お隣の女子高生の人生を買うことになったんだが、そのときには既にベタ惚れされてしまっていたらしい。

春一

第1話 ほうっておけない

 男がいくつになっても女子高生を魅力的に感じるのは、至極当然のことだと認識している。

 大人とはまだ呼べないまでも、やはり女性ではあって、美しさと可愛さを合わせ持つ絶妙な状態には、今しかないきらめきを感じざるを得ない。精神的な未熟さも男性からすれば庇護欲を駆り立てるし、実際に守ってあげることができれば男性的な誇りを満たしてくれることだろう。

 とはいえ、俺みたいな二十代後半のおっさんが、実際に女子高生とお近づきになることはまずないし、なってはいけないことだと理解している。それに、男の妄想の中の「女子高生」はとても純粋で初で清楚で優しくて恋に恥じらう乙女だが、実際の女子高生がそんな代物であるとは考えにくい。

 はちきれんばかりに妄想を膨らませた「女子高生」を愛でることこそ、おっさんと女子高生の適度な距離感であり、適切な付き合い方だなのだろう。

 さておき。

 そんなことをふと考えたのは、俺の住んでいる安アパートの隣の部屋に、女子高生が引っ越してきたからだ。正確には、女子高生一人と、その妹らしき女子中学生一人。ちなみに、二人ともとても可愛い。ここ重要。たぶん。

 あの年頃なら当然両親も一緒だろうと思っていたのだが、引っ越してきて二ヶ月経っても両親の姿は見かけない。どうやら二人だけで暮らしているようだ。

 俺が多少世間ずれした人間なので自信はないが、女子高生と女子中学生の二人暮らしが一般的になるほど常識は変貌していまい。やむにやまれぬ事情があり、二人はこの安アパートの一室に住みつき始めたのだろう。

 どういう事情があるのか、気になる気持ちはある。が、他人の家のことだし、おっさんが女子高生に話しかけるのはもはや犯罪の一つと認知されているうようでもあるので、俺はその二人について何も知らないままだ。たまに顔を合わせたとき、せめて不審者と思われないようにと軽く挨拶をする程度である。

 二人ともよくできた子で、冴えないおっさんを見ても邪険にすることはなく、さりとてにこやかな笑顔を見せてくれるわけでもないが、ともかく挨拶を返してくれる。特に女子高生の方とすれ違えたらその日は運がいい、などと思っているのは俺だけの秘密である。

 二人が引っ越してきたのは八月の終わりのことで、今は十一月初旬。秋も深まって、冬の気配も感じられる。

 今日は、いつもより少し残業が長引いて帰りが少し遅くなった。夜も九時を過ぎているのでお腹も空いている。家まで我慢しないで会社近くで済ませておけば良かったかな、とも思う。が、駅近くのスーパーでは、九時を過ぎると様々な弁当や総菜を半額で売っているので、そちらで購入した方が安上がり。今夜は二百円でハンバーグ弁当を仕入れられたので、多少の空腹は我慢しよう。

 そんなことを考えながらアパートに到着。俺の部屋は二階の二〇五号室なので階段を目指すが……。


「うぉっと?」


 階段に、誰かが座り込んでいた。あまり明るい場所ではないので、急に妙な影が見えたことに驚いてしまった。

 誰だろう? 酔っぱらいがたまたま休憩場所としてこの階段を選んだのだろうか。だとしたらはた迷惑な話だ。家に帰れなくなるほどの酩酊状態になるなんて、本当に恥ずべきことだと思う。それが許されるのは日本の悪しき風習だし、周りも止めるべきだ。……場合によっては止められない事情もわかるけどな。


「……ん? あ、違う」


 よく見ると、そのシルエットは全くおっさんのものではない。もっと華奢で小柄で、たとえばそう、隣に住んでいる女子高生くらいの……。


「って、まさにお隣さんじゃん。ええ? どうしたの?」


 女子高生に話しかけるべからず。それがおっさん界では暗黙の了解となっているが、今日はちょっとだけそれを破る。普段なら彼岸と此岸くらいに住む世界が違う存在だけれど、何か具合が悪いとかだったら話は別だ。

 お互いに手が届かない程度の距離を保ちつつも、できる限り彼女に近づいてしゃがむ。俯いていて表情は見えなかったが、俺の接近によって彼女はのっそりと顔を上げた。

 暗がりだけれど、随分と元気がないように感じられた。そのせいか、いつもは黒く麗しいロングヘアーも、どこかしなびているように感じられる。優しい雰囲気の目も、今はどんよりと曇っている。

 バイトもしているようだし、もしかしたらバイト先で嫌なことでもあったのだろうか。おっさん界の暗黙のルールを破る不埒な輩でもいたとかか。


「君、大丈夫? あ、俺、君たちの隣に住んでる青野駆あおのかけるで、怪しいものじゃないぞ」

「あ……えっと……藍川キセです……。じゃ、なくて、その、ごめんなさい……お邪魔でしたよね……」


 初めて名前を知った。藍川は、またのっそりと立ち上がろうとする。が、途中でふらついて転びそうになった。タブーと知りつつも、肩を支えてやる。仕方ないだろ、非常事態なんだから。しかし、女子高生の制服なんて触れたのは生まれて初めてだな……。


「無理するな? 家はすぐそこだぞ? それとも救急車を呼ぶか? 本当に危ないときには救急車をためらっちゃダメだぞ?」

「いえ、だ、大丈夫です……。少し目眩がしただけで……いつも、すぐ、治りますから……」

「そ、そうか? なら、とりあえず少し座りなよ。階段は、俺は上ろうと思えば上れるんだから」


 半ば無理矢理、藍川を再び座らせる。女子高生から手が放れてしまうのは惜しいが、これ以上の接触は犯罪扱いになるのでいけない。自重だ。

 藍川は話すのも少し辛そう。だからといって、このまま何事もないかのように俺だけ家に帰ってしまうのも気が引ける。家は二階なのだから、せめてそこまでは俺が面倒を見よう。うん、これは別にやましい気持ちからくるものではなく、単純に藍川を心配しての行動である。何も問題ない。


「……あの、お先に、どうぞ……」


 藍川が絞り出すように言う。そんな調子で言われたら、とても放置してはおけない。


「いいからいいから。俺のことは気にしないでゆっくり休んでくれ。君が上がれるようになったら俺もぼちぼち上がる。こんな夜中に、女子高生を一人で放置できるほど俺も薄情じゃない。……あ、俺が一番の不審者なんだよ、とかいう突っ込みはよしてくれよな」

「……はい」


 返事をするのも辛そう。今はただ、黙って明後日の方向でも向いておこう。辛そうにしている女子高生を見つめ続けるものでもないし。

 それから十分ほど経っただろうか。独断で救急車でも呼んだ方がいいのかも……と思い始めた頃に、ようやく藍川がゆっくりと立ち上がった。少なくとも、立ち上がった途端に倒れるほどふらついてはいない。


「……大丈夫? 階段、上れる?」

「はい……。大丈夫です」

「まぁ、俺が一応隣で付きそうから、ゆっくり上がって」

「……ありがとうございます」


 藍川が階段を上り始める。一歩一歩がかなり辛そうだ。それを追いかける前に、藍川の座っていた近くに鞄と買い物袋が落ちていたので拾ってやる。買い物袋の中身は食料品だな。俺と同じように、半額になっているようなものを買っていたようだ。

 二階に上がり、藍川に鞄と買い物袋を手渡す。そこで初めて自分の忘れ物に気づいたようで、驚いた顔をしていた。


「ごめんなさい……。わざわざありがとうございます……」

「いえいえ。これくらいは当然のことだよ。でも……体、辛いんでしょ? たぶんバイト帰りだと思うけど、必要なときにはきちんと休まないとダメだよ? 体を壊してからじゃ遅いんだから」

「……はい。ありがとうございます」

「ん。じゃ、俺はもう帰るよ。そっちは体も冷えてるだろうし、早くお風呂にでも入って、体を温めてね。おやすみー」


 なるべく気安い感じで言葉をかけ、俺は自室に引っ込む。それから少しして、隣の部屋の扉が開いた。


「ただいまー! 遅くなってごめんね! 寂しくなかった!?」


 さっきとは打って変わって、藍川が明るい声を出している。一瞬ぎょっとするが、すぐに合点がいく。


「……本当はすごい辛いけど、妹には元気な姿を見せたいってことね」


 お姉ちゃんの健気さに胸を打たれる。と同時に、相当な無理をしているだろうことを思って心配になる。

 俺が関わるべき相手ではないことは百も承知だが……放ってはおけない気持ちになっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る