第2話
「あれ? 千代子、今日は一人かい?」
「旦那は一緒じゃないの?」
練習開始前の、にぎやかな雰囲気の
千代子を出迎えるサークル仲間の声には、からかうような言葉も混じっており、彼女は辟易の表情を見せた。
「いつも言ってるでしょ、『旦那』じゃない、って」
彼らが『旦那』と称しているのは、玲斗のことだ。
学年あたり何千人という規模の大学の中で、千代子の学部は、一学年が百人足らず。同学年でサークルも同じなのは、彼だけだった。
そのせいか、授業が終わってサークルへ直行する時は、いつも二人で一緒に来る形だ。それが今日は千代子一人だから、何かあったのかと思う者もいるのだろう。一応は心配してくれているのだ、と考えて、千代子は軽く説明する。
「玲斗だったら、先生つかまえて話し込んでるわ。今日は遅れて来るでしょうね」
「一年の五限目って、確か『遺伝子工学』だったよね?」
「はい、そうです。藤田教授の授業です」
ピアノ椅子に座っていた先輩に声をかけられて、千代子は丁寧に返した。サークルでは貴重な、同じ学部の先輩だ。
「あの先生、何言ってるかわからないもんね。講義マイク使っても、まだ声が小さくて……。でも、わざわざ『わかりません』って質問に行くのは、ちょっと珍しいね」
「いえ、違うんです。玲斗は将来、藤田教授の研究室に進みたいらしくて……。それで藤田教授の授業には、人一倍、熱心なんですよ」
「あら、そうなの? それも珍しい話ね。まだ一年目なのに、もう研究室配属のこと考えてるなんて……」
学部の先輩と真面目な会話をしていたのに、別の学部の友人たちが、茶々を入れてくる。
「さすが千代子、旦那のことには詳しいのねえ」
「二人はいつも一緒だからな! 一つ屋根の下に住んでるんだろ?」
冗談なのはわかっているが、知らない者が聞いたら誤解するかもしれない。だから千代子は、きっぱりと首を横に振った。
「そんな言い方はやめて。ただ同じマンションってだけで、部屋の階だって違うんだから!」
千代子が住んでいるのは、大学から歩いて十数分の距離にある、学生向けマンション。その三階にある一室だ。
場所が場所だけに、同じ大学の者たちも多いのではないだろうか。同じ大学というだけならば完全に他人であり、しょせん学生向けマンションだから、近所付き合いも一切ないのだが……。
大学の授業が始まって数日後、千代子は気づいてしまう。彼女が毎朝、自転車で追い抜く学生の中に、教室で何度も見かける顔があることを。
それが玲斗だった。
最初は同じマンションとは思わず、ただ近所に住んでいるだけだと思って声をかけた。
「おはよう。同じ学部だよね?」
話してみると、玲斗の部屋は、同じマンションの二階。千代子の部屋の真下ではないものの、その隣だった。
それだけでも驚いたが、さらに翌日。
「えっ?」
合唱サークルに入った千代子は、そこでも玲斗の顔を見つけて、いっそうの驚愕に見舞われる。
こうして千代子と玲斗は、マンションから大学へ通うのも、学部の校舎からサークルの
いつしか「二人は付き合ってるの?」と、からかわれる状態になっていた。
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