スーパー系ツンデレの「それがどうした」

茶蕎麦

第一話 つまんない

 自分たちの頼りは負けた、倒れた。そして自分には、何もない。無力の両手は、己を抱いて震えている。

 思わず涙がこぼれそうになるくらいの真っ暗け。希望なんて、これっぽっちも湧いてくるはずもない。


 けれども。


「それがどうしたっ」


 だからこそ、彼女は吠えるのだった。弱気なんて、持ち前の鋭い犬歯で噛み殺して。少女はひたすらに前を向く。

 そう。だって、背中には大切がある。そして、目の前には敵がいた。

 だったら、立ち向かうのが彼女にとって当然のこと。自分が弱いとか勝てないだろうとかいう計算なんて、関係ないのだ。

 たとえ、目の前の存在にとって己の全てが響かなかろうとも、届かなかろうとも。


「――――ぜったいに、負けないんだから!」


 その虚勢に根拠はなく、無意味でしかないことは分かっている。

 しかし、多田野陽子ただのようこは、逃げることだけは決してしないのだった。






 スーパー系:リアル系の対義語。スーパーヒーロー的な存在を言う。人物の精神力がその活躍に大きく影響する場合が多い。







 多田野陽子は昭和94年の今どきの女子、というには少し外れている。

 二つ尾っぽに縛られた茶色い柔らかな毛並みは、洋犬プードルの間での流行には則っているし、ぱっちりお目々の力強いアイラインは錆びた野良猫が持つ眼力に勝るとも劣らないものであった。

 だが、そもそも陽子の気性が周囲の普通に馴染まない。見た目の愛らしさなんて知ったことかと、彼女は全てに対して牙をむく。

 そうして今日も彼女は、自らの絹の肌すら気に入らないのかガシガシと頬を掻きながらこう言い張るのだ。


「ったく。どいつもこいつもつまんないわね……」


 声色に込められた感情は、呆れ。

 当たり前相手に右へ左へ鋭く瞳をさまよわせ、そうして陽子は憎らしいくらいに温さを向けてくる太陽をすら睨みつける。

 まるで負けん気の塊。そんな歪な乙女に、隣から声がかけられた。


「陽子ちゃんは、相変わらずだね」


 柔らかに高めの音色を転がしたのは、陽子の大の親友を自称している遠野邦美。

 険の塊であるような陽子と反するように、邦美は朗らかである。垂れがちの目尻に、柔和な笑みの隣にはえくぼが二つ。腰丈のストレートヘアまで、喜色に跳ねていた。


「そう? 相変わらずなのはくっだらない代わり映えもしない日常の方だけど。ったく、皆呑気に元気しちゃって……どこからともなく怪獣がやって無茶苦茶にしてくれるとか、そんなサプライズはないのかしら?」

「また陽子ちゃんはそんなこと言って。皆が元気しているか心配だから陽子ちゃんが何時も周囲に目を光らせてるって、私知ってるんだよ?」

「な、なにを言ってるのよ。そんな。まるで私がいい子ちゃんみたいに……」

「ん? 陽子ちゃんはいい子だよ?」


 表情を戸惑いに変える陽子の前で、まるで太陽が昇ってくる自然を語るかのように、邦美は淀みなく言う。

 なにせ、陽子がいい子なんていうのは彼女にとってはそれくらいに決まっていること。

 しかし、自分を悪者と決め込んでいる頑固な乙女にはそんな当然ですら認めがたい。見当違いにも怒った陽子は、邦美の頬をぐいと引っ張る。

 面白いように、邦美の絹の肌は拡大した。


「全く……そんな、ありもしないことを言いふらすのはこの口かしら?」

「よーこひゃん。いふぁい、いふぁい」

「ったく。涙目になるくらいなら、こんな意地悪な私にいい子だなんてレッテル貼らないことね」


 最後に軽く抓って、ぽん。そんな限界のサディスティックにむしろ痛む心を隠して、実にざまあみろとの表情を作る演技派な陽子。

 しかし、そんな内心を軽々と見透かし、邦美はただ所業にぷんすかと怒るのだった。


「もう、陽子ちゃん。これってドメスティックバイオレンスだよ!」

「家庭内暴力? 何時から私は邦美を家庭に入れていたのかしら……」

「んーと。昨日?」

「へー、私達ほやっほやの新婚さんだったのね……って、んなわけないじゃない!」


 ぺしり、と頭を軽く叩く陽子。しかし、キューティクルの上を滑った叱りにもならないくらいのそのソフトタッチに、むしろ邦美は驚く。

 やっぱり陽子ちゃんは優しいな、という思いから叩かれながらも笑顔になってしまう邦美。常態として眉を吊り上げさせている陽子とそれは正しく反対。

 怒りと笑み。その二つが綺麗に並んで登校する様子は、殊の外目立つ。

 見咎めた知り合いの青年、背高の山口佐登志さとしは、また何時ものか、と思いながら欠伸ついでに隣に並んで話しかけた。


「ふぁ。朝っぱらから何やってんだ、お前等」

「あ、サトくん。おはよー」

「げっ、佐登志」

「邦美もツンデレさんもおはようさん」

「はぁ。誰のどこがツンデレだってのよ……ツンツンするどころか私にとってあんたなんて本当にどうでもいい存在なんだけれど」

「それでも律儀に応えてくれる、よーこは可愛いなぁ」

「可愛いなー」


 可愛いな。凸凹男女の褒め言葉が陽子に揃って向かう。それはただの本音の並び。

 しかし、無駄に威勢の良すぎる少女には優しい言葉ですら、立ち向かうべきもの。柳眉は歪んで、八重歯は唇を掻く。

 褒められて嬉しくって恥ずかしくって仕方がないが、それでも陽子は自分が可愛らしいという事実にすらぷんぷんするのだった。

 可愛らしい顔を紅潮させ――それこそ佐登志にとっては眼福だった――ながら、彼女は怒鳴るように否定した。


「わ、私が、か、可愛いって、そんなわけないでしょ! 邦美もこんなのに合わせて調子に乗らないの!」

「えー、陽子ちゃん本当に可愛いんだけれどなあ」

「――っ! もうっ、知らない!」


 可愛い。そんなの自分に与えられるべきものじゃない。もっと、こう柔らかなものに向けられるべきだ。

 だって、こんなに世界は可能性で溢れていて、素敵だから。

 そう信じて止まない陽子は、あまりに自分にだけ繰り返される可愛いという言葉が嘘っぽく思えてきてしまう。

 そうなると、からかいと受け取り、怒り増させるのが常のこと。

 ぷん。弾けるように少女は駆け出し、逃げた。


「ああっ、いかないでー」


 情けない邦美の声。弱々しいそれを振り払うのは心優しいツンデレにとって少なからず大儀なものだった。

 しかし陽子はおい、と背中にかけられた声すら無視し、長く成長してくれたおかげで得意になった逃げ足を披露して去るのである。

 信じられない、と思いながら。


「……嘘つきっ」


 もちろん心根の真っ直ぐな彼女は友達が平気で嘘を吐くような人間でないことは知っているし、信じてもいる。

 ただ、陽子は自分の良さを理解することの出来ない弱さ故に、背を向けるのだった。

 彼女には優しさが辛く、そんな自分こそが一番にムカつくのだ。


 息を、吸う。吐く。そんな当たり前を続けて、少女は情という大切なものからむずがって逃避する。


「はぁ、はぁ……ったく。ん?」


 やがて、信じられない自分の馬鹿らしさを嫌悪しながら、遠のいた声を尻目ににスローペースに戻って陽子が息を整えていたそんな時。

 彼女はつんつん、と袖口を引っ張られた。

 何よ、と振り向いたその先にあったのは、威勢に驚きもしないぼやっとした表情。


「ふぅ」


 それが、線でできたような少女――大野みさき――の笑みであることに気づいてから、一息。

 とりあえず敵性ではないと知った陽子は、それでも棘のフリして強めの語調であいさつをした。


「ん。おはよう……多田野さん」

「おはよ。えーと、貴女は……たしか」

「大野……みさき」

「あー、二組の子だったわね。調子どう?」

「うん……大丈夫」

「そ。なら良かったわね」


 低めの声色。無色透明に近い、細目の彼女の前で大丈夫で本当に良かったと、知らず陽子は笑む。それがいつもの怒りよりよほど愛らしい顔にお似合いであると、みさきは思う。

 そう、少女の棘の間にあるのは、驚くほどの柔らかさ。もとよりハリセンボンだって、しなやかさがなければ棘を一面に披露できやしないものだ。

 そんな道理、よくよく考えれば理解できない人はそういないだろう。そして、声をかけたみさきは陽子の安心できる部分を大いに経験から知っている。優しさは、知らずに端々から露見していたのだ。


 けれども、そんなデレを周囲に見知られているとはつゆとも思わない、そんな頑なな陽子は自分の持ち前の険で目の前の子を不快にさせていないか、とすら考えてしまう。

 でも、そんな弱気に負けられず、あえて真っ直ぐに陽子はみさきを見つめる。

 向かい合う、強い眼と弱い眼。何時だって恐れ噛み殺している彼女のその真摯さに、薄い少女は感じ入るのだった。


「……多田野さんが同じクラスだったらよかったな」

「ん? どうして?」

「なんとなく」

「そう」


 首を傾げる陽子に、みさきはくすり。

 そう、もっと、近くで。楽しいからではなく、親しみたいからこそ、そんな思いは湧く。

 けれども、自分のような面白くないものではなく、もっと愉快な人たちに囲まれてわちゃわちゃしている少女こそとても魅力的に輝いていて。

 だから、これは叶わなくていい夢。なんとなくで、破り捨てられる青写真。

 ただ、もっと幸せになって欲しいなとの願いだけは消せない。



――――痛いの?



 その言葉に返せたのは、云。

 ただそれだけに、どうしてこの人は必死になってくれたのか。そして、あの日の必死を忘れてどうしてこの子は自分を嫌っているのか。

 そんな全ての疑問は、けれどもどうだっていいのだ。


 この子は善で、なら報いはきっとやって来る。それくらいに、陽子はみさきに世界の綺麗を信じさせてくれたのだから。


「……じゃ」

「それじゃあね」


 そして二人は手を振り、別れる。方や日々の挨拶、一方はファンの精一杯。それくらいの温度の差で、しかし両方眼前に対して真剣であるのは変わらなかった。

 ばいばい、で惜しんで視線を巧く切りきれずに、ただ二人そのまま空を見上げる。

 それは青くて白くて、階調に美麗で快く、明るい。吸い込まれる心にだからこそ、ツン、と尖った心持ちを片一方は持つのだった。


「ったく。つまんない青空」


 そして、陽子は相変わらずに対して憎たらしいと思い込む。

 勿論、好きをひっかく少女の言葉の全ては愛の告白と同じ。愛撫の代わりに、つんつんしてしまう陽子はどこまでも間違っていた。


「……ふふ」


 でも、だからこそ可愛いのだ。ファンのみさきは、そう思う。

 愛おしい、刺激。それは恋にも似ていて。けれども、違ってそれがいい。

 バタバタと、少女へと向かう足音たちに背を向けて、みさきは一人観衆に消えていく。


「わー、やっと追いついた!」

「ヨーコ、すまんすまん。からかいすぎた」

「ったく。あんたは嘘ばっか吐くから……」

「ああ、嘘だったな。だってお前、ちょーぶっさいくだからな!」

「……なんですって?」

「うお……冗談に右フックが返って来たぞ……ぐふ」

「ふうん? それがあんたの辞世の句?」

「わあ、サトくんがやられちゃった! 陽子ちゃんマジ切れだよぉー!」


 その後ろでは、くの字に折れた佐登志と、慌てる邦美、そしてツンで青年を強かにひと刺しても足りずに怒りに気炎を上げる陽子の姿。

 まさしくナイスパンチ。スーパー系ツンデレな彼女は怒ると凄まじいパワーを発揮するのだった。

 しかし、その一撃に過分なほどの手心が加えられていたというのは、きっといいところに貰った青年こそが分かっているのだろう。少女が本気なら、あれどころではない。

 そして結局は、少女の優しさで終幕するのだろう背中のバイオレンスな一幕に、にこりとするのをみさきは抑えきれない。


 怒る少女の空には青があって、誰も彼女に傷まない。それどころか笑顔に溢れている。


「ふふ」


 そんな、何時もの彼女のつまんない愛しているがあった。








「あらあら」


 そして雲のように陰った彼女が去り、その後。


「げふ」

「あら。ごめんなさい」

「わわっ、今度は女の子に踏まれてサトくんがぺちゃんこに!」

「っ! 何よあんた!」


 一粒。彼女が雨を知らせに降ってくるのだった。



「ごめんなさい。私は――」



 ぐるると吠える少女の前でとても静かに、少女は微笑む。

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