【自主企画参加作品】吾輩というかボク猫は小説家です。

水原麻以

吾輩というかボク猫は小説家です。

「シュレディンガーの猫とパブロフの犬をテセウスの船に乗せたら犬猿の仲になるのか?」

「それともおしどり夫婦になるのか?」

「猫の額ほどの場の量子論で解釈するとシュレディンガーの猫はやっぱり哲学的ゾンビになってしまうのか?」

「はたまたパブロフの犬は哲学的ゾンビのままでチューリングテストに惨敗するのか?」


冗談だか議論だかわからない会話が飛び交っている。船は既に岸壁を離れ薄靄の煙る洋上へ漕ぎだした。


そして黒猫を擬人化したような彼女に出会った。僕の心臓は鷲掴みされ、早鐘を打ち、口説き文句がつるべ撃つ。


私は哲学部を出ました。研究テーマは心の哲学です。

私の学位論文は、物理学における量子力学に関するものです。私が量子力学に興味を持ったのは、心の哲学における量子力学の意味合いであり、物理学における意識についても研究してきました。

私が意識の可能性を初めて意識したのは、量子力学においてです。量子力学の本はすべて読みましたが、その中には「意識」というものがありました。


それは、意識が物質と相互作用するというものです(ここで言う「物質」というのは物理的なものではなく精神的なものであるということです)。私はそれが面白いと思ったのです。


そして、その意識こそが、私たちの心を作っているのではないかと思うようになったわけです 。これは、私にとって初めてのことで、本当にびっくりすることでした。それまでに読んだ多くの物理や心の研究論文には、そのようなことは書かれていませんでしたから。このことについて考えてみたいと思います。


もしそうなら、私たちは、量子力学的に見れば幽霊のような存在である可能性があります。」


一気にまくしたてるが目の前の若い女性はうんともすんとも言わなかった。ただ潮風に吹かれるまま乱れたスカートの裾を際限なく直している。艶やかで腰まで伸びた黒髪が印象的だ。瞳も潤んでいるような気がする。どこか寂しげで、今にも消えてしまいそうなくらい美しい人だと思う。

ずっと口をへの字に曲げて黙っている。仏頂面がもったいない。


「ごめんね急に声をかけて。あなたのような美人に会いたかったんだ。僕の話をずっと聞いてほしくて。あぁでも、いきなりこんなこと言われても困るよね、そりゃそうだ。じゃあさっそく本題に入るけど僕は」

『ちょっとまって!あのさ、一つ質問してもいいかな?』

「え?」僕は面食らう。

「う、うん、いいよ」

「あなたの職業は何ですか」女性の言葉には、強い語気があった。

「えーっと。一応小説家やってる。小説を書くのを仕事にしてる。あと大学の講師をやったこともあったかな」

僕は少し動揺していた この女性は一体何者なんだ。

どうしてそんなことを聞くんだろう。

そもそも、なぜこんな場所にいるんだ。テセウスの船は乗客を選ぶ。世捨て人や、身辺をリセットしてでもしがみつく極端者の乗り物だからだ。シュレディンガーの猫がどうこう素っ頓狂な哲学を議論していた彼ら。あれはトラブルを抱えてテンパってる飼い主たちだ。

彼女は優雅な黒猫。場違いだ。


「あのぉ えっと」そう言いながら女性の方を向くと、いつの間にか、彼女は僕の隣にいた。

「な、何?」突然のことにびっくりしてしまう。

彼女は僕と手を握り、こう呟いた

「テセウスって、なんのことでしょうか」

その言葉は、まるで呪文だった。彼女の口から発せられた途端に、僕と彼女を取り囲んでた雰囲気が変わったように思えた 。

彼女が何者であるのか。何者ですらないのかもしれない。

彼女は、人間なのかも分からない、 ただそこに存在するだけかもしれない

「私は一体誰でしょう」と問われれば、「君は非実在」と言うほかあるまい 。


逆に僕の存在を誰も立証できまい。正体も限りなく百パーセントに近い精度で確定できない。彼我の境界線はどこまでも曖昧で、それなのに他人は自己責任を求めてくる。


人は一人で生まれ一人で死ぬ、それは真理であるが もしそうでないとすれば、我々はどこへ向かって生きていることになるのか。

生きるという事の根本的な問題に立ち戻り、その果てしない問いについて考える物語を僕は書いている。今も、この船旅は遅筆にけじめをつける目的があった。


船がノットをあげた。彼女のドレスは帆をはらみ、僕は目のやり場を手帳に移した。


・私は自分自身が一体何であるかを知らぬままに生を終えるだろう 。しかし、私は、私以外を知らない そして私は、自分を、知っているつもりで生きていくしかできない。なぜなら、私がそれを知っているからだ。しかし、それが真実であることを証明する方法はないのだ。だからこそ、疑う必要がある。自分が何ものであるかということを、疑い続けて、それでも私は生きていかなければならないのだ 。


・私と私の外の世界を分かつ境界線は、どこにも存在しない つまり私は、ただそこにあるだけでしかなく、外界からの影響を受け続ける


・人間は一人であっても決して孤独ではない


原稿はアイデアメモの段階で止まっている。プロットですらない。創作とは私闘だ。


むしろ孤独な人間ほど、人とのつながりを求めるものであり、それゆえに強くあろうとするものだ。


「あなたは本当にここにいるんですか?」女性が僕に向かって言う。

「私は、いますよ」

「じゃ、これは、どう思います?ほら!」僕は女性に手を伸ばしてみた。


「あれ、触れる?幽霊とかそういうのじゃ、なかったのかな」すると、今度は、女性の姿が薄くなっていく。

「もしかして消えてしまうんですか?」女性は答えずに、笑顔を返す。


そして最後に僕が見た彼女の姿は完全に見えなくなり……僕の手の中には1匹の黒猫がいた。彼女の飼い主は老婆で浮遊霊になっている。


この黒猫は因果を背負っていた。それはとても罪深く、次のようなまつわりがあった。


猫を探して旅に出ることにした青年が道中さまざまな人と出会い別れながら目的地へ到着。しかし、そこで彼を待っていたものは黒猫の飼い主だった。


男は記憶喪失だったようだ。旅をしているうちに様々な人や出来事に触れていき。次第に昔のことを思い出す。自分の名前がわからないことに気がつく そして猫を探していた理由を思い出した。


この黒猫はタダ者でない。呪われている。それで老婆と無理心中を図った。だって一人で死ぬのは寂しいじゃないか。と、まあ、こういう因果な猫だったのだ。


それが今度は回りまわって僕の手の中にいる。こいつは僕を殺そうとしているのか。いや、もう死んだのか。


「あの…テセウスの意味をまだ教えてもらってません!テセウスって何なの?」


女はキレた。


テセウスの船とは思考実験に登場する概念で実在する船の事ではない。テセウスの船は新陳代謝していくうちに全く別物になってしまう。

果たして全体の組成が入れ替わったそれはテセウスの船と言えるのか。それとも別の名前で呼ぶべきなのか。そういうパラドックスだ。

「じゃあ、私たちが乗っているこの船は何なの?実際に波を蹴立てている。どこから来て何処へ行くの?気づいたら乗っていた。怖いわ。早くおりたい。助けて」

と女が叫ぶと船が傾き始めた。

「私が知っている限りでも一番の嘘つきは私。本当のことが言いたくて言えない。本当はね。君のことを好きになりたいと思ってるのに嫌いだと言おうとしている」

そう、私は、自分が可愛いんだわ、と女が言ったところで僕と目が合う。


女は自分の顔に驚き僕の手を振り払う。振り返ると、 そこにいたのはこの世のものとは思えないほどの醜女だった。そのおぞましさにに思わず

「うおおぉ」

と声が漏れた。

「私はお前たちの神である」

「はい?神様?僕も、死んだってことか?」


「いいえ ここは生と死の狭間です。私は死者をここに導き次の転生先へと導くものなのですがあなたは残念ながら死んでしまったわけではありません ただここから先はあなたの道行き次第です。これからあなたが向かう場所こそが次なる世界となるでしょう」

女の言葉に どういうことだ と思いながらも僕は自分の運命を知りたがった。女はその問いに対して丁寧に説明した。


「つまり、僕は六道輪廻の世界へ行ってしまうってことですか」と言った。

女は首を振った。

「違う世界にいくことはあるかもしれぬ。が、今、お前がいる世界から他の世界への扉が開いたというだけでお前はまだ向こう側に行く資格を持たない。

その資格を持つためにはお前自身が強く願わなければならないのだよ。

お前を救いに来た私の言葉を信じるのだ」 と語った。


僕は困惑し混乱していた。

しかし同時にわくわくする気持ちもあった。

僕はもし、本当に別の世界を行き来できるようになったら行ってみたいところがあると言い出した。

女の表情が変わった。

僕は語る。

「 もう一つの世界、それはとても素晴らしいものだ』と思った。

それを聞くためにここに導かれたのだという確信を持った 。


「それでは、貴方がたを異なる次元へご案内します」と言って女は何もない虚空を見据えた。

そして指をパチンと鳴らした瞬間、視界いっぱいに虹色のオーロラが現れた。

そこから先は雑多な境遇が渦巻く人生だった。僕らは互いに何度もすれ違いを繰り返して結ばれないまま墓に入った。

割り振られた人生は底辺農民の田舎暮らしで特筆すべき思い出もなく孤独で貧層で惨めなものだった。ただただ女日照りとうまずめが血統を絶やしただけだった。


幸い地獄でなく天に召された僕は「あぁ……帰ってきたなぁ」と漏らしたがその意味は分からなかった 。

「おやおや、随分とまた早かったじゃないか。まだ、準備が出来ていないぞ?」

神の声が聞こえる。

その方向を見ると黒猫の彼女が宙に浮かんでいた。

「 そうか……そういうことだったのか」

女の言葉を聞いた時、僕の胸中に生まれたものは絶望だった。

しかし一方で、僕は納得してしまった。これは船酔いが見せる夢に違いない。

ああ、目覚めればこれでようやくこの苦しみから解放される。

しかし、女の方は納得がいかないらしく神にクレームを申し立てた。

「ちょっと?!これっていわゆる異世界転生じゃないの?子供が読む小説みたいな世界に連れてかないで。今すぐやめてちょうだい。シュレディンガーの箱から出た毒ガスの巻き添えになって、テセウスの船に乗せられた結果が異世界転生って冗談じゃないわ。馬鹿にしないでちょうだい」

醜い女神は語気を荒げた。

「恩知らずめ。お前には申し分ない美しさを授けたのに男より自分を愛した」

「でも、あたしは」

「名折れよ。アルファ。すべての始まりにして終わりに至る無限を溝に捨てた」

神は不信心を厳しく叱責し地獄に落ちろと言った。

(僕はアルファのことをずっと忘れない)

そう言いながら僕は涙した。

アルファは僕の頬をそっと撫ぜた。ほんの一瞬、気持ちが通いあった。

((これが本当の終わりだ/おしまいだね。さようなら。僕/私の恋人。)

僕たちはお互いの存在を忘れないように、相手の体を傷つけることで相手を縛ることにした。二つの魂はほぼ同時に思いの丈を刃に変えた。そして互いを貫通した。

雷が落ちたような閃光が視界を覆い、意識が遠のいていく。

僕たちの願いが届いたのか神様がそれを認めたようだ 次の瞬間 2人の周りにいた人々は全ていなくなった そして代わりに2人だけの空間が生まれた。

誰にも干渉されない世界へ堕ちていく。

アルファが目を覚ますとそこにはシュレディンガー猫の姿があった。

どうやらここは死後の世界ではなく現実であるらしいとわかった。飼い猫を抱こうとするアルファであったがそこで見てしまったのである。

彼女の胸に刺さったナイフを。

僕も自分の胸に深々と刺さったそれを確認し頭が空白になった。

猫は二人に足も呼吸もないことを悟ってニャーと悲しそうに鳴き激しく痙攣してそのまま死んでしまった。

(アルファ、僕のために泣いてくれてるんだな)シュレディンガーは涙を流している彼女をみて思うが、それは嬉しさからのものではないことも分かってしまうから余計辛く感じてしまう

シュレディンガーの死を悲しんでくれた彼女なら、きっとこれからも自分を支えてくれると信じて 彼なりの告白をする

私はあなたが好き。私と付き合ってくれるかな?

(もちろん。俺の方こそ、君を愛しているよ)と彼は答えた しかしそれはただの言葉に過ぎず彼の気持ちではない。

なぜならその返事を聞く前に彼女は既に事切れていたからである。

(僕の方こそごめんな。もっと早く勇気を出して言えてればこんなことにはならずすんだはずなのに……君の想いに応えてあげられなくてほんとうに……)

こうして僕らは結ばれることはなく終わってしまった。

今にして思えば奇跡(シュレディンガーの猫)と輪廻(テセウスの船)も天が人間の可能性を信じてお与えになったものだ。

僕は目の前の宝を見くびり、ぞんざいに扱いすぎたのかもしれない。飼い猫だってそうだろう。気まぐれでつかみどころがない。しかし、気が向けば甘えてすり寄ってくる。だから、愛情を持って接すればちゃんと応えてくれるのだと理解しているつもりだったのだが……どうやら認識不足だったようだ。

その点について反省した僕はもう一度やり直すために別の世界に旅立つ決意をした。無に帰ろう。

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【自主企画参加作品】吾輩というかボク猫は小説家です。 水原麻以 @maimizuhara

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