デンドロビュームの花言葉
あれが欲しい。これも欲しいな。
あ、やっぱりどっちもいらないかも。
ねえ、ちょっとコンビニでアイス買ってきて。え? 私の言うことが聞けないの?
あんたに拒否権を与えた覚えはないけど?
一つ年上のお隣に住む彼女は僕にだけ優しくありません。
彼女が僕に対して優しくないと思い始めたのは彼女の彼氏に対する態度を見たときだった気がする。そのときの衝撃は今でも忘れられない。
彼女の彼氏を前にした態度を見たその日は、頼まれていた買い物を彼女の家に届ける途中だった。
シャーペンと消しゴムと期間限定のチョコレートが入ったスーパーの袋を片手に、彼女のわがままをどうやって断るかを今日も今日とて考えながら歩いていた。そんな時、聞き覚えのある声が普段とはまったく違う声音で聞こえてきたのだ。
「本当にごめんね? 別に買い物、付き合ってくれなくてもよかったんだよ?」
甘ったるく話しかけている彼女の声に一瞬、他人かとまで思った。彼女があんな声音で話しているのを一度も聞いたことがなかったから仕方ない。
「嫌、気にするな。俺がお前と一緒にいたかったからな」
その後に聞こえてきた声に今度こそ思考停止しそうになった。彼女と話しているのは彼女の隣の隣にある家の、そして僕のお隣さんである人の声だったからだ。
その時はそれ以上、聞ける状態じゃなかったから自分の家に逃げたけど彼女の態度に疑問を持ち始めた始まりでもあった。
次の日、メールで彼女に呼び出されたときには彼女が確実に怒るとわかっていても断りたいと思ってしまった。結局断ることはできなかったのだけど。そもそも昨日のお使いの物も、届かなかったから自分で買ったと怒っていたし。
今日はチョコレートか、アイスか、ジュースか、キーホルダーか、メモ帳か、ボールペンか。結局、お使いと言うパシリに遭うのはわかっていながら、それでも彼女の呼び出しを断れないのは何故だろうか。
そんなことを考えながら彼女の家までの距離を歩く。彼女の家までの距離は長くはないのに、それでもいつもよりもゆっくりと歩いてしまうのは、もうどうしようもないことだろう。
彼女の家の前に着くと僕は少しためらってからチャイムを押した。チャイムを押してから何秒としないうちに玄関が開いて彼女が現れる。「遅いのよ、馬鹿」と言うおまけつきで。
「ごめんね? ちょっと、いろいろしてたから」
誤魔化す様に彼女にそう言うと彼女はため息をついてから、エコバックを僕に向かって投げた。
「あのさ、私、今から出かけるんだ。だから私の代わりに買い物よろしく」
彼女の「今から出かけるんだ」は何回も聞いたことがあるけど、一度だって彼女からどこに行くかを聞いたことはないな、と思いながら僕は投げられて地面に落ちたエコバックを拾い上げる。
「……あ、これが買ってくるものだから。三十分で買ってきてね。お金は後で払うから」
彼女はズボンの左ポケットから小さな紙を取り出し、僕の手に握らせる。傷ひとつない手はやっぱり綺麗だと思いながらその行為を黙って見届ける。彼女は僕の手にその紙を握らせるとどこか満足そうに笑った。「じゃあ、よろしく」といつもの言葉を彼女が言おうとしたとき
「歌意ちゃん、ごめんね。ついでに味醂も買ってきてくれないかしら」
奥のほうから少し大きめな声が聞こえてきた。多分、彼女の母親だろうと思いながら彼女がなんと答えるのかを待つ。彼女の答え方しだいで僕のお使いの荷物が増えるからね。
「はーい。母さん、味醂だけでいいの? ほかにたりない物とかない?」
彼女は僕と話すときとは違う声音で返答をする。その声音は彼氏と話していたときと同じ気がした。ああ、やっぱり彼女は
「猫かぶり」
つい思ったことを言ってしまう。彼女は別段怒ることはせず、僕の言った言葉にどうしてか楽しそうに笑う。その笑みのまま、彼女はこう言い切った。
「こんな態度なのはあんたにだけだから、喜びなよ」
喜ぶべきなのか、悲しむべきなのかわからなくなってその言葉に何も言い返せなくなっていると彼女は僕の肩を押して「早く買い物に行け」とまた笑顔で言った。
「はいはい。わかってるよ」
僕がそう答えるのが当たり前だというように彼女は満足そうに頷くのだった。
僕は一生、彼女にはかなわないんだろうな、と一人ため息を吐いた。
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