相屍相愛

@kabriri0036

第1話 君の心臓が食べたい

「あ~あ、やっと仕事終わった~」


 多少無理をして定時に会社を終えた俺は、思わず背を伸ばしながら独りごちた。労働なんぞ神が人類に与えた罰に過ぎない。ちゃっちゃっと終えて帰るに限る。


 急ぎ足で勤務先から離れ、徒歩で我が家に向かいながら明日から訪れる幸福な連休の日々に思いをはせる――と同時に、ふと我が家で待っている愛妻の姿が思い浮かぶ。


「早く帰って嫁さんに会おっと」


 そう思いながら通いなれた帰り道をそそくさと歩く。時刻はちょうど夕方6時。上空を雄大な黄昏が覆うとともに完全な夜の帳が下りようとする時間帯。


 クソ暑かった8月も今や後半へと差し掛かり、帰り道に吹く風は秋の様相を醸し出す。未だ蝉は限られた生命を燃焼すべく必死に鳴き続けているが、それも何処まで持つやら。


 浮きたちながら帰路を進んでいると、電信柱の付近で買い物帰りと思われる3人の主婦が自転車を止めたまま、何やらひそひそと世間話に興じている。小心者かつ好奇心旺盛な俺は、少し歩むペースを落として天斑駒あめの ふちこまよろしく耳ふり立てて、主婦達の話をこっそり傾聴する。



「早いわよねー。高木さんとこの娘さんが居なくなってからもう1ヶ月よ~」


「本当、早く見つかるといいわよねぇ。学校側もそうかもしれないけど私達もホント気が気じゃないわよ。」


「もう本当そうよね。アタシの家の娘なんかバレーボールやってるでしょ? 夏の練習とか大会のせいで7時近くに帰ってくるから、正直、不安で不安でさぁ。」


「でも気の毒よね~。そう言えばPTAの新井さんから少し聞いたんだけど、あの娘さん、ご家族で15歳の誕生日祝いを終えた次の日に行方不明になっちゃったんだって。」


「「え~え~!! ホントぉ!? 不幸過ぎない、それ~!?」」



 などといった、学校に生徒を持つ母親達の心配や不安で構成されたお喋りの会話内容を小耳に挟み終えた後、俺は帰宅するペースをいつもの早足に戻す。


「そうか。"1"」



 人気が殆ど無い狭い路地でポツリと呟くと、何事も無かったかのように家を目指す。嫁さんに早く会いたいし、それに何よりも腹が減った。今頃嫁さんは自宅のキッチンで美味い料理を作っている頃だろう――嗚呼、早く彼女の愛妻料理が喰いたい――。そう思うや否や、更に帰るペースを加速させる。


 地元の人しか通らない路地をスムーズに抜けると、ちょうど学校で部活を終えたと思わしき複数の男子生徒の集団を目にする――汚れた服装と所持品から見て野球部か。

 先ほどの主婦の話もそうだが、こんなクソ暑い8月の時期によく運動をしようと思える。社会人とは言え、運動が苦手かつ今の世間一般の価値観からすれば「陰キャ」に間違いなく分類されるはずの俺から見れば、今出くわした生徒達が気の毒としか思えない。

 それに加え、この時期のTVなどで「青春」や「夢」のテーマが混ざった清々しそうな飲料のCMをよく流し、運動や部活動で流す汗やそこで過ごす「青春」とやらを、さも素晴らしいに見せる詐術がまかり通っているが、捻くれた俺からすれば全く理解できない――冷房が効いた部屋の一室でも充分「夢」などは追えるだろうに。


 そんな独り言を心中で一気に吐き出すと、通りすがらに件の男子生徒らの会話が、発する声が大きいため嫌でも耳に入ってしまう。



「あいつホント大丈夫かよ・・・」


「あんな状態じゃ岸田の奴、このまま部活どころか学校も辞めちまうんじゃね?」


「メンタルやられ過ぎて正直、声も掛けづらいよなー。」


「でも、無理もなくない? アイツあの高木さんと付き合って、調子乗ってたところにあんな事が起こるんだからさぁ・・・」


 へぇ、"" でも、正直今時の子は進んでるよなー。俺なんか学生時代にそんな甘酸っぱい思い出や青春何で1㎜も無かったぞ?などと心に思いながら、何事も無かったかのように帰り道をただ淡々と進む。


 やがて、自宅に当たるマンションへと到着し、俺は運動がてら急ぎ足で階段をのぼり、3Fにある我が家へと向かう。途中、同じマンションに住む名前も知らないご婦人と最低限の挨拶を交わした後、俺は我が家の扉を元気よく開けつつ叫ぶ。


「ただいまー!」


「あっ!おかえり~♡」


そう言いつつ愛しき愛妻がエプロン姿で出迎えてくれた。



──うん。やはりウチの嫁は可愛い。天使か。そんなことをふと思っていると──                                          



「お仕事お疲れ様。ご飯もう出来てるから一緒に食べよ!」


「分かった。ちょっと待ってて。直ぐ着替えてくる。」

 

 そう述べた俺は浴室付近にある洗面台で手と顔を洗って嗽を行い、自室でちゃっちっと着慣れた部屋着に着替えると、彼女が待つ食卓へと向かい椅子へと座る。


 テーブルを見ると彼女が腕に縒りを掛けた料理の数々が並んでいる。俺が向い合わせの席に座っている愛妻を見ると、彼女は意気揚々と今晩の料理メニューを紹介してくれた。


「ふふ~ん、今日はねぇー、家の棚にあったツナ缶で作ったサラダと、いつものパン屋さんで買った焼き立てのパンと――ちょうど"115"が食べごろになったから、そのお肉でローストビーフと、ビーフシチューを作ったの♡」


 ノリノリで今日の料理を紹介する愛妻を微笑ましく見ながら適当な相槌を打つと、彼女は席を立ってキッチンにある最新式のオーブンの扉から””を取り出すと更にこう付け加えた。


「あっ!あとねぇ、じゃじゃーん♡ 心臓の串焼き~!! この前、○○君が読んでた漫画に熊の心臓の丸焼きがあったでしょ? お肉の種類はチョット違うけど、○○君が興味深そうにあのページを見てたから、アレを頑張って再現して見たんだよ?」


「う~ん、シチューとかは""心臓かぁ~。肉のパーツ的に何か癖ありそうだなぁ。」


「むぅー 好き嫌いは良くないなぁ。折角頑張って作ったんだから一緒に食べ合いっこしよう? 一口だけでもいいから?」


「それもそうだな。じゃ、一緒に食べよっか。」


「うん♡」


『『それじゃあ、いただきます。』』



奥様の名前は摩耶。そして、旦那様の名前は○○。"現在"の価値観や社会にはチョット馴染みにくいごく普通の二人は、刺激的かつ運命的なごく普通の恋をし、ごく普通の結婚をしました。でも、ただひとつ違っていたのは、奥様が食屍鬼グールだった事くらいでしょうか。


でもまぁ何も問題はないでしょう。人間達は今後も被害と迷惑を被るでしょうが、名状しがたき冒涜的な神の御前にて、死でも別てぬ愛を誓い合ったこの新婚夫婦は、これからも"幸せ"に暮らし続けるのですから。



                                 ──終わり

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