闇をこねるおじさん
イネ
第1話
例えばまだ小さな子供が、(とは言っても一人で眠らなきゃいけないくらいには大きいのですけど)夜中にふと目が覚めて、どうしようもなく闇に囚われてしまうことがあるでしょう。
落ち着いて、枕元の読書灯に手を伸ばせばそれで済む話しですけど、いちど恐怖を感じてしまうと人はなかなかそこから抜け出せません。かえって暗い布団の中にもぐってしまうことさえあるのです。
子供はびゃあっと泣き出しました。
「こわい、こわい、まっくら闇! 丸飲みされてしまいそう!」
そんな時に登場するのが、なんでもこねるのが得意なおじさんです。
誰それ、あやしいーー。
まあ、そうですね。おじさんですから。
けれどもおじさん以外に、いったい誰がみんなのピンチに駆けつけてくれるでしょう。
クローゼットの中で迷子になった時、朝食の魚ににらまれた時、歯みがき粉で奥歯が感電した時も、一度だって、お父さんやお母さんが助けてくれたことはありますか?
仲間はずれにされた時、濡れぎぬを着せられた時、ヒキョウモノ呼ばわりされた時、傷ついて悪に屈してしまった時、勇気を出してもういちど正しいと思うことをした時、正しいことをして損をした時、両親は、がっかりしたような目で、あなたを見たのではありませんか?
この世には、こねなくてはいけない闇があるのです。
「おじさん!」
子供はようやく布団から顔をのぞかせました。
「おじさん、おそろしい闇だよ。はやくこねておくれよ」
おじさんは、しっかりと子供と向き合ってから、闇の中をじぃっとのぞきこみました。
真っ暗がりのずっとずっと底のほうで、子供の両親が食卓を囲み、ぼんやりとテレビをながめているのが見えます。
「深いな」
おじさんがそうつぶやくと、子供はひどく青ざめた顔でヒステリックに叫びました。
「おじさん、はやくこねて! 闇をこねて!」
こういう時こそ、人は冷静にならなくてはいけませんよ。
おじさんはゆっくりと背中のリュックサックを下ろすと、大きなスコップを取り出して、まっくら闇をぐ~るぐ~ると引っかき始めました。闇はまるで生き物のように伸びたり縮んだりして、いったい、おとなしくなるのか暴れだすのか、まるで見当がつきません。
おじさんはいよいよ腕まくりをして、毛むくじゃらの両手を大きく振りまわすと、
「そいやっ」
と闇をつかまえました。
「ぼうず、おまえもこねてみるかい」
子供だっていつまでも泣いてはおられません。覚悟を決めて、おじさんと同じように腕まくりをすると、闇にむずっとしがみつきました。
「ようし、こねるぞ! ぼうず、おまえはどのようにこねるのだ!」
おじさんが怒鳴るので、子供もつられて怒鳴りました。
「パン生地のように!」
すると闇は食パンのようにぼわっとふくれあがって、ふたりを飲み込みそうになりました。
「うひゃあ!」
物事を解決しようとした時に、一瞬、問題が大きくなってしまったように見えることはよくあります。けれどもあきらめてはいけません。見て見ぬふりはもう出来ないのですから。
「さあ、こねるぞ! もっとこねるぞ! ぼうず、どのようにこねるのだ!」
おじさんは大きな手でぐっちゃぐっちゃと闇をこねました。子供も負けていません。
「ハンバーグのように!」
そう叫びながら闇をビターン、ビターンと殴りつけます。両親なんて闇の底ですっかり挽き肉になってしまって、もういるのかいないのかさっぱりわかりませんでした。
「さあ、こねろ! どんどんこねろ! 腹がへるまでこねるんだ!」
ふたりは無我夢中で闇をこねました。
こねて、こねて、こねて、こねて、けれどもまあ、実際15分くらいでよろしいでしょう。
やがて闇は小さく丸まって、最後はおじさんの弁当箱にポイと収まりました。その弁当箱が、いかにも大工さんや道路工事の人が持っているものに似ていましたので、子供は、おじさんはきっと普段はセメントやなんかをこねているに違いないと思いました。
「おじさん、今日はどこの現場へ行くの。どこへ行きゃ、また会えるの」
けれどももう、おじさんの姿はありませんでした。
そんなふうに、気が付くと夜は明けるものですし、時は過ぎます。子供だって、ついさっきおかしな夢を見たと思ったら、もうあっという間に子供ではなくなるのですよ。
「そうだ、ハンバーグだ」
子供はベッドから飛び起きました。
ゆうべのハンバーグの残りで、今朝はお母さんがハンバーグサンドイッチを作ってくれる約束です。
「ただし、ぼくがいい子にしていれば」
子供は注意深くそうつぶやいて、(それからため息もついたかも知れません)お行儀よく部屋を出ていきました。
【闇をこねるおじさん・完】
闇をこねるおじさん イネ @ine-bymyself
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