【第六話】その男、出会う
土曜日の朝。
深く眠りについたお蔭で目覚めは素晴らしいものとなった。心躍る感覚は健在であり、僅かな微睡みもありはしない。
今が夢のように感じる程の高揚感。閉じたカーテンを貫通して陽の光は降り注ぎ、今日は良いことになるなと口元を緩める。
起きてからは缶詰とパックの御飯で手短に済ませ、動き易い普段着にリュックサックを背負う。
中には真新しい道具が目立ち、この日の為にと携帯の保護ケースを新しくしておいた。
少なくない出費はあるものの、興味関心の前では金の優先順位は低くなる。
一喜も同じで、今月の競馬で勝った代金を投じて全てを揃えた。これによって今月の競馬はまったく出来なくなるが、今の彼には競馬などどうでもよくなっている。
「いざ、未知の世界に向けて!」
気分は冒険家だ。
この世の誰もが知らぬ未知の世界に足を踏み入れ、何か大きな成果を求める。
玄関扉を開け、鍵を閉め、倒壊寸前の建物から静かに歩き出す。またダーパタロスに遭遇する危険がある為、彼の手には望遠鏡が常に握られている。
頑丈で長距離を見渡すことが出来る望遠鏡は巨大だ。軽く叩いても凹む気配は無く、それが頼もしさを抱かせる。
第一目標は地形の把握だ。何処まで元の世界と同じで、何処から元の世界と違うのか。
その際を調べ、同時にメタルヴァンガード達についても存在を確認する。
早期に見つかればそれで良し。見つからないなら、即ちこの世界の平和は一喜が考えている以上に脆く儚いことになる。
「最初は職場付近だな」
進路は職場であるコンビニ。
あるかどうかはさておき、その道程は目を瞑っていても思い出せる程に行き来している。携帯の動画機能を立ち上げ、片手で撮影をしながらゆっくりと亀裂の走る道路を歩いた。
最初に来た時と同様、様々な建物が損壊したまま放置されている。
住民が住んでいる気配は無い。試しにとスーパーと思わしき内部に足を踏み入れ、室内に広がる腐敗した精肉や魚の臭いに鼻を押えた。
埃が山と積もり、試しにと手にしたパンの袋の賞味期限は――時間が歪んでいなければ一年前のものだ。
「……一年前に此処は放棄されたって訳か」
見回すと解るが、商品を回収した形跡は無い。
商品が陳列されたまま、恐らく営業している間に突如として従業員や客は逃げる事態に陥ったのだ。
それが何であるかは、ダーパタロスの存在を思い返せば容易く浮かぶ。
怪物を前に常人が勝てる道理は無い。特撮番組でも一般人は逃げるしか方法はないのだから、彼等が逃げる選択をしたのは正しい。
しかし、だとすると疑問が一つ浮かぶ。
一喜は周りを見渡してスーパーの破損状況をつぶさに観察しては疑問符を表情に浮かべる。
「にしても、争った形跡が少ないな」
彼が居るスーパーは比較的巨大だ。
元の世界にも同様のスーパーは存在し、比較的高価な食材を扱う店として小金持ちの人間が多く通っていた。
安売りをあまりせず、所謂健康思想の人間に向けた店だったのだ。それ故に警備員も駐在していて、何かあれば警察を呼び出す手筈も整えていただろう。
此方でもそうかは解らないが、騒ぎとなれば警察や軍が動かない訳がない。怪物を相手に銃を使わないなど有り得ないだろうし、弾丸乱れる戦いは周囲の品物や壁などに間違いなく傷を付ける。
しかし、破壊の痕跡はあっても小さな傷はあまり見受けられない。壁を虱潰しに見ても弾痕は発見出来ず、爆発物の燃え跡も無いままだ。
暴れるだけ暴れ、そこに誰も介入しなかった。そう考える方が妥当であり、そこから解るのは絶望的な事実だけだ。
「……進もう」
高揚は未だある。けれど、それよりも慎重さが今は勝っている。
スーパーを出てからも歩く速度は変わらない。普段職場に向かう速度よりも五割落とし、周りを気にしながら風景を動画で撮っていく。
緊張感のある状態で見渡していては気付けない事実も、安全な場所で分析すれば解る可能性がある。
一喜の世界では誰もこの世界の情報を持ってはいない。それ故に、彼が入手した全てが新情報と化す。
進み、進み、並行して撮影を続ける。
誰かの足音はしなかった。ダーパタロスのような怪物の姿も見えなかった。極めて静かな空間は、まるで世界から人が生物が消えたように錯覚させる。
職場に近付けば近付く程に倒壊具合は酷くなっていた。
そこが戦場の中心地だったのか、十階建てのビルは横倒しになって道路を塞ぎ、建物に円形に抉れた跡もある。
見れば見る程に人為的な痕跡が残る場は寒気を覚える程で、けれど臆することなく彼はついに職場に辿り着いた。
時間にして一時間だろうか。足は若干の疲れを訴えてはいるものの、その抗議を彼は悉く無視してコンビニを見やる。
「やっぱ此処もなのか」
コンビニは存在していた。ただし、建物の完全倒壊という形で。
瓦礫の山となった元コンビニの中には商品の中身が混ざり、更に赤黒いモノが大量に瓦礫を濡らしている。
近付いて触ってみるが、既に長い時間が経ったのだろう。瓦礫の硬い感触があるだけで、赤黒いモノの主張が一切無い。
素人の手で変な部分はないかを探るも、やはり大災害で見たような景色が瞳に映るだけだ。異世界特有の不可思議な現象の名残はまったくと皆無であった。
収穫らしい収穫は無いと言って良い。大災害が起きた街中を歩く感覚は初めてであるが、建築様式から施設の種類について大きく違いが無い所為で新鮮味は無かった。
こう言っては失礼であるが、一喜にとっては拍子抜けとした想いが強い。
ダーパタロスとの出会いも影響しているだろう。あんな怪物が近くに居たのだから、他に近くに居るのではないか。
居ない方が安全だったのは間違いない。けれど、刺激という意味では一喜の期待に応えてはくれなかった。――それが油断であったのは当然だ。
「――動くな」
突如、声がした。
一喜の背後から女の声が聞こえ、反射的に振り返ってしまう。
瞬間、鼓膜を揺さぶる轟音が傍で鳴った。一瞬で通り過ぎた轟音の正体は瓦礫に直撃し、そのまま何処かへと跳ねて消えていく。
一喜は驚いた。気配は無く、足音も無く、彼は警戒していた自身に不足は無かっただろうと思っている。
しかし、それでも相手は彼の背後を取った。このまま殺すことも出来たであろうに、相手は敢えて声を掛けていた。
「二度目は無い。 動くな」
その人物は、果たして彼の知る人と呼ぶべき存在とは多少異なっていた。
ダメージの多い紺のジーンズ。無地の白シャツの上に赤いジャケットを羽織り、右袖は如何なる理由か千切れて腕を露出させている。
四肢があり、顔があり、その手には小銃が握られていた。
そこだけを見るのであれば件の人物は人間そのものだ。しかし、その人物の顔面には異様な部分がある。
元は綺麗な女性だったのだろう。鋭利な瞳を持った黒いポニーテールの顔の半分が紫の鱗で覆われている。
蛇のような爬虫類系の鱗と呼ぶべきだろうか。半分まで進んだ状態で静止し、浸食された部分の瞳は黄金色に染まっている。
もう片方の目は黒目であることを鑑みるに、この変化は間違いなくその鱗が影響しているのだろう。
「私の質問に対して正しく答えろ。 万が一嘘を吐く、もしくは此方に接近した場合は命は無いと思え」
「――解った」
突然の出来事に、一喜の胸は五月蠅く鼓動を刻んだ。
完全な後手。元より先手を取れるような動きが出来るとは思っていなかったが、想像以上にあっさりと先を与えることになってしまった。
驚き、それと同等に悔しい。恐怖や不安が無いでもなかったが、そのような情けない部分については気合で表情には出さなかった。
ただのやせ我慢だ。こういった場合は舐められた方が負けなのだと、彼は経験で知っている。
無言のまま両者は暫く向き合い、突発的に第一異世界人との交流が始まった。
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