第3話


 祖父の遺体を眺めていたルゥルカはしばらくするとローブの中からくたびれた札束を取り出して、ジルの足元に放り投げた。

 拾い上げるべきか悩んでいるとルゥルカは札束とジルの顔を見比べる。言葉はなくても早く拾え、と言っているのが分かった。

 ジルが拾い上げると早々にローブから小さめの皮袋を取り出して、祖父を皮袋に押し込み始めた。


「なあ、ルゥルカ。この金ってどこから持ってきたんだ?」


 アベルの質問に、ルゥルカは答えない。手際良く死体を皮袋に押し込んでいる。サイズ的に死体が全て入るわけないが皮袋自体に魔法がかかっているためかするすると仕舞われていく。


「ただの死体にこんな大金って普通支払わないだろう?」


 ルゥルカは答えない。死体を皮袋に仕舞うことだけ考えているようだ。

 それでも問いただすアベルを横目に、ジルは札束を前に目を輝かせた。


「やばいな。こんな大金、初めて手にしたよ。アベルは何か欲しいものある?」

「え、買ってくれるの?」

「そりゃあね。俺達の仲だろ?」


 いたずらっぽく笑えば、アベルも笑う。

 しかし、その笑みはすぐさま崩れ去った。


「誰だ?!」


 きっと眉尻を吊り上げたアベルが片手を前に突き出した。魔法を発動させる気だ、とジルはすぐさま横に移動して、アベルが戦いやすいように位置を変えた。

 アベルが睨みつける先には純白のマントを纏った男が立っていた。マントから覗く白金の鎧には、この国の象徴である龍の姿。腰には王家の家紋が印された剣が下がっている。


(聖騎士?!)


 マルハラ街で見た事がある姿にジルは酷く驚いた。彼らの使命は王侯貴族の安全を守る事であり、このようなスラム街に決して訪れる事がない人種だ。

 聖騎士はアベルの前で恭しい動作で膝を地面についた。汚れた水溜りに浸かろうが眉は一ミリたりとも動かず、ただ静かにアベルを見つめる。


「ジル! 逃げて、早く、離れて!!」


 顔色を変えたアデルの叫びに背を押され、ジルはアベルの片手を掴んで走り出そうとした。

 けれど、掴んだ手に凄まじい痛みが走り、ジルは痛みに呻き、その手を離した。振り返ると男が剣をまた振り上げるのが見えた。

 アベルが静止の声をあげる。

 だが、男は動きを止めない。迷うことなく振り下ろされた剣はジルの側頭部を殴打した。ぐわん、と視界が揺れ、ジルは倒れ込んだ。鈍い痛みと薄汚れた衣に汚水が染み込む不快感に顔を歪めた。倒れ込んだ体勢のまま、ジルは眼球だけを動かして、どうにか状況を探ろうとした。

 ジルが生きていることに男は気づいたのだろう。面倒くさそうにため息をはくと次は剣をさやから抜くのが見えた。


「やめろ。彼はの命の恩人だ。これ以上、痛めつけるな」


 聖騎士とジルの間で、ジルを守るように両手を広げたアベルは、今まで見たこともない怒りの形相で睨みつけた。紅玉の瞳には怒りの炎が宿っている。赫く、深く、澱んだその色は美しさとはかけ離れているはずなのに目を離すことができない。


「お迎えにあがりました。王女」


 赫に射抜かれた男は初めてその固い表情に動揺をみせた。また優雅な動作で膝をつこうとするが、先ほどと比べると動きがぎこちない。

 地面に伏せながら別の意味でジルは驚いた。男はアベルを「アデライト王女」と呼んだ。アデライトという人物が誰なのか学のないシルヴァンは分からない。

 だが、王女という単語は知っている。この国を統べる存在、聖騎士である男が守るべき存在、自分のようなスラムの犬が近付いてはいけない尊ぶべき存在。

 嘘だ、と信じたいがアベルが時折、見せる仕草や言葉遣いが高貴な身分であることは薄々気が付いていた。


「もう一度、言う。彼に手を出すな」


 今も自分より上背のある男を前にしているのに臆することなく、毅然とした態度で男を睨めつける。


「しかし」

「お前は、私に命じるほど偉いのか?」


 周囲の気温は徐々に上がっていく。ゆらり、とアベルを中心に陽炎かげろうが立ち上る。


「ぅ、あ、べる」


 痺れた舌で名前を呼べば、アベルはぱっと振り返った。


「ジル、頭は痛い?」

「……あぁ」


 痛いに決まっている。腕が動かないため確認できないが、きっと血が流れているはずだ。

 だって、一向に痛みは引かないのだから。それどころか意識が薄れていくのを感じる。


「ジル、お別れだ」


 アベルは泣きそうな顔をしながらも、気丈に笑顔を浮かべた。共に暮らし初めて七年間、初めて見たぎこちない笑顔だ。

 ジルは腕を動かそうとした。今、アベルを食い止めなければ、きっと後悔すると思ったのだ。

 しかし、腕は動かない。ジルの思考とは裏腹に瞼は落ちてゆく。


「今までを守ってくれてありがとう。親友でいてくれてありがとう。……裏切って、ごめんな」


 霞んでいく世界のなか、アベルの頬を伝う涙が見えた。

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