第4話 初めての夜
披露宴も無事に終えた夜――。
夫婦として与えられた部屋の寝台の上で、ラナウィは灰色の瞳を見つめた。
実際、寝台の近くにある小さな灯り一つだけの薄暗い部屋であるけれど、彼の瞳の色がわかるほどのを真近くで覗き込んで、なんとか口を動かす。
「私に好きな人がいるって知っているわよね」
先ほど寝室にやってきたバルセロンダを寝台の上に押し倒した形になっているけれど、彼はなんとも疲れた様子を見せるだけだった。
それが腹立たしくてラナウィがバルセロンダを睨み付けながら告げれば、彼は苦々しげに頷いた。
それぞれの婚礼衣裳を脱いで、おろしたての夜着に身を包んでいる。
バルセロンダの服の留め金を外せば、すぐに褐色の肌を見ることができるだろう。
それだけの近くにいる。
――頭が沸騰しそう。
冷静にと内心で繰り返しながら、ラナウィは静かに切り出した。
ラナウィの好きな相手が自分だって知ってそんな苦々しげな顔をしているのだとしたら、もう本当に望みなんて一つもないことになる。
だから、もう頭を空っぽにして、何も考えないように機械的に口を動かした。
「私がその好きな人と結婚したいと願っていたのは知っているわよね」
「ああ」
「だから、ヌイトに頼んで魔法薬を作って貰ったのよ」
「魔法薬を?」
ラナウィは小さく頷くとサイドテーブルに置いてあった茶色の小瓶を目の前にかざした。ヌイトから式の直前にもらった魔法薬の入った小瓶である。
この魔法薬は、ラナウィの願いのすべてが詰まっている。
「これを飲んで初めて見た相手が私の初恋の人になるの。記憶が上書きされるのよ。だから、私の態度が急におかしくなっても不審がらないで」
「は? ま、待て、何だって?!」
バルセロンダが珍しく慌てているが、ラナウィは躊躇することなく瓶の中身を呷った。うっと小さく呻いて、こくりと嚥下する。あまりの苦さに顔を顰めた。
味も指定できればよかったのに!
「な、なんでそんなこと……」
茫然としているバルセロンダが、途端に可愛らしく見えた。
あ、これ本当にだめだとラナウィは暁色の瞳を蕩けさせた。
思考が溶ける。理性などなにもなかったように。気持ちが溢れて押さえられなくなった。
「ねぇ、バルス」
初めて、ラナウィはバルセロンダの愛称を呼んだ。
するりと口からこぼれて、とても愛しげで甘やかに耳に届く。
こんなふうに彼を呼ぶ日がくるだなんて信じられなかった。ただ、ひたすらに胸に湧くのは愛情だ。それは喜びでもあった。
「ま、待て。本当に、ちょっと落ち着け……っ」
「落ち着いているわ。貴方は、何を慌てているの? 今夜は私たちが夫婦になる初めての夜なのよ」
常に泰然自若として落ち着いている男の慌てぶりが不思議だけれど、何よりヌイトゥーラの魔法薬の効果が絶大だ。ラナウィは首を傾げて、瞳を細めて微笑んだ。
今まで強張った顔しか作れなかったのに、自然と笑顔が作れているのだから。もうこれで気持ち悪いなんて言われることもない。
「お前、今の状況が分かっているのか……?」
「状況だなんて、もちろん分かっているわ。だから、初夜でしょう? 好きな相手に初めてをあげられるのだもの。とても嬉しいわ」
初めての夜なのに、罵り合いとか喧嘩とかしなくて済みそうで嬉しい。
一緒にいれば、二言目には口論になっていたのだ。
「ラナウィ……嘘だろう……?」
「どうしたの、嘘なんてついてないわ。いつもみたいにラーナと呼んで?」
「それは――っ、お前は、俺のこと……」
「愛しているわ、バルス」
頬を染めて、さらりと告げられた言葉が誇らしい。
ラナウィは満たされた気持ちで、バルセロンダの頭に手を伸ばした。
「ずっと、こんなふうに貴方の瞳を覗き込んでみたかった。この艶やかな髪を撫でてみたかったのよ」
彼の灰色の瞳が目いっぱい開かれるのを見つめながら、漆黒の髪に指を絡める。
「ああ、とても柔らかいのね。他の女性も知っているのかと思うと腹が立つけれど」
「はあ!? 俺が、なんで……」
なぜか顔色を変えたバルセロンダに、ラナウィは流し目を送った。
数々の女性と浮名を流していたのを知っているだけに、面白くないけれどそれでも別にいいのだ。
「昔のことはもういいわ。でも、これからは私以外、触らせないでね?」
「お前……ほんと、もう……」
バルセロンダは、呻くように告げただけで、明確な言葉にはならなかった。
どこまでも苦しげな男の様子に、可哀想になってラナウィは想いを込めて、優しく彼の頬を撫でてあげた。
「可哀想なバルス……でももう諦めて? 折角の二人の初めての夜なのだもの。喧嘩なんてしたくないし。このまま貴方に抱かれて眠りたいわ。ね、いいでしょう?」
ラナウィは上目遣いで、固まった男に艶やかに微笑んだのだった。
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