第一話 春の精霊は歌を唄う。(3)
淡いオレンジ色のレンガでできた建物群に石畳の道。行き交う人の表情に不安はあるが、混乱はない。
(長引いたのが、春でよかった)
そう、香水を自分に吹きかけながらオリヴィアは思う。
もし、冬でも長引いていれば、今の比じゃなかっただろう。日に日に減る食料と薪、吹きつける雪と風。そうなれば、領民がどうなるかは想像の範疇だ。伯爵様も、悠長に馬車を寄越さず、早馬でも送ってきたに違いない。
とはいえ、伯爵様はすでに宮廷精霊使いに依頼し、それが失敗に終わっているらしい。彼の実力を疑う訳ではないが、もし、彼も失敗に終わればこの都市はどうなるかわからない。
(でも、さっきの様子を見る限り大丈夫そうね)
馬車から降りる際の彼を思い出して、オリヴィアは頬を緩める。
不意に馬車が止まる。どうやら、目的地に着いたらしい。馬車の扉が開かれ、御者がどうぞと手を差し出す。それに手を添えてゆっくりと馬車を降りた。この先は"
馬車を降りると、丁寧に手入れをされているのがわかる春の花を基調とした庭園と、石造りの古い屋敷が目に入る。待機していた執事に連れられ、真新しいロビーを通り、応接間に案内された。出された紅茶を嗜みながら依頼人を待つ。
流行の壁紙に、手入れをされた家具。貴族が住む古き良き屋敷といった印象だ。
「いやぁ、待たせてすまないね」
若草色の髪の恰幅の良い男性が姿を現す。この都市を領地とするウィンディア卿だ。
「いえ、お目にかかれて光栄です。ウィンディア卿」
オリヴィアは立ち上がり一礼する。ウィンディア卿は値踏みをするような目線で見た後、椅子に腰掛ける。
「まぁ、座りたまえ。いやはや、冒険者ギルドというからにはどんな粗野なやつが来るかと思えば、こんなうるわしい美人だとは」
オリヴィアは含み笑いをして口を開く。
「美人だなんて。黒龍封印以降、魔物の数は減少していますし、冒険者ギルドは野蛮なだけではやっていけませんから」
魔王として君臨した黒龍封印から約七十年。討伐する魔物の減少するにつれて、ギルドの仕事はなんでも屋に移行しつつある。冒険者ギルドの冒険者はすでに名ばかりのものだ。
「ふむ。そういえば、ギルドからは二人だと聞いているが、もう一人はどうしたのかね」
「彼なら、ここに到着する少し前に件の精霊を見つけまして、それを追って馬車から降りてこちらに向かっていますよ」
「仕事熱心なことだ。依頼内容は聞いているようだね」
「それはもちろん。最初は宮廷精霊使いに依頼したそうですね」
「あぁ、そうだ。解決には至らなかったがな」
そう言って、ウィンディア卿は大きくため息をついた。
「彼らが来てわかった事など、何もわからないという事だけだ」
ウィンディア卿は憔悴した様子でそう言った。
「何もわからなかったのですか?」
「あぁ。彼らは来て早々に書庫で昔の祭りの方法などを調べて、それで、今と方法が若干異なるせいではないかと言ってきたので試したのだが……」
「変わらなかったのですね」
「そうだ。何も起こらなかった。宮廷精霊使い殿はお手上げだそうだ。きっちりと代金は請求して行ったな」
肩を竦めて、苦笑いを零す。オリヴィアも、それはそれは……と相槌を打って、同じように苦笑いをする他ない。
「ウィンディア卿はお疲れのようですから、後は我々にお任せを。良い香りのお茶があるのですがいかがでしょうか」
「……宮廷精霊使いが匙を投げた案件だが、どうにかなるのか?」
「もちろん。我々はそのために来ましたから」
その言葉を言っても、ウィンディア卿の不安そうな様子は取り除かれない。
「来る前に君たちの事は調べさせて貰った。私はそういった事をよく知らんのでな。人を惑わし魅了する薔薇の魔女殿」
「魔女にとっては褒め言葉です。私はただ少し薬草に詳しいだけですよ」
「君はギルドでより、商人としての顔の方が強いと聞いたが」
その言葉にオリヴィアは目をぱちぱちとさせ、花が咲くように華やかに微笑む。その美しさにウィンディア卿が息を飲んだ。
「ええ。香水に石鹸、蝋燭と魔女に作れる物は貴族の方々に愛用して貰っています。今日も試作品を幾つか持ってきていまして、お一つウィンディア卿の奥様にいかがでしょう。特にこちらの……」
オリヴィアは小さいポーチから、幾つかの小瓶を次々と出しながら営業トークを続ける。我に返ったウィンディア卿が口を開いた。
「……あぁ、いや、確かに来る事を伝えた時の喜びようは凄かったが、後で紹介しよう……いや、今はその話をしたい訳ではなくてだな」
「あら、そうですか」
オリヴィアの営業トークが止み、いそいそと小瓶をポーチにしまっていく。
「何の話だったか……あぁ、そうだ。もう一人は、世にも珍しい黒髪の精霊使いだと聞いたが。三年前に突如として現れた"
オリヴィアが口開くより前に、後ろから声がかかる。 まるで気配もなく忍び寄る死神のように。
「おれの正体なんてどうでもよくないですか」
扉はオリヴィアの前方にあるにも関わらず、後ろからかかった声にオリヴィアは少しも驚かなかった。
「まぁ、思ったより早かったのね」
「街の中が面倒で近道したから」
オリヴィアとルークが小さく雑談を交わす。ルークはウィンディア卿に向き直る。
「お初にお目に掛かります、ウィンディア卿。突然すみません」
フードから見える口元の口角が上がる。
「……君が"死神"か」
「そうですが、その"死神"であること以外に何か仕事をする上で必要ですか」
咎めるような強い口調というよりかは、純粋な疑問のような声色でルークは言った。
「……いるだろう。得体の知れない者を領地に留めておくことはできない」
その言葉にルークは小さく首を傾げる。
「得体は知れているじゃないですか」
「ほう。では、何者だ」
正体が明かされると思ったウィンディア卿は少し前に体が寄る。
「"死神"です」
「…………」
呆れて言葉を失ったウィンディア卿と打って変わって、笑いを堪えるオリヴィア。
「ふふっ……いえ、すみません。彼はこういう子ですので」
「……もういい。今の状況をどうにかできるのであれば何も言うまい」
「ウィンディア卿の寛大さに感謝いたします」
オリヴィアは口元に笑みを浮かべながら一礼し、ルークに向かって自身の隣を手で叩く。座りなさいということらしい。
「さて、かの精霊を追っていたそうだが、何かわかったかね」
その言葉はオリヴィアの後ろに佇むルークに投げかけられる。
「さぁ。まだ何とも言えません」
「何とかなるんだろうな」
「それは、もちろん。ですが、元々この地には定住している精霊使いが居たのでは? こう言ってはなんですが、根付いた精霊使いの方が流れの精霊使いより勝ります」
そもそも、居ればこんなことにはなっていないだろうけど。
「……宮廷精霊使いより、元々いた精霊使いの方が優れていると?」
「彼らを否定するつもりはないですが、まぁ、隣人達から話を聞くにしても他人より知り合いの方が信用がありますし、元々、精霊使いは魔物を狩るための職業ではなく、人と隣人のあわいを取り仕切るものなので」
その過程で魔物の被害があれば精霊や妖精達の力を借りて対処するというだけで。
「ふむ。元の精霊使いだが、この前の冬から連絡が取れなくてだな」
「元の住居はどうなっていますか」
「手つかずのはずだが」
その答えにわかりましたと応える。
「あぁ、そうだ。書庫と用意した部屋は好きに出入りして構わん」
それ以外は認めないと示唆するような言い方だった。下手に行動すると捕まりそうだなと、まるでお昼に何を食べるか考えるのと同じぐらいの感覚でルークは思う。
「了解しました」
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