第48話 物語の根源
研究室に入る。中はさっきと変わらず質素な空間だった。近くにフラスコや緑色の液体を入れたビーカーが置いてあり、薬の独特で嫌な匂いが辺りを立ち込めている。
「……すごいねここ」
「俺には何も分からないからな」
「あんまり期待はしないでね」
桃はそう言うと、近くにあった紙に目を通し始めた。俺は何も出来ないので辺りをプラプラと回ることにした。
「……これは……いやでも……確かにこれなら納得できる……」
桃がブツブツと何か呟いている。歩き回るのも飽きたので桃の顔をぼーっと覗き込んでいた。だけど桃はそんな俺の事が見えないかのように集中していたのだ。
「何かあったの?」
「……わかったよ。この世界をむちゃくちゃにした物が」
「物?変な言い方だな。その物ってなんだ?」
「……プリオン。正確にはプリオンを生物兵器として改良したものだよ」
プリオン?なんだそれ。聞いたことも無い名だな。
「……何か分かってないような顔だね」
「正解だよ。何そのプリオンってやつは?」
「プリオンっていうのはタンパク質のひとつで人間の体の中にもある物だよ。プリオンには正常プリオンと異常プリオンの2つがあってね、異常プリオンを経口摂取してしまうと脳の正常プリオンを異常プリオンに変えてってしまうの。この状態のことを最近よく聞くクールー病って言うの」
「……」
「ゾンビはただ病気に感染してるだけの普通の人間。だから灰にならなかったんだよ。化け物がなんで灰になるかは分からないけど……」
脳がオーバーヒートしそうだ。何を言ってるのかよく分からない。とりあえずやばいものっていうのは分かった。
「プリオンはだいたい人肉を食べると、感染してしまうんだけどね。この改良プリオンは空気感染もできるみたい」
「へ、へ~」
「基本クールー病の潜伏期間は5~20年なんだけどここら辺もすっごい改良されている。……感染してから発症まで1時間しかない」
「それはすごいな~」
「……本当に分かってる?」
「分かってるよ!……分かってる。うんうんそうだねプリオンだよね。海洋生物で習ったよ」
「……ならいいけど。それでね、プリオンっていうのは同種間が最も感染しやすいの。だから人間以外の動物はいつも通り普通に暮らしてるの」
あー。……多分理解した。とにかくヤバいってことだな。
「ん~。……クールー病はね病気の中でも2つしかない致死率100%の病気なの。そのクールー病の致死率を10%未満にまで抑えてる……これってすごいことだよ」
「……やばいな。10%未満って風邪とあんまり変わんねぇだろ」
「そうっちゃあそうだね。でも空気感染するんならなんで私たちは感染してないんだろ……」
「耐性があったとか?」
「いや、プリオンはあくまでタンパク質だからね。ウイルスとかと違って白血球が働かないの。ワクチンも作れない。だから致死率100%だったんだよ」
プリオンって難しいんだな。そういえばタキオン株式会社はクールー病の致死率を減らす薬を作ったとか何とか言ってたな。裏でこんなことしてたのか。
桃が紙のページをめくる。……かなり集中しているようだ。
「……なるほど……だとすると……」
桃が早歩きで、試験管が並んでいるところに移動した。紫色のドロドロとした液体が試験管の中に鎮座している。
「……どしたの?」
「……私たち、世界救っちゃうかも!!」
桃が突然声を上げた。俺は弓で弾かれたかのようにビックリした。
「なになに?」
「これだよ!ゾンビ化した人を治すことが出来るワクチンは!」
「さっきワクチン作れないって言ったじゃん」
「ワクチン……というよりかは薬だね。プリオンは水酸化ナトリウムに弱いの。これを増幅させてばら撒くことができれば――」
「――全員救えるってことか?」
「正解だよ。……この地獄から抜け出すことが出来る……」
桃の目から涙がポトリと流れた。壁についた水滴が下に落ちるかのように涙が流れている。
俺も泣きたい。こんな地獄から抜け出せることがとても嬉しい。ただ桃がいる前だからな。泣くとダサいと思われるかも。
「……とにかく。ここから出よう。軍が機能しているかは分からないけど、これを軍に渡せば色々やってくれるはずだ」
「うん……うん」
希望が出てきた。こんな地獄をもう見なくて済むんだ。そうと分かればさっさとここから出よう。
俺は研究室の扉をあけた。
「……あ」
橋は壊されてる。クレーンも壊されてる。通路は間にでかい柱があるから進めない。これの示すところはつまり……。
「やっべ。詰んだ」
終わった。せっかく希望を出せたのに終わった。
「……桃」
「……何?」
「……死ぬ時は……一緒だよ」
「はは……当たり前でしょ……」
地面に腰を下ろした。桃も隣に座った。せっかく原因もわかったのにそれを教えるすべもない。
これが俺の終着点か。ようやくここまで来たっていうのにここで終わりか。
……ただ今回は悪い気はしない。横には桃がいる。少なくとも一人で死ぬことはない。桃がいてくれたら俺はいい。
疲れたからか少し眠くなってきた。頭が人形のように上下に揺れる。もう疲れた。もう……ゆっくり休もう。
「……」
体から力が抜けていく。瞼が重い。俺はゆっくりと意識を闇に投げ捨てていった――。
「……」
「……」
「……あれ?」
「……」
「……楓夜、楓夜」
肩を揺らされて意識が少し戻った。何事かと思い、桃を見てみる。
「何?」
「あれ……」
桃が指を指した。指を指した方向には通路をデカデカと塞ぐ大きな柱があった。
「柱がどうしたの?」
「柱の下の所……根本付近」
根本付近を見てみる。……何かある。扉のようなものがある。
「なんだあれ……」
「わかんない。とりあえず行ってみよ」
体に鞭を入れて立ち上がる。もしかしたら生き残れるかもしれない。別に桃と一緒に死ねるのなら本望だが。
階段をおり、通路を渡って柱についた。さっきまでは焦っていたので特に見てなかったから気が付かなかったが、この通路側の柱にエレベーターがあったのだ。完全に気が付かなかった。
「……良かった……生き残れるんだね」
「世界を救った英雄にもなれる」
「……帰ろう」
「……そうだな」
俺はエレベーターの扉をあけた。
続く
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