【第八話】その男、現実を知る

 オールドベース。

 メタルヴァンガードに着装する者達が働く職場であり、世界の危機を未然に防ぐ公的機関だ。政府主導によってとある研究所を吸収して誕生したその組織は、日夜現れる敵――原作ではポシビリーズと名乗っていた敵性存在と戦いを繰り広げていた。

 この説明で解る者には解るだろうが、オールドベースそのものは隠されていない。

 都市伝説のような怪し気な組織では断じてなく、政府が正式に発表した対テロ組織の一つとして機能している筈だった。

 しかし、一喜が居るこの世界ではオールドベースは都市伝説として認識されている。

 これが示すのは即ち、メタルヴァンガードが存在しないということ。

 別組織が居るのであれば必ずしもオールドベースは必要ではないが、少女の口振りからは他の組織があるような様子は無い。


 平和に暮らしたいと願う一般人が危機的な被害を受けているにも関わらず、彼等が登場した情報が僅かでも外部に流れてこない時点で存在は絶望的だ。

 一喜は胸の内で落胆を覚えずにはいられなかった。

 絶対に居るとは思っていなかったとはいえ、それでも期待をしていたのは事実。

 それがまったくと皆無になるのは流石に気落ちの一つもする。同時に、だからこそ軍も警察もまったくと本職の仕事が出来なくなっているのだろう。

 怪物を倒せるのは怪物だ。ポシビリーズはカードを直接人体に差し込むことで怪物になり、メタルヴァンガードは機械を通して無害化した上でカードの力を引き出して戦う。

 間の工程に差異はあれど、どちらもカードの力が求められるのは間違いない。

 それ故に、カードの力を凌駕出来ない限りは現代火器だろうが鍛え上げた筋肉だろうが意味を成さない。

 

 この世界の武力を持った組織は悉くが殲滅されたのだろう。 

 怪物を倒せる怪物が居ない為に敗北を続け、彼等の好きにさせてしまった。その結果として街は荒廃し、最早普通に暮らしていくのも不可能になったのだ。

 そう考えるのが妥当であり、一喜自身もこの予測が間違っているとは思っていない。

 他に有り得るとすれば戦争くらいなものだが、怪物の天下で彼等が態々争うだけの理由は無い。

 あるとするなら怪物内での序列決め。しかし少女が狩場と言ったことから、敵が序列を決めることに躍起になっているとは思い難い。

 

「――さて、俺は言える限りは言ったぞ。 そろそろ解放してもらえるか?」


「……」


 少女は一喜を怪しんで銃を向けたが、彼の与えた情報によって比較的安全な場所に籠る事が出来ている。

 これで何も知らずに怪物に遭遇すれば一巻の終わりだ。その意味では、少女にとって一喜は命の恩人とも言える。

 無情であればそんな彼の言葉に何も思わないが、彼女にはまだ幾分か情が残っているらしい。

 銃を下げ、身体中から発していた警戒感が明確に薄らいだ。視線に宿る険吞さも鳴りを潜め、臨戦態勢からは遠のいたと彼は胸の内で安堵する。

 

「まぁ、あんな場所で一人ふらふらしてた奴が怪しいのは俺だって理解出来る。 だからこれでお前を怒鳴るつもりも殴るつもりもない。 素直に行かせてくれればそれで満足だ」


「……」


「で、答えは?」


 銃を持っている相手とは思えない程、彼は堂々と彼女に尋ねた。

 怖い気持ちも不安な気持ちも胸の奥に押し込め、怖ろしいモノなど何もないと言わんばかりに不敵な笑みすらも浮かべてみせた。

 その表情を、彼女は真正面から見た。暫く視線を交差させ、ついに少女は溜息を吐いてその場から去ろうと足を動かす。

 話はこれで終わり。互いの出会いもこれにて終了。

 言外の解放宣言を受け、一喜は素直に感謝を口にしつつトイレから出ていく。

 不快な臭いには慣れてしまっていたが、それでも外の空気の方が美味い。彼女の後ろを歩き、改札を抜けて外へと出た。

 家までの道は覚えている。幾つか建物が変わりはしても元は同じなのだから、帰り道も自然と脳裏に浮かび上がっていた。


「……取り敢えずは見逃す。 私の他の仲間にも伝えてアンタを発見しても襲わないように伝えておくよ」


「そりゃ有難い」


「ただし、此方に危害を加えるような行動を取った場合は射殺する。 此処で滞在していたいなら私達の所に喧嘩を売るなよ」


「しないしない。 そもそも戦うのが目的じゃないし。 まぁ、互いに近所の誰かさん程度の認識で良いだろ」


 今日この日の出会いは偶然だ。

 ここから先でもう一度会ったとしても、部屋が隣同士なだけの存在として認識するだけでスルーする。

 彼のさっぱりとした関係を少女は首肯で支持し、二人は別々の道で己の居場所に戻ろうとする。

 

「――あんれぇ?」


 ふと、声がした。

 咄嗟に少女が先に声のした方向へと身体ごと動かし、眦を尖らせる。

 遅れて一喜も声の方向に顔を向け、相手の姿に頬を引き攣らせた。


「ここら辺の奴はぁ、皆食べたと思ったんだけどなぁ? まだ居るとは思ってなかったよぉぉぉ」


 端的に表現するならば、肥満の男性。

 明らかにサイズの合っていない白シャツに、臍が丸見えな巨大な腹部。たっぷりと詰まった贅肉は腕や足にも付いていて、下にはズボンではなくトランクスの下着があるだけだ。

 足は素肌のまま。靴も靴下も存在せず、贅肉で弛んでいる顔に人間的知性は然程感じられなかった。

 彼は鼻を小指でほじりつつも、酷く嬉し気に口を歪ませる。その際に見えた歯は黄色と黒に変色し、長らく手入れをしていないことを証明していた。

 

 不審者も不審者。それも汚物的なデブ男だ。

 元の世界でも中々見ることはないような異常者の登場は唐突に過ぎる。相手が此方を見ていなければ全て無視して足早に立ち去っていただろう。

 肥満男は舐るように少女を見る。肉の所為で見え難くなっている瞳には情欲の炎が灯り、少女は相手の目に後ろに一歩下がった。

 

「あー、女だぁ。 女は食べる前に楽しまないとなぁ。 そうした方が僕も楽しいし、何より気持ち良いもん」


「なんだこいつ……」


「んー? んー? もしかして、君って僕を知らなーい?」


 間延びした野太い言葉に良い感情は浮かばない。

 嫌悪感が全身を駆け巡る。見られるだけで屈辱的な気持ちにさせられる。あの男に見られることが心底許せないと怒りが胸の内で生まれ、一気に増大する感情を隠しきれずに一喜の顔に険しさが宿った。

 しかし、当の本人にはどうでも良いのだろう。ただ己の快楽だけを求め、自身満々に自己を説明するべく口を動かす。


「僕はぁ――――ダイヤのタンクなんだよぉ?」


 脂ぎった手はトランクスの中へと潜り込み、暫く拙くもまさぐりながらその中から一枚のカードを取り出した。

 一喜は目を見開く。それは正しく、彼が自身の世界で見たメタルヴァンガードに登場するカードだったからだ。

 ティーガーの絵が入ったダイヤのカード。表面は灰色に染まり、仄かな光がカード自身から発光している。

 

「お前……ッ」


「ぬふふふふふ。 そんな怖い顔をしないでよぉ」


 一喜は自身の表情が険しくなることを自覚する。

 相手は此方を侮り、嘲り、容易に打ち砕けると考えていて――――実際にそれは真実だ。

 しかし真実であることが心底に憎たらしい。特にこんな見るからに戦闘能力が皆無に近い存在に向けられることが。

 肥満男はゆらゆらとカードを見せびらかすように見せ、そのまま一気に自身の首にカードを突き刺す。

 血が出てもおかしくない食い込み方をしたカードは、されど光を強くさせながら彼の肉体に入っていく。


 その後の変化は劇的だった。

 肉の身体が鋼鉄の鎧に包まれ、右腕には巨大な砲が装着される。左腕にはタワーシールドが握られ、顔面には赤いモノアイが不気味に明滅していた。

 黒に近い灰色の肉体は彼の元の肉体よりも一回り大きく、さながら象を彷彿とさせる風貌に収まる。

 

『さぁ、今日も鳴こうね子豚ちゃあああああん!?』


 荒れ果てた街の中で鋼鉄の重戦車が咆哮をあげた。

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