第20話 閉鎖空間
「おいおい、ここどこだ?」
「どちらでしょうかね……」
見渡す限りの平原の中、ぽつんと二人だけだ。
はるか遠くには森が見えるけれど、それ以外特筆すべきことがない。
天気はとてもいいことが有難いかもしれないが、じっとしていると暑くなってきそうだった。
「どっかのダンジョンの閉鎖空間みたいだが……」
「ルーニャ卿はダンジョンに行かれたことがおありですか?」
『冒険者ジャックの大冒険』にもダンジョンなどが出てくる。
思わずラナウィは期待を込めた瞳をバルセロンダに向けた。
「王都近くのダンジョンはよく小遣い稼ぎに利用させてもらってるんだ。つーか、そのルーニャ卿ってやめてくれ。あんたみたいなガキに言われると死にたくなってくる」
「え、死?」
あまりに穏やかでない表現にラナウィは息は飲んだ。
「嫌味で言ってくるやつらはぶっとばせばいいけどさ、あんた相手だとそういうわけにもいかないだろ。そのうえ、本気で言われてるとかマジ無理だわ……勘弁してくれ」
「ええと……?」
「子供のキラキラした瞳向けられても応えられるほどお綺麗な身分じゃないんでね」
「騎士様は騎士様ですよね」
「平民だけどな」
「でも、我が国の騎士は実力ですから。身分は関係ありません」
「本気で言ってんだもんなあ……とにかく、バルセロンダ、だ。バルスでもいいぞ。敬称もなしだ、わかったか」
「は、はい」
自分の見ているものはちっぽけで、彼ほどの高い視点になれば広がるのかもしれないとラナウィは考えた。
きっと子供だからとかで彼は片付けてくれたのだろうけれど、次期女王候補としては必要なことだろうと思われたからだ。
だから、今はわかったふりをして頷く。
「で、ここほんとなんなんだ。とりあえず、森にむかってみるか」
「はい」
二人で歩きだしたけれど、ちっとも森に近づけない。
むしろ同じところにいるような気がする。
ラナウィはハウテンスに何をお願いしたのか、もう一度考えてみた。
落とし穴に落とす――は、転移魔法陣だ。
一室に閉じ込める――は、たぶんこの場所だろう。
ここにきて、ようやく規模の大きさに気が付いた。
あれ、これって子供らしい可愛い悪戯の範囲で済ませられるのだろうか、と。
あれれ、と思うけれど今更考え込んだところでもう始まってしまったものは仕方がない。しかも、自分が頼んだのだから、甘んじて受け入れるべきである。
あとは水鉄砲と、食べ物だったか。
どこかでヌイトゥーラたちが眺めているはずだが。聞いていたのは魔道具を使ってバルセロンダを水浸しにするというのと、しびれるような食べ物をぶつけると聞いていたが――。
「だめだ、進んでいる気がしないな。ん、ありゃあなんだ?」
遠くに黒い煙のようなものが揺らめている。だがよく目を凝らすと、黒い粒の集合体だ。宙に浮いて蠢いている。
いや、よく見ると球体に口がついている。だらりと舌をのばして、鋭い歯をカチカチとかみ合わせていた。
「やば、ありゃドンパンだ!」
「ドンパン?」
「森とかにいる果実型の魔物だ!」
「人を食べるのですか?」
「食べてと襲い掛かってくるんだよっ。標的に物凄い勢いでぶつかって弾けるんだが、緑色のヘドロみたいな塊がくっつくんだ。超強力な浄化魔法でしか洗浄できないから、遭遇したくない魔物の上位に君臨している。とにかくムダ金にしかならないからな、逃げるぞ!」
さすが博識なハウテンスはやることがえげつない。まずい食べ物を食べさせるだけでよかったのに、まさか食べ物型の魔物を寄越すだなんて。
だがドンパンから逃げようと足掻いたところで、一向に先に進めない。
そして、後ろに迫りくる果実の群れ――。
食べてぇと耳鳴りのような声を上げて勢いよくぶつかってくる。ものすごい痛い。大半はバルセロンダが防いでくれたが、それでも数が多すぎる。二人して緑のヘドロまみれになったところで、ようやく襲撃が終わった。
けれど、とにかく臭い。
酸っぱいようなつんとくるようなよくわからないにおいがする。
ずっと嗅いでいると気持ち悪くなってくる。
「あーくそ、姫様は大丈夫か」
「貴方に姫様と呼ばれるのはなんだか馬鹿にされているような気がするので、名前で呼んでいただけません?」
「ほんと、やりづらいお姫様だことで。へーへー、ラナウィ様。そんな口が利けるなら、まあ元気だってことだな」
本当はハウテンスやヌイトゥーラのように呼び捨てで呼んでほしいのだけれど、さすがにそれはバルセロンダが叱責される事態であることは理解しているから、我慢する。
「ありがとうございます。貴方が護ってくれたので、あまり痛みもありませんでした」
「あのなあ、俺はあんたを護るのが仕事なんだよ。お礼とかいらないだろ。むしろ被害にあってることを怒れ」
「でもバルセロンダの方が、もっと痛かったでしょうから」
「俺は身体強化をしているから平気なんだよ。ったく、折れてないよな?」
「折れたことがないので、わかりませんが。動けなくはないので、打ち身程度だと思います」
「はあ、俺、これ殺さるんじゃ……しっかしどうするかな、こんなところじゃあ治癒魔法もかけえられないしな。つーか、打ち身程度って……痛いなら痛いって言え」
「え、でも痛いと嘆いたところで解決しませんし?」
心底不思議になって告げれば、なぜかバルセロンダは絶望的な顔をした。
「ほんと、気持ち悪いな。五歳児ならもっと子供らしく泣き喚け!」
「ええ?」
女王とは国で暮らす人々の仕事を与え、平穏な暮らしを約束することだと教えられてきた。それがこの国を建国した『魔女王』の意思であり、願いだ。王家は、王族はそのためにあると言われ続け、教師たちからはそのためのラナウィの在り方を説いた。
我儘でないこと、他人を思いやること、公平に接すること、真面目に学び続けること――どれも己の願いについて語られたことはなかった。
両親も兄も優しいけれど、甘え方を知らない。我儘を知らない。泣くことを知らない。
バルセロンダに気持ち悪いと言われるような子供になってしまった。
「痛いんだろう? なら、そんなの我儘でもなんでもないんだ、ただの事実なんだから」
「でも、バルセロンダは困りますよね? うるさいのお嫌いでしょう?」
「子供が騒がしいのは仕方ないだろ。俺の家だって弟たちはやったらぎゃあぎゃあ騒いでる」
「何人ご兄弟がいらっしゃるの?」
「男ばっかりの五人だ、うるさいだろ」
「兄様は物静かな方なので、想像できません」
「あーあの王子ならそうかもなあ。夕方にカラスがぎゃあぎゃあ鳴いてるだろ。あんな感じだ」
「家の中で……?」
「家の中で、だ」
想像してみて、城というのは存外静かなものなのだとラナウィは気が付いた。
両親も兄も騒ぐというのを見たことがない。
「それはすごいような気がします」
「ふっ、なんだそれ?」
バルセロンダが肩の力を抜いたように笑った。
これまでの皮肉げな笑みではなく、普通に屈託のない笑顔だ。そうすると、彼も成人したばかりなのだと実感する。ひどく幼く見えた。
その時、空からぴちゃんと水滴が落ちてきた。
空は晴れているのに、天気雨だろうか。
ラナウィは上を見上げて、息を呑んだ。
「嘘だろう、なんだあれ……」
バルセロンダが呻くようにつぶやいたのを皮切りに、空中に浮かんでいた水の塊が二人の上に落ちてきたのだった。
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