輩になる杉下だが、歳の割には幼いと感じる。仕事は真面目でそこそこなのだが、ちょこちょこ聞くプライベートの話、特に男関連となると仕事の真面目さとは一転して、優柔不断かつ判断力が著しく鈍るようだった。
「プライベートでも仕事のしっかりした部分があればいいんだけどな」
「そっちまで気を張ってたら壊れちゃいますよ」
ぐっと彼女がグラスを傾ける。彼女の仕事モードが切れている事が自分にとっては問題だ。
”ごめん、後輩に捕まった。少し帰るのが遅くなりそう”と、尚子には連絡を入れておいたものの、出来る限り早く帰りたいのが本音だ。
「瀬下さん、子供出来たんですよね。どんな気持ちですか?」
「どんな気持ち、か……」
君とこんな事をしていると悪影響だから早く帰りたい。突然向けられた質問に危うく口から本音が出そうになる。
「嬉しいよ。後は心配と不安、かな。なんだか毎日そわそわする感じ。妻はもっと大変だろうけどね」
「へぇー、そっかー。いいなー」
今のままだとろくな結婚は出来なそうだなと失礼極まりない言葉はもちろん表には出さないが、いいチャンスだ。
「すまない、なるべく早く帰ってやりたいんだ。そろそろいいか?」
「え、冷たいー。まだグラス半分も残ってるんですけど」
おいおいめんどくさいな、これでも分かってくれないのかとさすがに苛立ちが顔に出そうになったが、
「嘘ですよ」
そう言ってぐいっと一気に残りの半分を彼女は喉に流し込んだ。
「っぷは」
「見事な飲みっぷりだ」
「ういっす。お待たせしました」
ほっとした。やっとこれで帰れる。決して杉下の事が嫌いではない。オフになると多少面倒な部分はあるが、仕事上では助かっている事も多い。
「寒い季節になってきましたね」
季節は秋も終わろうとしている。コートだけでは足りない肌寒さになってきていた。
途端、自分の左腕に杉下が絡みついた。それはまるで恋人が寄り添うような形だった。一瞬で血の気が引いた。僕は反射的に彼女を振り払った。
「……何やってるんだ」
心臓が一気に脈打つ。今起きたことに冷静になれない自分がいた。
「え、ちょっとふざけただけじゃないですかー」
確かにそうだ。杉下は男女問わずスキンシップが多い。飲み会の席でこれぐらいの絡みは自分以外の社員達にもしているのは見てきた。彼女からすればいつも通りの行為だったのだろう。だが、今の自分にとってはただ事ではなかった。
「瀬下さん、ひょっとして信じてるんですか?」
信じているのだろう。だからこそ自分はここまでの拒否反応を起こしたのだ。
「不安にさせないでくれ。ちゃんと、産まれてきて欲しいんだ」
「……ごめんなさい」
気まずい空気が流れた。だがこれは大事な問題だった。
SBの原因ははっきりとしていない。だがその中で都市伝説的に流れ、信憑性の高い情報として囁かれているものがある。
浮気、不倫、所謂不貞行為。もしくは何らかの夫婦間で互いを信用できなくなるような裏切り行為があった場合、SBは引き起こされる。
理屈がどこまで通っているのだろうとは思う。確かに母体には悪影響だろう。だがそれが胎児の死にまで直結するとは正直思えない。ただ原因を辿って行った先に、夫婦間の問題がそこにあるという多数の事実のもと、この説が囁かれているようだ。
何が原因になるか分からない。
ただ思うことは、無事に子供が産まれてきてほしい。そして尚子も無事でいて欲しい。ただそれだけだった。
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