第1話⑦ 交差した日常
「おー、日菜、働いてる働いてる」
紗代子は額に横手を当て、ウェイトレス姿で店の中をきびきびと動き回る日菜をウィンドウガラス越しに見やる。
「ひなちゃん、元々ファミレスでバイトしてたから、接客はお手の物でしょ。……ということは、ひなちゃんの家はすぐ近く……あれかな?」
絵美が光輝や日菜たちが住むアパートを指差した。
「……いい、絵美。絶対見逃すんじゃないよ。普通に考えて電車通勤だろうから、必ずこの店の前は通るはず」
「そんなこと言われても……。だいたい、アパートの住人なんていっぱいいるし、社会人の男の人って情報だけで誰がその光輝さんかわかるわけないじゃん」
「年齢は30歳前後。銀行員ってことは変な髪形や身なりはしてないだろうし、スーツ姿のはず。そして日菜曰くフツメン以下のパッとしない男。それなりに絞り込めるよ」
「いやいやプロファイリングじゃないんだから。それに、単にひなちゃんの目が肥えてるだけかもしれないよ? あんなにカッコよかったお兄さんとものすごい綺麗なお姉さんがいるんだもん。わたしたちからしたら十分イケメンな人かも」
「……絵美。あんた女のくせに女心が理解できてないのね」
「なにようその言い方」
数往復のやりとりののちに、紗代子が呆れたため息をつく。すると、絵美は風船のようにぷくっと頬を膨らませた。
「今日の日菜のリアクション、どう見ても、自分の理想とは全然違う男に惹かれちゃった、けどプライド高くて素直にそれを認められないめんどくさい女そのものじゃん。客観的に見て容姿やスペックが優れてる男とは思えないね」
「どうせわたしはまだ子どもですよーっだ。ていうか、紗代ちゃん、ひょっとしてそれ経験談?」
「…………」
「そこは無視なんだ……」
「……しっ、誰か来るよ!」
二人は電柱からキリンのように首だけ伸ばす。
「……どう見ても女の人だね」
「なーんかキャバ嬢? みたいな人ね。派手……」
「完全ギャルの紗代ちゃんがそれ言う? あ、ひなちゃんのアパートに入ってった……」
「しゃあない。次ね」
「ね、ねえ紗代ちゃん、もうやめようよ」
なんて二人の少女がおたおたしたやりとりをしていると。
「……あれ? 絵美ちゃんに紗代子ちゃん?」
「「……え」」
二人はびくりと肩を震わせ、身体を硬直させる。そして、壊れたロボットのようにギギギと首だけ振り返った。
声をかけてきたのは、一人の若い女性。腰まで届くほどの長い黒髪。なのに、一切の乱れがなくシルクのようだ。二人が顔を合わせるのは数カ月ぶりだが、相変わらず日菜以上の超絶美人だ。
「ゆ、結月さん……」
「え、えとえと……」
「どうしたの? 二人ともそんなところに隠れて」
その非現実的な美しさとは不釣り合いな、スーパーの食材を詰め込んだエコバックを抱えた親友の姉が立っていた。
×××
「……ご注文は?」
伝票とペンを持った日菜が不機嫌そうに言った。
「あたしブレンド」
「わたしは……カフェオレで」
「この時間なのにそれだけ? どうせなら夕食も頼んでほしいんだけど。せめてデザートね」
「いや、今日外で食べるって家族に言ってきてないし」
「うう、いいお値段……1杯800円って。他のものまで注文してたら財布の中が極寒になっちゃうよー」
二人の反省のない言い分に、日菜はピクリと頬を引きつらせたが、やがて「はぁ」と吐息をつき、
「だいたい、つけてくるなんてありえないし。友達相手にすること?」
「いや、別に尾行したわけじゃないよ。あんたがこのカフェの名前をぽろっと言ってたからスマホで検索して場所探しただけだし」
「このお店、結構評判いいみたいだねー。……学生にはいろいろと敷居が高いけど」
「いや、言い訳にさえなってないじゃん……」
「でも、日菜にも原因がないわけじゃないでしょ?」
そこで、二人の前に座っていた結月が話に割って入った。
「お姉ちゃん……」
「光輝さんのこと、二人に話したのよね。だから、絵美ちゃんたちは日菜のことが心配になったんでしょう?」
「……ええ、まあ」
「ひなちゃんが嘘つくわけないし、大丈夫だとは思ったんですけど、どんな人か、一目だけでも見れたらより安心できるかなって……」
今度は結月が盛大な溜息をついた。
「もうちょっと落ち着いてから話せばよかったのに。いくら光輝さんが許可したからって昨日の今日って……」
「あたしはねー、お姉ちゃんと違って友達多いから、いろいろと隠し事をし続けるのは難しいんだよ。実際、今もこうして心配で家までついてきちゃうくらいの親友もいるの」
「う、うるさいわよ。……べ、別に私だって言う相手がいないわけじゃ……。」
自分だって、今日友人たちに光輝のことは話した。……完全に不可抗力だったが。
「まあまあ、結月さんも日菜も抑えてください。勝手に押しかけたあたしたちが悪かったです。すみません」
紗代子が二人の間を取りなす。見た目はヤンキーなギャルだが、精神年齢は日菜たち三人の中で一番高かった。
「わたしも、ちょっぴり安心しました。ひなちゃんも結月さんも、だいぶいつも通りになったみたいで。……二人を元気にしてくれたのが……その人なんですね」
絵美もふんわりとした笑みを見せる。ちょっと幼く癒し系な風貌の通り、みなの空気を和らげるのはいつも彼女の役目だった。
「絵美、紗代子……」
「……確かに、友達の量も質も私じゃかなわない、か」
すると、日菜はエプロンからスマホを取り出すと、素早く指を走らせた。
×××
15分後。
バン、と大きな音を立て、勢いよくホワイトラビットの扉が開いた。ずっと口出しせず見守っていたマスター、真宮寺昭一もその騒々しさに眉を寄せる。
「日菜さん! 結月さん! 大丈夫か!? 何があったんだ!?」
息を切らして飛び込んできたのは。
「こ、光輝さん!? どうしたんですか!? そんなに慌てて!?」
結月が急いで駆け寄る。その様子を見た光輝は「へ?」と間抜けな声を上げた。
「……いや、何かあったのは君たちのほうじゃ」
汗びっしょりの光輝の姿を見た日菜は満足そうに頷くと、二人の友人に向けてこっそり舌を出していた。
「……やっぱりひなちゃんの将来、かなり心配かも」
「……男を弄ぶ、ほうのね」
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