7.距離

 さっき見た、唯華ちゃんのむき出しのうなじと背中が目に焼き付いて動悸が収まらない。

 これじゃ私が変態みたいだけど、唯華ちゃんに呼ばれたし、覗いた訳じゃない。


「旭?」

「はいっ!?」

「そんなに驚く?」


 梨華の髪を乾かし終えて、さっきの唯華ちゃんを思い出していれば、唯華ちゃんが出てきていたことに気が付かなくて、過剰なほど驚いてしまった。

 やましい事なんてないのに、唯華ちゃんを見られない。


「どうしたの?」

「なんでもないです」

「そう? 手伝ってくれてありがとね」

「ううん。休みの日と、帰りが早い日は手伝うね」

「ありがとう」


 この笑顔を見るために、毎日早く帰ってきたい。


「明日から仕事だけど、朝ごはんは?」

「仕事の日は基本食べないから、大丈夫」

「食べた方がいいよ。おにぎり作るから、持っていく?」

「大変じゃない?」

「全然」

「じゃあ、お願いします」

「はい。お願いされました」


 毎朝、唯華ちゃんが作ってくれたおにぎりを食べられるっていうだけで頑張れそう。


「帰りも多分遅いから、私の分の夜ご飯は大丈夫だからね」

「……ん。分かった」

「じゃあ、下に戻ろうかな」

「あーちゃん、いっちゃうの?」

「もう寝る時間だからね。梨華、明日幼稚園行ってらっしゃい」

「うん!」


 悠真にもおやすみの挨拶をして、後ろ髪を引かれながら部屋に戻った。



「旭、おはよ。スーツなんだね」

「唯華ちゃんおはよ。そうそう。スーツでの出勤、久しぶりだよ」

「よく似合ってる」

「本当? 嬉しいな」


 翌朝、着替えをしてリビングへ行けば、唯華ちゃんがキッチンから声をかけてくれて、しかも褒めてくれて、誰が見ても分かるくらいニヤニヤしていると思う。


「はい、これ」

「ありがとう!」

「行ってらっしゃい」

「……うん。行ってきます。幼稚園の送り迎え、気をつけてね」

「ん。気をつける」


 唯華ちゃんから行ってらっしゃい、って見送られるとか、もしかして毎日こうだったりするの? 幸せすぎてどうしよう……



「田中、帰任早々悪いんだが遅れてる案件があって。これから打ち合わせ入れるか?」

「はい。大丈夫です」


 出勤して色々手続きを済ませ部署に到着するなり、上司に呼ばれたかと思えばプロジェクトメンバーに加わることになって慌ただしい初日が始まった。この感じ、懐かしいな……

 5年も離れていたけれど、半分くらいは知っている顔で安心する。

 今日からまた、新たな気持ちで頑張ろう。



 仕事は忙しいけれど、平日の朝に唯華ちゃんと、週末に梨華と悠真と会えることで自分でも驚くほど調子が良い。

 帰国してもうすぐ3ヶ月になるけれど、すごく充実した日々を過ごせている。


 仕事を終えて家に帰れば、22時を過ぎているから当然唯華ちゃん達は居なかった。両親も部屋に戻っているのか静まり返っている。

 明日には梨華と悠真と会えると思うと待ち遠しいな。


 週末は梨華と悠真と入ることが多いから、平日に1人で入るお風呂はなんだか寂しい。ちなみに、唯華ちゃんとはまだ入ったことは無い。入れる日が来たらいいなぁ……


 明日2人と沢山遊んであげたいしもう寝ようかな、と思えば悠真の泣き声が聞こえてきた。



【唯華ちゃん、大丈夫? 何か出来ることある?】

【ありがとう。上に来て貰える?】


 迷った末に連絡をしてみれば、すぐに返事が来た。

 2階に上がれば、唯華ちゃんに抱っこされた悠真は大泣きで、梨華も起きてしまったのか唯華ちゃんにくっついてぐずっているみたいだった。


「唯華ちゃん、ただいま。何すればいい?」

「旭……ごめん。おかえり。梨華お願いしてもいい?」

「……っ、分かった。梨華、あーちゃんの所においで?」


 眉を下げてお願いしてくる唯華ちゃんが可愛すぎて、一瞬反応が遅れてしまった。


「あーちゃん……」


 涙をいっぱいためて近寄ってきた梨華を抱き上げて、寝室に連れていき背中をトントンしていれば、眠かったのかすぐに眠ってくれた。


「唯華ちゃん、梨華寝たよ。悠真どうしたの?」


 梨華を布団に寝かせてリビングへ行けば、悠真も落ち着いたのかウトウトしていた。


「夜泣き。最近はなかったんだけど……」

「あ、夜泣きなんだ。凄いんだね……」


 あんなに全力で泣くんだ……知らなかった。


「疲れてるのにごめんね」

「全然。むしろ会えて嬉しい」


 会えるのは明日の朝かなって思ってたし、なんだか得した気分。


「悠真目開いてる?」

「ううん。寝たんじゃないかな」

「寝かせてみようかな」


 寝室に戻る唯華ちゃんについて行けば、悠真を寝かせて、愛おしげに2人を見る視線に、昔は私にも向けられていたのに手放したんだよな、と何度目か分からない後悔をした。



「旭、来てくれてありがとう」

「ううん。いつでも呼んで」


 リビングに移動して、唯華ちゃんの対面に座れば、お礼を言われたけれど、頼られて嬉しかった。困ったことがあった時に、真っ先に頼られるようになりたい。


「ふわぁ~」

「あ、ごめん。眠いよね。なんか普通に座っちゃったけど、部屋戻るね」


 欠伸をして、目を擦る唯華ちゃんが幼くて可愛い。私より年上だけど。

 本当ならもっと一緒にいたいけど、眠そうだし、明日も会えるから、と自分に言い聞かせて立ち上がった。


「戻るの? 眠い?」

「え? ううん、私は眠くないけど、唯華ちゃん眠いかな、って」

「眠くない」


 最近思ったんだけど、唯華ちゃんって甘えん坊なのかも? 昔はこんな拗ねた表情を見せてくれることなんてなかったし。きっと、私が子供で甘えられなかったんだろうなぁ……


「じゃあもうちょっと居ようかな」

「うん」


 満足気に頷いた唯華ちゃんが可愛いし、居ていいって言ってくれてるって事は、唯華ちゃんも少しは好意を持ってくれてる、って思ってもいいのかな……

 関係を進めたい気持ちもあるし、気持ちを押し付けて距離を取られるくらいならこのままでいい、とも思う。


「旭、考え事?」

「あ、ううん。何でもないよ。土日は何しようねー?」


 天気も良さそうだし、公園もいいよな、なんて思っていたら、唯華ちゃんはなんだか微妙な反応。


「唯華ちゃん?」

「旭、買い物とか、梨華と悠真の面倒とか……毎週付き合ってくれて負担じゃない? 自分のやりたいことやって?」


 うん?? もしかして、嫌々付き合ってると思ってる?

 週末が私の楽しみなのに??


「週末に唯華ちゃんと梨華と悠真と過ごすのが私の楽しみなんだけど……」

「え?」

「無理して一緒にいるわけじゃないし、私がそうしたいからだから。迷惑じゃないなら一緒にいさせて欲しい。……私がいると迷惑?」

「……ううん。そんなことない」


 そう言ってくれたけれど、なんか苦しそうなのは本音を隠してるから?


「ごめん。なんか無理やり言わせてる? 唯華ちゃんが嫌がることはしたくないから、頻度を減らした方がいい、かな?」

「そうだね……ごめん」

「ちなみに、週1は多い? ……よね。隔週? 月1、とか?」


 唯華ちゃんの反応は思わしくない。私の存在が負担になってるなら、少し距離を置いた方がいいのかな……帰国してから、近くにいられるのが嬉しくて調子に乗ってたのは確かだし。

 唯華ちゃんだって自分の予定があるもんね。


「同じ家だから梨華と悠真が行っちゃうかもしれないけど、私達を優先しなくていいから」

「……うん。分かった」


 これは、遠回しの拒否って事なのかなぁ……

 なんだか気まずい空気が流れて、無言のまま時間だけが過ぎていく。


「そろそろ寝ようかな」

「あ、うん。じゃあ下に行くね。おやすみ」

「うん。おやすみ」


 甘えてくれたと思ったのに、また距離が遠くなった気がする。少しは大人になったつもりなのに、こういう時にどうしたらいいのか分からない私はあの頃から成長していない。


 どうしたら唯華ちゃんに気持ちが伝わるのか、分からなかった。

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