誰も自分のことを自分だと認識できなくなっている

イル

誰も自分のことを自分だと認識できなくなっている   2018年作

 SNSなどのネットワーク上でのコミュニケーションが一般的になり、現実の世界ではなく、ネットの中の世界を居場所とする人が増えた。結果多くの人々は,日々のほとんどを家で過ごす引きこもりのような状態になった。

 一方で人のいなくなった町は治安を維持することができなくなり犯罪が横行している。だが最早それを問題視する声も聞かれなくなった。人々は仮想空間に生きることを選んだのだ。現実世界がどうなろうと関係ない、と。

 そうした世界に嫌気がさした人達は現実世界で好き放題やってみるのだが、やがて何かを諦めたかのように自ら命を絶つ。

 仮想空間を選んだ人々は没入型VR機器を使い、一日を家のベッドの上などで過ごす。必然的に身体は衰えていくが、最早現実世界で身体を直接使う機会など皆無なので気にする人はいない。むしろ仮想世界での自由なキャラメイクにより身体的コンプレックスに悩む人はいなくなった。しかしこのキャラメイクにより、現実世界に戻ったときに自らの姿と仮想世界での理想の姿とのギャップに耐え切れず現実世界からより一層距離を置くようになるという悪循環もまた起きている。




 だから私が今日現実世界に帰ってきた理由はそんなに明るい理由ではない。久々の生身の身体に若干の違和感を覚えつつ、顔を洗うため洗面台へ向かった。鏡の中にはやせ細り骸骨のような、しかし確かに馴染みのある顔が写っていた。

 自慢だった長い髪もぼさぼさで、汚らしい印象しか持たない。誰にも気にされないことはわかっているが、それでも気になる。軽く身支度を整えようとツールコマンドを出そうとしたところで、ここが現実世界であることを思い出した。

 私が仮想世界に嫌気がさした理由、といっても明確には自分でもわからない。ただあるときに、自分と相手の声が同じだな、ということに気が付いてしまったことが始まりだ。私の声は誰の声だろう。私の声はどんな声だったっけ。相手の人も本当は全然違う声なんだろうな。とそんな風に段々と考えていくうちに、すべてが嘘でできている世界が気持ち悪くなってしまった。


 ただそんな感じだ。




 とりあえず外に出てみたが、人の姿はほとんど見えなかった。たまに会う人も大声で意味の解らない言葉を叫び続ける人だったり、真昼間だというのに堂々と全裸でいたりと、明らかに気がふれたような人ばかりだった。

 しかしそんな人たちの行動も致し方ないと感じる光景が町には広がっていた。町のあらゆる場所に死体が転がっていたのだ。話には聞いていたが、自分で実際に見るとやはり衝撃だ。

 町を歩き回り色々な死体を見て回るうちに気付いたことがある。それはこの死体の体勢や恐らくだが死因が普通のものではない、ということだ。というのもある死体は、ビルの二階あたりからチェーンのようなもので足を固定されて逆さ吊りの格好で朽ちていたり、布団を物干し竿にかけるように神社の鳥居のうえで腐っていたり、電線に絡まって焼け焦げていたりと、ほとんどの死体が人の目を引くような格好や状態をしているのだ。

 どれも普通の人なら思わず目を逸らすような光景のはずなのだが、しかし私はどうしてもその一つ一つをじっくりと観察せずにはいられなかった。

 彼らの全身からあふれる強烈なメッセージに私は感動してしまったのだ。

 自分はここにいるんだ。という単純でしかしとても強い思いを彼らは訴えているのだ。そう思うと少し前に出会った、気がふれたような人たちの気持ちも理解することができた。彼らもまた自分という個体を必死に主張しているに違いない。

 仮想世界にいるアバターのような偽物ではなく生きた本物の自分を見てほしい、認めてほしいという彼らなりのメッセージなのだ。

 私は興奮していた。彼らからの強烈な思いに当てられてひどく興奮していた。そこに一人の青年が見えた。雨も降っていないのに全身が妙な濡れ方をしていて、手に持ったライターをジッと見つめていた。

 すぐに理解した。彼は今まさに自らの身体に火を放つつもりなのだと。

「待って」

 思わず声をかけてしまった。青年は驚いたようにこちらを見たが、同時に指にかけていたスイッチに力が入ってしまった。ライターに火が付いてしまった。火はすぐに青年の身体全体を包み、青年は声にならないうめき声を上げながら地面を転げまわっていた。

 周りを見渡しても水や消火器らしきものはない。私にはどうしたらいいのかわからなかった。そうしているうちにも彼の身体は燃え続けている。

「ごめんなさい。でもあなたのことは絶対一生忘れませんから」

 咄嗟に先程みた死体を思い出しながら青年に謝った。すると青年は燃え続ける身体など気にしないかのように、

「秀人……俺は木村秀人」

 そうはっきりと自分の名前を口にした。それから彼は一言もしゃべらなくなった。木村さんが燃え尽きるのを私はただじっと見守った。それしか出来なかった。それでも何故私に名前を教えたのか、その理由はわかっているつもりだ。私のこれからすべきことが決まった。




 それから私は毎日、朝から町を巡回するようになった。最後の自己主張をしようとする人を見つけ、話を聞くためだ。私は絶対に本人の考えを否定しない。

 ただありのまま、その人のことを認めたいと思っている。その結果思いとどまる人もいれば、最後を看取ってほしいという人もいる。

 善意でやっているつもりも、罪滅ぼしをしているつもりもない。これこそが私なりの自己主張なのだ。

 相手を認めることで相手にも自分を認めてもらう。それだけが今の私の生きがいなのだ。もう一つだけ理由をつけ足すとしたら、仮想世界にいた頃よりも自分がハッキリと認識できるから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

誰も自分のことを自分だと認識できなくなっている イル @ironyjoker

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る