第4話
ずる、……ずるっ。ずる。ぱきッ、ずる……。
何か引きずる音が聞こえた。時折混じるのは何かが折れる音。それは木の枝が折れる音と酷似している。
重い瞼を無理やり持ち上げたジルはかすれた視界を鮮明にすべく瞬きを繰り返した。
黒い靄がうぞうぞと忙しなく動いている。その手のような部分には赤と白の棒が握られていた。黒い靄がルゥルカだと気付いたのはその手に握られているのが道端に転がっていた男の腕だと知った時。男の亡き骸を皮袋に押し込んだルゥルカは当たりをきょろきょろと見渡した。
血だらけで伏しているジルの事も死体だと思ったのかルゥルカが皮袋を広げた。他の死体と同様に皮袋に仕舞おうとジルの腕に触れた。
「……」
ルゥルカが息を飲み込んだ。生者に興味はないのかジルの腕を離すとこの場を離れようとする。
ジルは咄嗟にローブの裾を掴んで止めた。
「待って」
痛みで蠢きながらジルはルゥルカの胴体に縋り付く。
「助けたい人がいるんだ」
ルゥルカがジルの腕を解こうともがく。
ジルは離れまいと拘束する力を強めた。
「俺を助けて。その人を助けたら俺の体は好きにしていいから」
ルゥルカは抵抗するのを諦めたらしい。小さな舌打ちと共にジルの腹部に衝撃が走った。
***
——殴られた。
そう気付いたのは、視界に広がる緑を見た時だった。スラム街では到底見ることができない自然豊かな光景と殴られた腹部や側頭部の痛み具合から長い間、自分は気絶していたのだとジルは悟った。
血を流しすぎたのか、殴られた衝撃からか意識が朦朧としている。どうにか意識を覚醒させようとした時、
「いっ」
次に背中、最後に後頭部にも衝撃が走る。
衝撃は止むことはなく、次々と襲い掛かるため慌てて体を起こそうとした。
けれど、満身創痍の体は言う事を聞かない。諦めて顔だけ持ち上げることにした。
「ルゥルカ?」
ルゥルカがジルの右足首を掴み、引きずっていた。
「痛いから、引きずらないで」
ジルの懇願が聞こえないのかルゥルカは引きずり続ける。反応を返さない事にムッとしながらジルは再度、体を起こそうとした。
——結果、無理だったので諦めた。引きずられる続ける道を選んだ。
どうやら自分の体を襲う衝撃は石や木の根のようだ。この苦行はいつまで続くのだろうか、とジルが考え始めた頃、ルゥルカは足を止めた。
「ここは?」
またもルゥルカは応えない。ジルをその場に残すと鬱蒼と茂る木々の中、世俗から姿を隠すよう造られた煉瓦の小屋に入っていく。
扉が開けたままになっているので、恐らくジルを招いてくれているのは分かった。
ジルは小屋を目指して這いずった。時間をかけて小屋へ入るとルゥルカの舌打ちが聞こえた。遅かったことに苛立っているようだ。
ごめん、とジルが謝罪を口にする前にルゥルカはジルの襟首を掴み上げ、乱暴な動作で小屋の奥へと引きずっていく。一番奥の窓が一つもない薄暗い小部屋にたどり着いたルゥルカはジルを端へと放り投げると中央に置かれた机の上で袋を逆さまにした。勢いよく上下に振られた袋から人と思わしき物体が滑り落ちた。腐汁に濡れたそれはジルの場所からよく見える。腐乱した肌は青黒く溶けて、もぞもぞと表面が揺れ動いている様や所々空いた穴かうじ虫が顔を覗かせている様が。
スラム街育ちのため腐臭は慣れ親しんでいるが遺体をまじまじと見ることがなかったジルは両目を大きく見開かせた。ルゥルカか死体を買い取っていることは知っていたが何をするかは誰もしらない。急に恐ろしくなる。
そんなジルの不安をよそに、ルゥルカはピンセットでうじ虫を摘み、皿へと移していく。慣れているのか手際がいい。
うじ虫を全て取り除いたら遺体に水をかけて肌にこびりついた血を擦り取り、溜まった膿を流し始める。表面が綺麗になったら今度は喉奥へ水を流し入れ、遺体をうつ伏せにして背中を押してを繰り返す。吐き出される水が透明に近い色合いになった頃、遺体の肛門にまで水を流し入れた。細い棒を差し入れて、中身を搔き回し、可能な限り綺麗に洗浄する。
体を綺麗にしたら次は溶けて空洞となった両眼に
「ふぁるがぎゃ じゅあ ぢゅらじゃう るぅ るかぁ」
ルゥルカが不可思議な言葉を発すると遺体はぎこちなく動き始めた。パキッと何かが割れる音を響かせながら、油が切れたブリキ人形のように、魂というものが感じられない無機質な動きで上半身を起こす。
どう見ても動くことがない死体が自ら動き出した。ジルが目を剥く傍らでルゥルカは死体を舐めるように見渡し、ぎひぎひと笑い声なのか分からない不気味な声を発した。
放心したようにその光景を眺めるジルをよそに、ルゥルカはもう一体、また一体と屍を作り直していく。
結局、ルゥルカは五体もの死体を作り直した。
その間、ジルには一瞥もくれなかったが、空腹から食料を探しに部屋を出て行こうとしたら
ルゥルカの許しが出るまでの間、ジルは空腹と眠気と戦いながら連れ去られた親友について考え込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。