第39話 古の契約
バルセロンダが眠る寝台の傍らで、椅子に座りながらラナウィはじっと彼の顔を見降ろした。
目を閉じていても、整った美しい容姿は損なわれない。それどころか長いまつ毛が陰影を作って妖しい魅力を醸し出している。
本当に何をしていても、様になる。美しいというのは、一種の才能なのだなと感心するほどだ。平凡地味顔のラナウィとは、もう根本的な何かが違うと思う。
そんな彼の頬に残る赤い筋を一撫でして、ラナウィは慌てて手を引っ込めた。
つるりとした肌を堪能してしまった指先は震えている。我に返って、なおさらに。
自分はいったい何をしているんだ。
我慢をすることは、もうそれと意識しないで行ってる。当たり前すぎて、自分がいったい何に我慢しているのか理解するよりも前に。
これまで自覚している我慢なんて小さなものでは授業中の眠気だとかで、大きいものでも病気の時に母に会いたいと願うことくらい。
だというのに、彼に触れるのをぐっと我慢するのには忍耐が強いられた。
ひっこめた手をぐっと握って、思わず恨みがましい目をむけてしまった。
次期女王として邁進している。誰よりも何よりも優れた後継者であると、周囲に知らしめたい。願うことはそんなことばかりなのに、バルセロンダがいるだけで誘惑されているような気がする。不敬罪で処罰してやりたい。きっと彼は慌てることなく、城を出ていくだろうけれど。
思考は流転して、ばかばかしくなった。
結局、ラナウィの一方通行だと知っている。
きっかけは物語の憧れた黒騎士に似ていたからだけれど、バルセロンダを知れば知るほど、彼に惹かれている。黒騎士と似ているところなんて髪色くらい。あと剣の腕だろうか。性格も美しすぎる容姿も異なるところをあげるほうがずっと簡単で、ずっと多い。
だというのに、心の内にある熱い感情はどこまでも甘くて苦しい。
呪いがかって倒れた瞬間に、自分のこと以上に苦痛を伴った。
苦しくて、すぐに彼の傍に駆け寄りたかった。
あの時のことを思い出して、ラナウィはぐずぐずとバルセロンダが目覚めるのを待っている。
バルセロンダは単純に眠っているだけだ。
だから、それほど心配することもない。
医者からはそう説明されたが、ラナウィは離れがたくて、なんとなく足を向けてしまった。そうして、半時ほど眠るバルセロンダを眺めている。
あの闘技会が閉幕した後、別室で女王と魔法局長、近衛長と宰相の前で事情を説明した。もちろんハウテンスとヌイトゥーラも同様に。
サンチュリは元の姿に戻っても起きる気配のないバルセロンダをひとまず医務室へと運ぶ際の付き添いとなっているため、いない。
隣国の第二公子がベルジュを呪具に代えて、対戦相手を眠らせてしまったこと。女王にも呪いをかけて傀儡に仕立てあげようとしていたこと。それに気が付いたハウテンスがヌイトゥーラに頼んで解呪するための方法を考え実行したこと。
ラナウィの説明に、ハウテンスがところどころ補足しながら、すべての話を終えると四人の大人たちは頭を抱えた。
「私に呪いをかけるだなんて」
「ですが確かに陛下の様子が変わっておられたので、事実であると判断するしか……あの時、なんと口にしようとしていたか覚えておられますか」
「いえ、意識は途切れているわ。私は何か発言したの?」
「ラナウィ様の婚約者について話そうとなさっていました。隣国が関わっているということは、公子のどちらかということではないでしょうか」
母のつぶやきに、近衛長が痛ましげに眉根を寄せて答えた。
「とにかく今回の優勝者は無効になるわ。繰り上げてあの女性を優勝者にすることもできないし、内々で処理するしかないわね」
「ボーチ卿と決勝戦を戦った女性ですな。少女のような小柄な方でしたがかなりの腕前でした。平民にしておくのはおしい逸材でした。しかし、それで熊虎騎士団長が納得するかどうか」
「ボーチ卿は何も覚えていないのでしょう?」
倒れた後に意識を取り戻したベルジュは闘技会に出場することは覚えていたが、今日のことはまったく記憶にないという話だった。むしろ今日の日付を聞いて驚いていたほどだ。結局、ベルジュから熊虎騎士団長を断罪するのは難しいと判断せざるを得ない。
「向こうだって真っ黒な腹の内を探られたくはないでしょうから手を引かせるわ。大丈夫、いくつかは脅すネタを掴んでいるの」
「ということは問題は隣国ですか。それほどまでにかの国は姫の力を欲しているとは。今後も対応には気を付けなければなりませんね」
宰相が厳しい顔をしたまま重々しく告げれば、ハウテンスが同意する。
「あちらの執着は異常だと感じます。今回の騒動も手間をかけて得るものはラナウィの婚約者という立場でしょう。割に合わないと我々ですら考えるのに、それほどの力を見せつけたのですから。呪いの強さはかなりのものなんだろう、ヌイト」
「そうだね。ボーチ卿はかなりの長い間呪いの媒介に侵されていたようで、今も意識が戻る様子がありません。呪いを解くために、僕は神蛇を召喚しなければなりませんでした」
「神蛇だって?」
魔法局長が頓狂な声を上げて、大仰にのけ反った。
「神話の時代の古文書にすら存在を消されているほどの存在だ。どれほどの代償を払った……」
召喚術は魔法の中でも特殊だ。大きな存在を召喚するためにはそれに見合った魔力と生贄が必要となる。
それを誰よりも理解している魔法局長の顔色は悪い。
愛息の天才的な魔法は理解しているが、感情がついていかないのだろう。心配するのは親心である。
「それが代償は強力な呪力を食べさせることだったよ。だから、魔力をもっていかれるだけで済んだんだ」
「それでも魔力はとられたんだろう」
「大した事ないから大丈夫だよ、お父様。それよりも問題は神蛇が満足するほどの強大な呪力だったということなんだ。僕は召喚した時に、還ってもらうためには魔法局にある秘蔵の呪具をいくつか提供しなければと考えたんだけど……」
「あれ、ヌイト!? 魔法局の秘蔵品は手を出しちゃだめだよっ」
「お父様、神蛇を放置するほうが危険だよ。国が物理的に滅んじゃう。国の危機には仕方ないことなんだから、潔く諦めようね」
にこやかにヌイトゥーラは諭しているが、魔法局長は涙目になっている。
可愛い息子が父が大切にしている魔法局預かりの宝を狙っていたなどと夢にも考えていなかったのだろう。
「保管ばかりしていないで、たまには有効に使うべきだよね」
今回の場合で言えば使ったとたんに解呪されてしまうので、宝物はゴミになるけれど。ヌイトゥーラにとってはそれほど貴重にも思えないのだろう。
無情な言葉に魔法局長はがっくりと肩を落としている。
「今回は無事に済んだけれど、次は同じくうまくいくという保証はありません」
「婚約者を決定するべき、と貴方は考えるの」
ハウテンスの厳しい言葉を受けて、母は静かに問いかけた。
けれど、ラナウィは心臓がぎゅっと握りしめられる心地がした。
我儘はおしまい。選ぶべき相手を選ぶべきだ、と現実を突きつけられている気がする。
「婚約くらいで相手が諦めるとは思えませんが、まあ牽制にはなりますか。ただ、『魔女王』の後継者は恋愛しなければならない。相手は身分も才能も容姿も関係ない、ただ彼女が愛する者であること、でしょう?」
ハウテンスの問いに大人たちは黙り込んだ。
ラナウィの恋の先は、誰でもいいわけでもない。できれば、『箱庭』に集う者たちの誰かであるべきだと母たちを筆頭に考えているのだ。
『三英傑』の後継者を差し置いて、『魔女王』の後継者が恋する相手がいるのか。
宗教のように刷り込まれた当然の思い込みが、ラナウィを縛り付けて身動きをとれなくさせている。それは時期女王としての期待と重圧と似ている。
「僕たちはまだ十歳ですからね、一生を決めるような恋にはまだ遠い」
「あら、ラナウィは振られてしまったのかしら。娘はそれほど魅力がない?」
「そうではなく、僕たちが姫の気持ちを動かせるほどの魅力がないと言っているのです。それに、問題があります。僕たちはまだ揃っていない。ヌイトとも話しましたが、僕たちの関係は契約です。実際に会ってみて実感しましたが、この契約はひどく厄介なものです、思考ではなく感情を縛る。魂といったほうがいいかもしれない。とにかく普通じゃない」
「どういうこと?」
「当事者以外に説明することはひどく難しいのですが、とにかく三英傑の後継者と『魔女王』の後継者が揃って初めて完全に動くものだと考えます。つまり『剣闘王』の後継者が現れるまで僕たちの関係は動きようがない」
「無理やりどうこうできるものではないということね」
「姫に恋愛をしていただきたいなら、それが最善です。ですから、時間をいただけませんか。そのために『箱庭』を、ひいては姫を護っていただきたい」
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