第37話 私、いますよ

 その後、希星は俺の描いた十八禁イラストを丹念に見ていった。始めは照れた様子だったのだが、だんだんと慣れてきて、さらに何故か感心するように溜息を吐いた。


「青野さんのイラスト、たまに単純にえっちな奴もありますけど、ほとんどは綺麗な作品ですね」

「……そうか?」

「そうですよ。女の子の魅力を表現する一つの手段として、ヌードを使っているような感じがします。いやらしいものじゃなく、身も心も裸になった女の子の美しさを切り取っている印象です。

 青野さんも、そういうイラストを描きたかったんじゃないですか?」

「ん……まぁ、そうだよ。そりゃー、俺も男だし、単純にエロいだけのイラストを描きたくなることもある。

 でも、そういうのだけじゃなくて、まぁ、女の子の中にある輝きを表現したいっていうか……そういうことも考えてはいるよ」

「そうですよね。やっぱり。女性から見ても可愛くて、魅力的に感じます」

「そうか……。そうかぁー……」


 ふと、また思い出してしまう、彼女の一言。


『女の子の裸なんて描くの止めてよ。いやらしい』


 女性からしたらそういう反応になるよなぁ、と当時は思っていた。こっちがどういう気持ちで描いていても、裸を描くというだけで抵抗感はあるものだ、と。

 それに、要するに俺の絵やイラストに、自分の表現したいものをきっちり表現する実力がないのだとも思っていた。ただのいやらしいものじゃないと直感的にわかるものであったなら、彼女も頭ごなしに否定はしてこなかったかもしれない。


「どうかしました?」

「いや、なんでもない。そう言ってもらえて嬉しいよ」

「青野さんのイラストが素敵なだけです。私もこんなイラストを描けるようになりたいです」

「……それも嬉しい言葉だ」

「青野さんって、かなり絵が上手い方だと思いますけど、これだけ描けてもお金にはならなかったんですか?」

「……お金にする手段は、もしかしたらあったのかもしれない。でも、学生のときの俺は、絵やイラストをやっていくなら何かしらの賞を取らなきゃいけないと思ってた。

 でも、どんなコンテストに応募しても、結果は落選。俺より上手い奴はいくらでもいるんだと思って、イラストや絵をお金にする方法を探しもしなかった」

「そうでしたか……。コンテストの件は、やっぱり厳しい世界なんですね……」

「上には上がいる。本当に痛感させられる毎日だった。ま、今だったらさ、別に最高レベルの技術がなくても需要はあるんだってわかってる。技術を高めるんじゃなく、賞を取るのでもなく、魅力的な絵を描けばいいだとも思ってる」

「今なら、プロじゃなくても、イラストを売る手段はいくらでもあります。挑戦してみてはどうでしょう?」

「……どうかな。お金が絡んでくると、今みたいに気ままに描くわけにもいかないからな。いつかまた調子を崩して、絵を嫌いになってしまうかもしれない。なかなか一歩踏み出せないんだよな」

「なるほど……。なんか、わかります。私も、自分の絵が売れるようになりたいって思っています。でも、いざお金になると、色々な葛藤が出てくる気がします。

 クオリティを上げなきゃいけないプレッシャーとか、売れるために自分を変えてしまうことの迷いとか。お金が絡むと、自分を見失ってしまうんじゃないかって、少し怖いです」

「……うん。そういうのもある。変な話、絵とか芸術系で食べていくのに必要なものって、技術とかではなくて強靱なメンタルじゃないかって思う。色々な葛藤も不安も迷いも全部振り払って、自分を保つっていうさ」

「そうですね……。芸術系って、精神を病んでしまう方も多いようですし。趣味の範囲でやっていくのが、一番健全なのかもしれません」

「そうなんだよなー……。そして、そんなに迷うなら趣味の範囲でやれよ、って世間は思うんだよ。簡単に割り切れるものでもないんだけどさ」

「……ですね。趣味の範囲でいいはずなのに、プロとして活動したいっていう衝動もなくせないんです。これはきっと、プロの作品にたくさん感動してきたからだと思います。自分もそんな風になりたいって、どうしても思っちゃうんですよ」

「……だな。そういうの、わかるよ」


 俺の中にかつてあった情熱は、もうある程度収まっている。しかし、全く消えてしまったわけでもない。

 希星は、この先どういう成長をしていくのだろうか。大きな壁にぶつかって、俺のように情熱を少しずつ冷ましていくだろうか。あるいは、壁を突き破り、情熱のままに突っ走っていくのだろうか。

 後者であればいいと思う。でも、そんな簡単じゃないことは、大人になった俺はわかっている。

 ただ、少なくとも今の俺は、希星が頑張るのを支えられる立場にいる。精一杯、支えていこうと思う。

 俺が決意を固めていると、希星はフフと可愛く笑う。


「こうして気持ちのわかりあえる相手がいるって、やっぱり嬉しいですね。自分の抱えている苦しさをわかってくれる人がいるだけで、不思議と勇気が沸いてきます」

「……だな。変な話、俺はちょっと希星が羨ましいかもしれない。俺はずっと一人でいたから、誰かに相談なんてできなかった。

 いや、もちろん、俺が自分の弱いところを見せられない人間だったっていうのもある。他人と腹を割って話すのが苦手だったっていうのもある。でも、あのとき、色々と話せる相手がいたら良かったなとは思ってしまうよ」

「……私、いますよ」

「ん?」

「私はまだ十六歳で、頼りない存在だって言うのは、わかっています。でも、きっと、青野さんが出会ったどんな人より、青野さんの気持ちを理解できると思います。もちろん、私と青野さんは別の人間で、わかっているようでわからないこともあると思います。それでも、私は無理解ではないと思います。だから……私には、どんなことでも話してください。受け止めてみせます」

「……そうか」


 希星が実際にどれだけの包容力をはっきできるかはわからない。いざ色々と言ってみたら、処理しきれないものもあるかもしれない。

 でも、こうして真っ直ぐに俺を受け止めようとしてくれる人がいるというだけで、救われた気分になれた。


「青野さんは、私を支えていくつもりかもしれません。けど、せっかく二人いるんですから、支え合っていきましょうよ。ね?」

「……だな。そうしよう」


 十以上も年下の相手。そんな子を頼るのは情けない。

 まぁ、それでもいいさ。俺は情けない男なんだ。そんなこと、もう何年も前からわかりきっている。


「一緒に頑張りましょう。青野さんも、少しでも衝動があるのなら、絵をお金に換える努力をしてみてもいいいと思います。青野さんだって、まだ二十七じゃないですか。まだまだどうにでもなるって、私でも思いますよ?」

「……ん。考えてみる」


 十六歳に励まされて、気持ちが変化していることに気づく。やってみようか、という気持ちになっている。

 もしかしたら、俺は背中を押してくれる人を待っていたのかもしれない。そんな都合のいい存在がいるわけないと思っていたけれど、今、目の前にそんな人がいてくれる。

 ……本当に、俺ももう少し頑張ってみるべきなのかもな。

 胸の奥がじわりと温かくなるのを感じつつ、俺は希星の笑顔に口元を弛めてしまっていた。

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