これまでと、これからと

四つ折ティッシュの角

第1話 変える一杯

 冬も近くなってきた平日のある日。


 玄関の扉が硬質な音を立てて閉まる。


 深夜一時。今日も残業だった。そして、今日も朝から普通に仕事だ。


「早く食って寝ないとな……」


 二十代。社会人が、こんなに辛いとは思わなかった。


 物が少ない部屋の中。テーブルの上には、買ってきたばかりの赤いきつね。


 いつの日からか、食べるのを避けていた、赤いきつね。


 頭がボーっとしていたのか、コンビニでいつの間にか買っていたのは、そのカップ麺だった。


 腹が鳴る。食欲に負けて、お湯を注いだ。


 母ちゃんが好きだった。この容器みたいに、赤くて、丸い顔をしていた。


 幅広の麺が良いのだと言っていた。油揚げは最後まで取っておく派だった。でも、丸いカマボコみたいなやつと卵は、固めのうちに食べるのが好きだった。


 スープは、少し出っ張ったお腹を気にして、三分の一ぐらいしか飲んでなかったなぁ。


 麺を啜る。


 ――美味かった。


 最近、忙しくて、碌なもの食ってなかった。仕事と睡眠の繰り返しで、余計なこと、考えてる暇がなかった。


 切羽詰まって、ひび割れてた心に、ダシの効いた汁が、染みた。


「美味ぇ……」


 気づいたら、涙が出てた。鼻水も止まらなかった。


 脳裏をよぎるのは、お節介焼きだった母ちゃんの顔。


「っ、会いてぇよ……!」


 震える声が六畳の部屋に零れ落ちる。


 事故だった。


 俺の母ちゃんは、もういない――。






 あれから、八年経った。


 俺は今、愛する妻と子供の、三人で暮らしている。


 あの時の一杯で、何がどう変わったのかはわからない。


 でも、思ったんだ。家族って、やっぱりいいなって。


 そしたら、なんだか気持ちが楽になって、前を向けた気がしたんだ。


 気づいたら彼女ができて、結婚して、子供ができてた。


 何気なく立ち寄った、コンビニのカップ麺コーナー。


 俺は、二列に陳列されてた赤いきつねを取った。


 もう何年も食べてるのに、たまに食いたくなる、その赤いきつねを。


「お前は、なるべく長くいてくれよな」


 俺にとっての、おふくろの味。


 この幸せの、原点だから。

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