第1話① それぞれの日常①

「じゃあ光輝くん、いってきまーす!」

「光輝さんも出張、気をつけてくださいね」


「おう。二人ともいってらっしゃい」


 あれから数週間が過ぎ。4月も下旬。桜はすっかり散り、木々や草花も青々としてくる春の後半戦。


 すっかり日常の一コマに溶け込みつつある団欒の朝食を終えると、日菜さんは大きく元気よく、結月さんは小さく可愛らしく手を振りながら、俺の部屋を飛び出していく。


 彼女たちも、ようやく新しい生活のリズムをつかんできているようだ。二人ともいい具合に肩の力が抜けてきているように感じる。


「さて、朝メシの後片付けをしたら俺も出ないとな」


 まあ、それは俺もか。


 俺は新年度に入ってから、最近会社で導入されたばかりの時差出勤制度を活用するようになっていた。こうした自分が家事の当番の日なんかは、出勤を遅めの時間にしている。


「モテない毒男には関係ねえ家族持ちばっかり優遇する制度つくりやがって! クソが! ってイキってたけど、自分が使うとなると確かに便利だな……」


 洗い物をしながら、そんな独り言が自然と漏れる。朝を1時間遅くするだけで、明らかに家事の時間にゆとりができる。


「今日は出張先に直行だったな。モバイル端末とルータの準備はOK、と」


 認めるのは極めて癪だが、水瀬姉妹と生活を共にする(当然変な意味はないぞ)ようになってから、仕事や生活にも張りがでてきている気がする。


 家事の分担があるうえ、日菜さんがうるさいからあんまりダラダラできないし、仕事も結月さんの就活の参考になるネタを探すため、今までよりも自然とアンテナを高くするようになった。


 何より、二人の笑顔を見ると元気が出るし、やる気も刺激される。

 世のお父さんお母さんが家族のために頑張れるのというのも納得だ。今、ものすごく実感している。


 ……家族、か。


「あーあ、結婚してえなあ……」


 なんて結婚適齢期の女性のような願望を漏らす俺だった。



 ×××



 Another View  ~Yuzuki Side~


 ここは水瀬結月が通う大学のキャンパス、そのカフェテラス。

 結月は二人の友人と一緒にランチを取っていた。

 

 一人は1年の頃からの付き合いで、ついさっきまで第1回の講義を受けていたゼミも一緒になった矢田やた麻美あさみ。長い髪は明るい栗色で、ファッションメイクにも人一倍気を遣う、いかにも今時な女子大生である。


「やっぱ統計のゼミって内容難しそー。あたしついていけんのかなー。高校の頃も数学取ってなかったし」

「矢田、数理の素養なしで統計学や計量経済学を選択するのは無謀すぎると思うんだが」


 答えたのは、このゼミで初めて知り合った赤松あかまつかおる。結月と同じく高校の頃は理系だったということもあり、人見知りしがちな結月も比較的すぐ打ち解けることができた。

 彼女は黒髪のショートヘアーで、化粧っ気も薄くボーイッシュな印象を与える。性格も感性より理性が優先のロジカル女子だ。口調も含めて。


「だってこれからの時代、データや数字を扱う仕事がめっちゃ増えるんでしょ? つまり、ここには将来稼げる可能性のある男がたくさんいるってことじゃん!」


 麻美はパスタを巻いたフォークを掲げて力説する。


「矢田、君は婚活気分でゼミに入ったのか……」

「あ、あはは……さすが麻美」


 呆れる薫に苦笑する結月。


 結月はいつものように自分で作ってきた弁当をバッグから取り出す。ちなみに、今日は光輝に出張先で昼食を取るから弁当はいらないと断られ、軽くダメージを受けたのは内緒だ。……せっかく多く作ったのに。


「でも、あたしたちでそろそろ将来を考える相手がいたっていいじゃん。大学時代の彼氏と結婚するのは普通だし。てかそれが理想だし」

「ということは、今矢田はフリーなのか?」

「ちょっと前に別れちゃった。一緒にいると楽しかったんだけどさ。あんまり将来とかちゃんと考えてない奴で。このままズルズル付き合ってても未来が見えちゃったっていうか」

「まあ、男はそのへんまだまだ子どもというか、具体的に考えてない奴が多い印象だな」

「だよねー! 女は適齢期なんてすぐなのにさー」


 そこで、薫が結月にも話を振ってきた。


「そのへん、水瀬はどうなんだ?」


 結月は首を振った。


「う、ううん。いないわ」


 余計なことは言わず、シンプルに否定する。この手の話題はあまり得意ではない。

 ……まあ、『彼氏』と聞かれて真っ先に頭に浮かぶ男は今はいるのだが。


 そんな結月の奥ゆかしい性格を、長い付き合いで知っている麻美は。


「それがこの子、すっごい奥手でさー。こんな年なのに男と会話するのも苦手なんだよ」

「ほう。そんな誰もが羨む美貌を持ってるのに、もったいないな。ゼミの男どもは水瀬の自己紹介に色めき立ってたようだが」

「ホントホント。何人かの男、そのうち絶対結月を狙ってくるよね」

「えっ……」

「あーあ。これだから何もしなくても男が寄ってくる女は。羨ましい! ていうか妬ましい!」

「婚活女子の矢田にとっては死活問題だな。親友が最大のライバルか。サークルならともかく、ゼミクラッシャーは止めてくれると助かる。一応私は真面目に勉強する気なんでね」


 薫の入れた茶々に、麻美は「うっさいわね」とツッコミを入れつつ、結月に向き直った。


「でもさ、せっかくのチャンスだし、もし言い寄ってくる男がいたら邪険にしないで少しは受け入れてみたら? 案外ちゃんとした奴が捕まえられるかもよ?」

「え、でも、それは……」


 それは、ちょっと困る。だって……


 結月が黙り込んでしまうと、麻美は最近彼女に抱いていた違和感を口にする。


「てか結月、最近ちょっと気になってたんだけど……」

「え? なに?」

「あんた、彼氏はいないって今言ったけどさ」

「? う、うん」


 何でそんな持って回すような言い方をするのか。実際いないのに。

 と言い返す間もなく。


「ひょっとして好きな男はできた?」


「!?」


 麻美が突然放り投げた爆弾を処理しきれず、結月は思わず飲みかけのお茶を噴き出した。


※第2章が本格的に開始です。ここから登場人物や世界観を一気に広げる予定です。

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