十六夜に輔(たす)く
犬飼 拓海
日暮れとメッセージ
――消えたい
そう
『衝動に任せないように一回椅子か何かに座って』
『椅子がなければ最悪床』
と送信して反応を待ってみる。すぐに反応があると信じたかったがその思いとは裏腹に、一分、二分と経っても返信はおろか既読すらつかない。脳裏にあの"二文字"が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。
「どうしたんだよ……」
小さく言葉が漏れる。気が付けばチャットの音声通話のアイコンをタップしていた。
――どうか繋がってくれ
通話停止のボタンに近付けた指がぷるぷると小刻みに震える。一抹の恐怖と緊張が全身の筋肉を支配していく。
ふと発信音が途切れ、ぶつっと言う小さなノイズが聞こえた。つながったのかと思い画面を覗き込んだが、そこに映っていたのは『消えたい』と書かれた彼女のメッセージと『応答がありません』という無機質な文字だけ。もう一度、もう一度かければ何とか繋がってくれるだろうと言う淡い期待に任せて「もう一度発信する」のダイアログをタップする。
応答はない。
はっと思いつき片目でスマートフォンの画面を確認しながら体をパソコンへと向け、"ある人"に連絡を入れる。
犬飼拓海――畜生……
――一番最悪なことが起こった……
勢いのままに送信された二つのメッセージはオフラインの表示となっていた彼を一瞬でオンラインにさせた。
古井論理――なにがあった
すぐさま為された彼の返信に少々の安堵感を覚えながらも、小刻みに震える手でキーボードを叩いて状況を説明しようと試みる。
犬飼拓海――さゆさん緊急事態
そうして振り絞られた答えがこれだった。
古井論理――なんだと
――生命に関わるか
犬飼拓海――もう疲れた、ごめんもう消えたい。
この後既読なし、通話も三分コールしたが反応なし
古井からの返信を待つ間、僕は紗優とのチャットを閉じて彼女との共通の友人である『佐藤』に連絡を取ってみる。
たくみ『メーデーメーデー』
どこかに出かけているのだろうか、普段なら一分も経たずに反応を見せる佐藤が返信を寄越さない。頼れる人間は古井だけ、実働できるのは自分だけという状況で、僕は行こうか行くまいか決めあぐねていた。
古井論理――うわわわ
――家に行け
――首をくくったのなら20分以内で志望確率が100%になる
犬飼拓海――まじかよ
『首を括る』『二十分以内で死亡確率が百パーセントになる』という二つの単語と文に一瞬血の気が引くのがわかった。しかし、まだ首なんか括っていないと信じている自分がいた。どちらかと言えば保身が先走っていくことを後回しにしようとしていただけなのかもしれないが……
同様の余り言葉が纏まらず何度も何度も文章を書いては消し、書いては消しを繰り返していると
古井論理――なるべく早く見つけるんだ
――急げ
ここまで言われても尚、行こうとする僕と「なぜこんな時間に外に出る」と言われ叱責を受けることを嫌がる僕が一騎打ちを繰り広げていた。
犬飼拓海――恐らく家にいると思われるんだ
古井論理――急げ
――家に行くんだ
――親がいるなら部屋を確認するように言ってくれ
――そうしなければ危ない
一分もしないうちにすべてが送り切られる。現在の詳しい状況を説明しようと僕はパソコンでチャットアプリを開いて紗優とのトークをコピーし、古井とのチャットにペーストする。
犬飼拓海――17:12 さゆ 『ごめん』
17:12 [メッセージの送信を取り消しました]
17:13 さゆ 『私もう消えたい』
17:13 たくみ 『うん』
17:15 たくみ 『衝動に任せて動かないように一回椅子か何かに座って』
17:15 たくみ 『椅子なければ最悪床』
17:17 たくみ [通話キャンセル]
この状態
古井論理――まずいぞ……親に連絡!
間髪入れずにわざとらしい三点リーダー二つの並んだ映画さながらの言葉が飛んできた。
犬飼拓海――親の連絡先知らんよ
古井論理――なら家まで走れ
犬飼拓海――あ、佐藤は知ってる
まったくと言っていい程話がかみ合わない。こちらが保身に走っているのがいけないんだと、心ではわかっていた。しかし本能が体を抑え込んでしまう。
古井論理――ぐずぐずしていると死ぬぞ
――家まで自転車で行くんだ
――急げ
――好きな人だろ?
――知っている人が死ぬのは嫌だ
――君だって嫌だろう
――無理矢理にでも止めろ
――紐を切れるものを持つんだ
――いや、何も持たなくていい
――とにかく急げ
私がどうしようかと頭を抱えていた直後、彼から殴り書きの如く連続的に送信されたメッセージが目に飛び込んで、そこで私の何かがくるっとひっくり返ったような感覚がした。
急いで階段を駆け下り、私の母に今あったことすべてを話す。紗優が危険な状態にあること、今から彼女の元へ向かうということ。恋心が察せられるとかどうとか、もうどうでもよかった。ただただ彼女の元へ向かいたい、その一心だった。
「じゃあ、行ってくる!」
母にそう最後言った私は次は階段を駆け上がり、自室に飛び込んで個包装にされたマスクの封を切り、スマートフォンをズボンのポケットにねじ込んで、ロフトベッドの下に雑に掛けられた上着を羽織って家を飛び出した。
玄関には普段から履いているスニーカーがあったが、それで走ると確実に転ぶと確信した僕は靴棚から部活動の時に使っていた青いランニングシューズを履いて走り出した。
夕闇にアスファルトを蹴る音が響く。脳内には彼女のことが反芻される。
先ほど別個で連絡を入れてみた佐藤の家にも行ってみたがどうやら彼は家にはいない様子で、これはインターホンを鳴らして待っているほどの余裕はないと判断した僕はまた街灯一つない真っ暗な住宅街を駆けて行った。呼吸の速さが自分の足が回る速度に比例して早くなる。
途中、ポケットに入れているスマートフォンが揺れて邪魔になっていると感じた。
スマートフォンは手に握って、常にどこでも連絡が入れられるようにした。
信号に引っかかって、少し手元に余裕ができた。
彼女に電話をかけてみる。
反応は、ない。
「畜生……畜生……」
小さく呟きながら青信号になった横断歩道を走り抜けて、何度か角を曲がって彼女の家まであと少しというところで古井に通話をかけた。耳にあてられたスマートフォンのスピーカーから発信音が鳴り続ける。
「メーデー!メーデー!」
薄くなった息を振り絞って古井に呼び掛ける。
「どうした」
「っ……今っ……走ってる!」
「わかってる。わかるか、残り二分だ。急げ」
「ああ、わかってる……坂きつい!」
一連の会話の中で、自分の声がかなり高くなっていることに気が付いた。同時に持久走の時に頑張って声を張る時の感覚と似ていることにも気が付いた。
彼女の家のある通りに辿り着き、ふっと息を吐くと一瞬で荒くなっていた呼吸が落ち着くのを感じる。
「家にいたら突入するんだ。窓を割っても構わんだろう。というか……さゆさんはいるのか?」
「とりあえず……家には誰もいない……か?明かりがついてない、車はある……」
私が信じていたことが崩れ去った。もしかすると、彼女はここにはいない。別の場所にいるんじゃないかと思った。でも、もしかするとここにいるかもしれない。ほとんどゼロに近い確率に想いを賭けてインターホンを鳴らした。
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