第57話 臨界

クイーバーにつけてあったガソリンの入ったペットボトルに矢を突っ込んだ。ガソリンの粘り気で見てわかるほどにドロドロと付いている。


矢を地面に擦り付けて、摩擦熱を発生させる。すると、それによって矢の先端が燃える。これで炎の矢の完成だ。



ホープは触手を後ろに下げて、力を溜めている。真っ向から俺と戦う気のようだ。






――俺は目を瞑って、決意した。


俺はここを出る。その結果は揺るぐものでは無い。ここを出て、桃と一緒に暮らす。今まで助けられなかった人たちの命を背負って生きていく。


これ以上こいつを野放しにすることは出来ない。野放しにしていたら、さらに酷いことになるだろう。だからここで殺す。ここで終わらせる。俺が決着をつけてやるんだ。


「――これで地獄は終わりだ」


俺は目を見開いた。













――心臓の鼓動が少なくなった。


――瞬きの仕方を忘れた。


――呼吸が消滅した。


――体のブレが亡くなった。



体は完全に固定され、動かない。動体視力は死ぬ寸前の時のように遅くなっている。いや、もはや止まっていると言った方が正しい。


俺以外の全ての時間が俺の手によって止められた。さっきまで元気に動き回っていたホープもまったく動いていない。まるで石像にされたみたいだ。


周りの景色が黒く塗りつぶされた。黒いどころじゃない。もはや闇と同じだ。宇宙にいるような気分になる。


あらゆる生命活動が止まり始めた。心臓の鼓動は無くなり、血管を流れる血は段々と緩まり始めた。脳は必要な司令を出す以外、動かなくなった。もはや生きているとも言えないだろう。


体が死体に近づき始める。体温は低くなり、瞳孔も開きっぱなしになった。体はかろうじて指が動かせる程度だ。その他の部位は鉄のように硬くなっている。


あらゆる生命活動を断ち切り、全てを集中力に注ぎ込む。



狙う場所は「脳幹」だ。前回ホープを殺せなかったのはここにあるかもしれない。


確かに前回はホープの頭を吹き飛ばしたが、殺しきれなかった。その理由として思うのが、脳の重要な器官を完全に壊すことができなかったからだと俺は思う。


頭を全部吹き飛ばしたとはいえ、消滅させた訳では無い。脳が粉々に砕けて飛び散ったとしても、そこに脳はある。


こいつの生命力は異常だ。前回は俺が液体窒素で凍らせてバラバラにしても、生き残っていた。


だから今度は凍らせるのではなく、#のだ。燃やしてこの世から消し飛ばす。地球環境には悪くなるが、これでゴミは1つ無くなるだろう――。



指が弦から離れた。同時にホープの触手が俺に向かって飛んでくる。


このまま立っていたら、ホープの触手に当たって死んでしまうだろう。だが、俺はもう限界だ。立つことさえままならない。


体が前に倒れる。生命活動を全て停止させてたんだ。そりゃそうだ。死ぬに決まってるだろう。


コンテナから落ちた。触手は俺をすり抜けて、奥のコンテナへと進んだ。


ここから地面までは約20m。マンションの6回建てに相当する高さだ。普通の状況だったら、俺なら死なないだろう。だが、今は違う。


体はほとんど死んだ状態。それでいてこの高さ。死なない方がおかしい。俺は既におかしいが、それでも無理だ。



徐々に地面が近づいてくる。それが意識が無くなるまでに見た、俺の最後の景色だった。





















――!


――!!


―――や!!


――うや!!


――ふうや!!



「ふうや!!」


目が覚めた。体がまな板に乗せられた鯉みたいに跳ねる。そんな俺を桃が心配そうな目でみつめていた。


「……桃か」

「良かった……また無茶したでしょ!」

「ちょっとだけだよ」

「もう……」


桃が俺に抱きついてきた。暖かい。精神的にも肉体的にも回復した気分だ。疲れた体に元気が宿ってくる。


「……あの、イチャつくのは後にしてよね」


桃の後ろにあのチビがいた。そういえば普通に気が付かなかったな。


「あ、いたの?」

「いたよ!……ホープ・マックイーンを倒したんだね」

「あぁ。お前と戦うことを望んでたらしいが……先に取っちまったな」

「別にいいよ。もうお腹いっぱいだから」


立ち上がる。腰が痛い。体のどこの部位から俺は落ちたんだろうか。全身痛すぎてどこか分からない。まぁ腕も足も動くからいいか。


「ワクチンは?」

「ほい」


チビがポケットから試験管を取り出した。俺が持っていったのと全く同じのやつだ。


「……そういやヒルと彩さんは?」

「ヒル君は――ほらここ」

「ワン!」


ヒルが桃の後ろから出てきた。俺の方に駆け寄ってきて頭を擦り付けてくる。


「ヒル!!生きてたかお前~。よく生きてたな~」


ヒルの頭をワシャワシャと撫でる。会えてよかった。ヒルは相棒なんだからな。失いたくはない。


「……そういえば彩さんは?」

「彩さんは……もう……」


……花音の顔が暗くなってる……死んだか。仕方ない。ここは危ないところだ。それをあの子もわかっていたはずだ。


「とりあえずここから出るぞ。時間はかかるだろうが辛抱しろよ」

「あ!そのことなんだけどね!花音ちゃんとここに来る途中で上まで上がれるエレベーターを見つけたの!だからわざわざ階段を登らなくてもいいんだよ!」

「マジか!?ナイス!!」


これはラッキーだ。何時間もかけて、外に出るのはさすがにめんどくさいからな。そうと決まればこんなところに用はない。さっさと出てしまおう。













ピーン


エレベーターの扉が開く。周りはいつも通り、何も無いただ白い質素な廊下だ。だが、もう見れなくなると思うと幸せな気分になる。


「えーっと……こっち!」


突然、チビが歩き出した。なんでかは理由が分からない。桃もチビの後ろについて行くように歩いていったか、俺もついて行った。


「……ここに来たことがあんのか?」

「ないよ」

「じゃあなんで出口までの道がわかんだよ」

「勘」

「……」

「ワ、ワン?」


ため息をついてしまった。まさか身長だけでなくて、脳も小さいとはな。













案の定、いつまでたっても出口は見えない――と言いたかった。なんか知らないが、最初に来た時の白い螺旋階段のところにまで来た。


「ね?私の勘が当たったでしょ?」

「……チッ」


舌打ちをした。こいつなんか腹立つ。外出たらなんか嫌がらせしてやろ。




螺旋階段を駆け足で上がる。かなり長いので足が痛い。ここの職員にだけはなりたくない。俺はそう思った。


「ハァハァ……なかなかに高いね……ハァハァ」


桃がかなり息切れしている。可愛いが心配だ。桃をおんぶして階段を上がりたいが、桃が拒否してきそうだしな。


「大丈夫か桃?おんぶしてやろうか?」

「だい……大丈夫……」


桃がクラクラしている。本当に大丈夫なのかな。……いや、考えたのなら実行に移すべきだろう。



桃の太ももと腰あたりに手を添えて持ち上げた。さすがに結構きつい。本来の力が全く出てこない。


「ちょっ――ちょちょちょっと!!」

「疲れてんだろ。今は俺に頼れ」

「……うん」


桃が俺の首に腕を回す。俺を抱きしめるような形になった。……冷静に考えるとなかなか恥ずかしいな。


「……目の前でイチャつくなー」

「彼氏にお願いしな。彼氏がいるかは分からないけど、な☆それかヒルでも抱っこしてみるか?」

「ワン!」

「あーー。腹立つ。外出たら真っ先に殴ってやる……」

「やってみな。お前にはやられる気はしないからな」


チビが顔を膨らませる。フグみたいだ。……こう見てみると顔自体は悪くないな。桃と同じくらいには可愛い。まぁ性格点を加算したら、桃の圧勝だけどね。













「――ぁああ!!」


最後の1段を登りきった。もう足がクタクタだ。筋肉が破裂しそう。


「も、もう大丈夫だからおろしていいよ」

「うん、お言葉に甘えさせてもらう」


桃を地面におろした。腕も疲れたし足も疲れた。もう足が何かに掴まれてるかのように重い。


「あとは出るだけか。……長かったような短かったような……」

「私はすっごく長く感じたけどね」


俺たちを拒むものは何も無いはずだ。これで全てが終わるんだ。そう思うと少しだけ涙が出てきた。


「……そういえば、ワクチンは軍に渡す予定だったんだけど軍ってどこにあんだろう」

「あ、それは大丈夫。私が無線で呼んでたから……もう来てるか、すぐ来ると思うよ」

「用意がいいな。チビのくせに」

「最後の言葉は余計だよ」


これで思い残すことはなくなったな。別にあったとしても戻る気はないが。


足を一歩踏み出す。力強く踏み出す。もうすぐ全てが終わるんだ。最後の力を振り絞れ――。






















「――お勤めご苦労様」


顎に強烈な衝撃が入った。体が宙を舞い、臓物が無重力になる。


腰から階段の上に落ちた。痛い。視界が朦朧としている。桃は。チビは。どうなったんだ?


「――がハッッ!!!」


どこかで嘔吐している声が聞こえる。桃の声じゃない。チビの声だ。桃には手を出させないぞ……。


フラフラとしながら立ち上がる。両頬を手で叩いて視界を整えた。


階段の上には、あのデカい女がいた。俺の腹を拳で貫いたあの化け物女だ。女の手にはワクチンが握りしめられている。まだいたのかあの女め。


桃は階段の手すりに掴まってブルブルと震えている。とにかく怪我はなかったようでよかった。


「あら……久しぶりね」

「そうだな。随分と見なかったから死んでたと思ったよ。水泳は楽しかったか?」

「相変わらずうるさい口ね。そんなボロボロの体のどこに軽口を叩く余力が残ってるのかしら」

「お前よりは強いからな。お前じゃ想像もできないほど上にいんだよ俺は」

「ふん、今すぐにあなたを殺してやりたいけど……どうやらの方があなたのことを殺したいらしいしね」

「は?どういう――」




少しおかしいことに気がついた。。ふと、自分の足を見てみた。


そこには赤い触手が俺の足に絡みついている景色があったのだ。階段の手すりの間から、ニョロニョロと俺のところにまで伸びてきている。


この触手は見たことがある。つい最近に見たことがある……。


「おいチビ……」

「ハァハァ……え?何――」

「桃を頼んだぞ」


触手の力が一気に強くなる。俺は立てなくなり、地面に腰から転けた。


「楓夜!!」


桃が叫んだ。俺は桃に目を合わせて、


「大丈夫」


と一言だけ言った。


その瞬間、俺は触手によって手すりを壊しながら下へと引きずり込まれていった。













続く

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