溝と塀

ハクセキレイ

第1話

俺の仕事は溝を掘ることだ。

溝の深さは3メートル。幅も3メートル。あっちの海からそっちの海まで、国を横断する一大事業だ。事業は40年以上続いているが、終わりは見えない。壮大な話だろ?

まずは重機で地面を掘る。ある程度の深さになったら、俺たちの出番だ。

スコップを使って土を掻き出す。土は粘土質で重い。腰や肩、首をいわす奴も多い。そういう奴は配給係や洗濯係に変わる。楽だが給料が安い仕事だ。

溝を掘るのは向こう側の連中がこっちに来ないようにするためだ。

俺たちが掘った土はダンプで運ばれ、向こう側に捨てられる。向こう側の連中はそれをありがたがっている。塀を作る材料にするらしい。

向こう側にいるのは可哀想な連中だ。緑の作業着を着て、得体の知れない緑の食いもんを食べ、一生懸命塀を作ってる。

塀を立てるのは、向こう側の人間がこちら側に逃げないようにするためだ。馬鹿な話だろ。こっちがきちんと溝を掘ってるのに、奴らは更に自分で自分の首を絞めるような真似をしてるんだ。

今日は小雨が降っている。作業は遅々として進まない。粘土質の土は雨を吸ってずしりと重い。溝の中は暗く、湿って、寒い。早く暖かな赤いきつねを食べたくてたまらない。出汁を吸って膨らんだ油あげにかぶりつきたい。周りの仲間からも愚痴っぽい言葉が上がっている。

「この中でダンプを運転できる人いますか?運転手が足りなくて」

溝の上から声がする。現場管理者の役人だ。

俺はスコップを放り出して両手を上げる。飛び跳ねてまでみせる。ダンプの運転はみんなの憧れだ。痛む肩や腰を抱えながら、雨に打たれて泥にまみれるより、運転席でのんびりする方がいいに決まってる。給料もいい。求人が出ると凄い倍率になる。俺もダンプの運転手に応募したが、落選した。だから仕方なく溝掘りをしてる。

「よかった。じゃあ、あなた、ちょっと上がってきてください」

逆光でよく見えないが、あいつはおれの救世主だ。

地上に上がると、不思議と雨も心地よい。役人に免許を見せて、車まで案内される。

「急に運転手が辞めてしまって…。最近多いんです。今月で三人ですよ?もうシフトも限界で。困るんですよ。みんな連絡も無く姿を消すもんだから。もしよければこれからも運転手として働いてもらえませんかね?」

素敵な提案だ。俺は彼と握手する。おまけにキスもしてやりたいぐらいだ。

ダンプは比較的綺麗で、乗りやすかった。運転席の座り心地もいい。荷台にはすでに土が満載されている。

「向こう側に行ったら、あちらの指示に従って下さい」

役人はそう言って歩き去って行く。

エンジンをかけて、発車する。久しぶりの運転だが、問題はない。クラッチやシフトチェンジは身体が覚えている。

溝に沿って車を走らせる。少し進むと、鉄の橋がかかっている。ゆっくり橋を渡る。向こう側は柵が閉めてある。俺が近づくと、緑の作業着を着た連中が柵を開ける。連中が先に進めと指示を出す。周りを見回しながらゆっくり車を進める。初めて来たが、こっち側の景色も向こう側と大して変わらない。特に面白いものもない。

しばらく車を走らせるが、いつの間にか先導していた緑の作業着の男たちが姿を消している。おいおい、どこで積荷を下ろせばいいんだ?

すぐそこで泥だらけの作業着を着た男が何か作業している。

「なぁ、あんた……」

運転席の窓から声をかけるが、聞こえないらしい。クラクションを短く鳴らす。……ダメだ、男は動かない。仕方がねぇな。サイドブレーキをかけ、シートベルトを外す。

本来こっち側に降りるには許可がいる。だが、積荷のおろし場所を聞くだけだ。別に構わないだろう。

「ちょっと!そこの人!」

背後から声がする。まずい、見つかった。

「ちょっとこっち来てこっち!」

突然腕を引かれる。女だ。黙ってどんどん進んでいく。簡易の雨ガッパの下にスーツを着ている。現場監督の役人だろうか。

連れて行かれたのは塀作りの現場だった。緑の作業着を泥まみれにした男たちがレンガを積んでいる。奴らが積むのは一段目だ。

「ここ、手伝って!」

「いや、俺は……」

「いいから!今、人手が足りないの!また急に一人辞めてしまって!一段目は初めて?そこの人!補充要員よ!やり方教えてあげて!」

なんで俺が?俺はあっち側の人間なのに。なんで誰も気づかない?

「俺は……」

いや。待て。これはラッキーなんじゃないか?こちら側に降りたことがバレたらどうなる?運転手はクビ?

このままうまくやり過ごしてダンプに戻れば、お咎めなしで済ませられないか?

「……初めてなんだ。よろしく頼む」

「よし、じゃあこっちへ」

男は丸と名乗った。丸は要領よく作業を説明する。

「いいか、足元の糸には気をつけろ。それが水平をとってる。変に触って歪んじまったら全部積み直しだからな。そこの溝から鉄骨が出てるだろ?あれに沿ってレンガを積むんだ。一段目は重要だぞ。ここが歪むと全部ダメになる。コンクリートは塗りすぎるな。しばらくは俺が見てやるから、とりあえず一度やってみろ」

言われた通りにマネをする。意外と難しい。

こいつら、思ったより凄いのかも知れない。

「向こう側の連中は何考えてんだろうな?あんな溝を掘って。虚しくならないのかね」

丸はあちら側を見ている。

「こっちからあっちに人が行かないためだろ?」

「なんだって?こっちからあっちに?あっちからこっちだろ?」

「いや、こっちから……なんでもない。言い間違えた」

どうやら、こちら側にはこちら側の言い分があるらしい。余計なことは言わない方が賢明だ。

あちら側では泥だらけの男たちが溝の淵に立って、何か点検をしている。

あぁ、そうか!泥だ!俺の作業着は全身泥まみれで真茶色だ。これで見間違えられたんだ。そういうことか!

こっち側の人間に間違えられた理由はわかった。だが、問題はどうやってここを抜け出すか、だ。

この際、ダンプは放っておく。もちろん、後で処罰の対象になるのだろうが、緑の連中に囲まれて過ごすよりマシだ。俺が向こう側の人間だとバレたら何をされるか、分かったもんじゃない。

逃げ出す糸口を探しながら、作業を進める。塀を立てるのは溝を掘るよりずっと楽だが、ずっと難しい。気を抜くと丸に叱られる。やれ、コンクリートの塗りすぎだの、レンガが斜めになってるだの、細かく注意される。一時間でもううんざりだ。やっぱりさっさと向こうへ帰らないと。

十二時のチャイムが鳴る。配給の時間だ。やっと一息つける。作業場のすぐ横にあるプレハブ小屋に通される。緊張し続けて頭が痛い。

「ほれ、取ってきてやったぞ」

丸がカップ麺を差し出す。緑のパッケージ。そうだ、こっちは赤いきつねじゃないんだ。目の前が暗くなる。こんな得体の知れないものを食えってのか?

「早く食わないと麺が伸びるぞ」

蓋には緑のたぬきと書いてある。赤いきつねと緑のたぬき。洒落が効いてる。

恐る恐る蓋を剥ぐ。出汁のいい匂いが立ち上り、思わず腹が鳴る。出汁の上には油あげではなく、何か不思議な丸いものが載っている。これはかき揚げか?海老と枝豆が入っている。箸で突いて小さなカケラを口に運ぶ。衣の部分は出汁を吸って柔らかい。揚げたエビの香りが口に広がる。かき揚げの下はそばだ。うどんじゃない。思い切って啜ってみる。

美味い。なんだ、美味いじゃないか。これなら赤いきつねにも負けてない。

「お前、美味そうに食うなぁ」

丸が笑っている。

「美味いよな、緑のたぬき。……そう考えると向こうの連中は可哀想だよな」

「可哀想?」

「可哀想だろ?あいつら緑のたぬき食えないんだぞ。あの変な赤いやつしか食えない。俺なら耐えられないね」

「赤いきつねは美味いぞ!こんな緑の変なのより断然美味い!」

頭に血が上り、思わず大声が出てしまった。

「お前……」

丸がこちらを見ている。いや、休憩室にいるやつら全員がこっちを見ている。これはまずい。

手に持った空の容器と箸を丸に投げつけ、出口に向かって走る。みんな呆気に取られている。

プレハブを出て、作業場を越える。向こうは3メートルの溝だ。だが、俺は知ってる。溝の底は柔らかい粘土質の土だ。思い切って飛び降りる。べちゃっと、地面が身体を受け止めてくれる。よし、大丈夫だ。立ち止まるな。走れ。

しばらく走ってから、後ろを振り返る。誰も追って来ていない。気が抜けて膝が笑う。一安心だ。

一息ついてから歩いて仲間のところにたどり着いた。結局、俺はお咎めなしだった。ダンプは知らぬ間に元の場所に戻されていたらしい。俺が向こうで車を降りた事は誰も知らなかった。

全て元通り、とはいかなかった。それから赤いきつねが美味く感じられなくなった。時々、無性に緑のたぬきが食べたくなる時がある。そんな時、この溝と塀が憎くて仕方がなくなる。

なんでこんなものを建てないといけないのか。

ぶっ壊しちまえばいいんだ、こんなもの。

昼飯の赤いきつねにお湯を注ぎながら、そんな事を考えていると、あたりにサイレンが鳴り響いた。さっき昼休憩のチャイムが鳴ったばかりだ。作業再開には早すぎる。

次の瞬間、溝の向こう側から雄叫びを上げて緑の作業着を着た連中が飛び出して来た。

「赤いきつねを食わせろ!」

「塀をぶっ壊せ!」

奴らは作りかけの塀を壊し、溝へと飛び降りて行く。

遠くの方からも叫び声がする。

「緑のたぬきをよこせ!」

溝に梯子をかけて向こう側へ渡る奴が見える。

地響きのような轟音がしたとかと思うと、ダンプが溝に土を戻している。よく見ると運転しているのは行方不明になった前の運転手だ。

ふと顔をあげると、向こう側に丸がいた。その顔は困惑している。

「おい!丸!」

丸が俺に気づく。

「なぁ、緑のたぬきあるか?」

丸はぼんやり頷く。

「こっち来いよ!赤いきつねと交換しよう」

丸は溝を見下ろしてためらっている。

「早くしろよ。もうお湯を入れちまったから五分しか待てないんだ。麺が伸びちまうぞ!」

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溝と塀 ハクセキレイ @MalbaLinnaeus

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