ふたりの女 -愛されたモーツァルト-

珠子

ユリの花:序

 ずっと、上を向けずにいた。陽の光が届かない地底みたいな場所にいて、ひんやりした土にやわらかく包まれているような、そんな毎日。土がわたしの体温でぬくもることはなく、わたしはずっと、一緒にいるのに、突き放されたまま。ああ、いや、違う。おそらくわたし自身に、あたたかな血など流れていないのだ。だとしたら

 死とはどんなものだろう。いつも考えている。死んだことのある人と触れ合うことができれば、それがわかるのに。わたしの周りにいるのは「死んではダメだ」と、つまらぬことを言う人ばかり。死は絶望。死は悲惨。死は残酷。あぁ、そうかもしれないな。生きる人間にとって、死は絶対的な恐怖だろう。では、死した人間にとっては? 死は救い。死は安らぎ。死こそ愛なのだとしたら。

 誰にもいずれ必ず訪れるそれが、強く眩く光る時。それは命の命ずるままに生きた生物のほとばしる血肉をまさしく象徴するだろう。


 モーツァルト。ねえ、ヴォルフガング。貴方のピンク色のその指が、やさしくわたしを揺り動かして目を覚ます。貴方のあたたかな体温が、わたしに流れるこの血のあたたかさを教えてくれた。ああ、ああ、果てなく自由に舞ってみたい。生きることはこの上もなく美しい。朝も、昼も、夜も、流れる風に身を任せ、流れる水に耳を傾ける。そうすれば、ほら、世界はこんなにも命で溢れ、煌めき喜んでいる。

 貴方とわたしの出来事を、こうしてしるしてみても良いかしら。無邪気で、可愛くて、やさしい貴方。貴方の指が瞳が唇が、わたしに与え遺したことはなんなのか。わたしも一度、知ってみたいの。大丈夫。もう焦ったりはしないから。

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