起きてよたぬきさん

百度ここ愛

おはよう、たぬきさん

「たぬきさん、朝だよー」


 朝だよ、と言いながらもう時計の針は12時を指していた。肝心の妻はというと、恨めしそうな目をして僕を睨みつけている。


 唇から溢れる音は、言葉にもならない威嚇音のようなもの。


「僕、お腹すいちゃったんだけどなぁ」


 愚痴のようにぽつりと溢せば、妻の冷たい視線が胸に突き刺さる。今日は2人のお休みだからどこかに外食に……なんて考えていたのは僕だけだったらしい。


 ひとしきり睨みつけてから、布団に埋まりまた寝息を立てる妻。諦めて、ぽんぽんっと布団の上から軽く叩けば嬉しそうに微笑んだ。


 そういえば、買ってきた赤いきつねと緑のたぬきがあったんだ。妻は、緑のたぬき。僕は赤いきつね。好みは分かれるけど、2種類を分け合えると思えば、いいことなのかもしれない。


 もう一度、寝息を立てる妻の頭を撫でてからケトルでお湯を沸かす。先に食べてしまおうかとも思ったけど、起きてから多分ぷりぷり怒るであろう妻を想像してやめた。


 ケトルが熱を持っていくのを確かめてからもう一度、僕のたぬきさんに声をかける。


「たぬきさん、お腹すいたんだけど。朝だよー起きてよー」


 布団ごと抱き抱えて揺さぶれば、嬉しそうに笑ってから唸る僕のたぬきさん。


「うるさい!」


 はっきりと喋ったかと思えば、起こした僕に対する文句。いや、分かっていたけどさ。


「たぬきさーん、朝ですよ。お湯沸かしちゃったから、早く食べようよ」


 抱き抱えたまま、横に揺らせば妻の唇がどんどん緩んでいく。


「たぬきじゃないもん!」

「そんなぽんぽこりんのお腹して?」

「たぬきじゃないもん!」

「ごはんあるよ、たぬきさん」


 起きがけの機嫌の悪い妻も、機嫌が悪いのは持続しないようで。たぬきさんたぬきさんと、声をかけながら抱きしめればどんどんと口元が弧を描いていく。


 まったく、うちのたぬきさんはどれだけ僕のことが好きなんだか。とか言ったらまた、機嫌を損ねちゃうんだけど。


「今日のごはんなに」


 起きてしまったからには、ごはんにスイッチを切り替えた妻が僕の肩に顔を埋めながら聞いてくる。すりすりと擦り寄る姿は、本当にたぬきのようだ。


「赤いきつね」

「やだ」

「たぬきさんは、緑のたぬき」

「すき」


 カチン、という音がしてお湯が湧いたのをケトルが知らせた。


「お湯も沸いたから食べよう」


 そう言って、妻を離せば恨みがましい目で僕を見つめる妻。まだ何もしてないと思うし、何も言ってないんだけど。


 妻の要望が時々、わからない。からスルーしよう。そのまま立ち上がろうとすれば、僕のスネにしがみついて動かない妻。


「たぬきさん、離してよ」

「まだ、よしよしして!」

「お湯沸いちゃったから、また後でね」

「いま!」

「ご飯食べてからね」


 押し問答をしながら、半ば妻を引きずるように歩き出す。渋々と言った感じで僕の足を離したかと思えば、後ろをひょこひょこと歩き出す。


 たった数歩の距離だから待っていればいいのに。そんなところも可愛いんだけど。そんなところも、たぬきさんって呼びたくなるところなんだけど。


 ケトルを持ってテーブルに向かえば、妻はまた後ろを付きまとう。


「用意するから座ってたら?」

「やだ」


 僕の後ろをストーキングする様は、子供みたいだ。いつもの妻とのギャップに笑い出してしまいそうになる。我慢しながら、赤いきつねと緑のたぬきにお湯を注ぐ。


 ほんのり香るいい香りに、妻の頬がまた緩んでいる。


「ぽんぽこーぽーん! たぬきのさくさくてんぷらとー、おだしがしみしみきつねのおあげさーん」


 よくわからない自作の歌を歌い、踊り狂う妻を横目に見ながら幸せな昼下がりに頬が緩んだ。


<了>


 

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