学生時代に家族で年越しうどんを食べた時の話

葵 悠静

本編

 日本人が年を越す時に何を食べるか、大半の人は『そば』と答えるのではないだろうか。


 しかし我が家では年越し『うどん』を食べるというのが毎年恒例の行事となっていた。


 なぜそばではなくうどんなのか。

 それはおそらく実家が香川県にあるからだと思う。


 うどん県といわれるほど、うどんとなじみが深すぎる我が郷土である香川県。


 学生時代にコンビニの数よりもうどん屋の数の方が多いとはよく言っていたものだ。


 そんなうどん県ならぬ香川県だからこそ、香川県民は年越しそばではなく年越しうどんを食べていた家庭が多いのではないだろうか。


 そんな年越しうどんだが、学生時代には様々な思い出がある。


 わざわざ家でうどんを一から作ったりしたこともあった。


 そんな中でも特に覚えているのは年末のスーパーに行った時のことだった。


 年越しに向けてスーパーも気合が入っていたのかインスタント麺が山積みになっているコーナーがあった。

 そこにこんなコーナーがあった。


『東西うどん食べ比べ!』


 東向けと西向けの赤いきつねうどんが山積みに並べられていたのである。


 ここでそばではなくうどんの方が高く積みあがっているのも、香川県らしいのかもしれない。


「どう思う?」

「ありやね」


 そんな会話をそのコーナーの前で祖母としたのを覚えている。


 みんな考えることは同じなのかそれぞれ均等に数は減っているように見えた。


 そして我々もご多分に漏れず、東向けと西向けのうどんをそれぞれ一個ずつ家族分購入することとなった。


 本来であれば一つでいいのに、まんまとスーパーの策略に乗せられたのである。


 しかしそのコーナーを見るまではわざわざインスタント麺の味を東西で分けていることなんて知らなかった。


 学生らしく都会にあこがれていた私は、東向け=東京の味と勘違いをしてワクワクしていたような気がする。



 そして待ちに待った年越し五分前。


 テレビでは除夜の鐘が流れる厳かな雰囲気の中、我々家族一同はこたつの中で温まりながら目の前で湯気を漏らしている二つの赤いきつねを前にしていた。


「あけましておめでとう」


 0時を迎え、誰からともなくそんな声が上がりみんな蓋をおもむろに開けだす。


 今思えば年を越してから食べてしまっては年明けうどんになってしまうのかもしれないが、家族でする年越し行事なんて大抵そんなものである。


 要するに雰囲気が味わえればいいのだ。


 私は食べなれているのであろう西向けの赤いきつねうどんから食べることにした。

 いつも通りの味で安心すら覚えるほどである。


 そしてお次は待ちに待った東向けの赤いきつねうどん。


 ふたを開けてまず驚いたのは、そもそもつゆの色が違う。


 西向けは見慣れた薄いだしの色だったのだが、東向けの方はなんというか全体的に黒かったのだ。


「東京の人は濃いのが好きやけんね。向こうの人はだしの味とか気にしいひんのよ」


 そんな失礼なことをいっていたのは、変に都会かぶれしている母の言葉である。


 別に自分たちもだしの違いなんてそこまで分かるはずもないのに、こういう時だけ東京批判する母である。


 しかし東向け=東京と思っているのはやはり親子というべきか。


 母の言葉はともかく見た目からここまで違うとは驚きである。

 こうなると味も全然違うのではないかと期待が高まるばかりである。


 ワクワクしながら東向けのうどんをすする。

 周りの家族もみんな無言でうどんをすすっていた。


「……どう?」

「……うまいね」

「……そうね」


 確かにうまい。それは間違いない。しかしうまいことは別に西だろうが東だろうが変わらないのだ。


 問題は味の違いなのだが、正直に言おう。

 そこまで何が違うとはっきりとはわからなかった。


「で、でもなんかだしの風味が西向けの方がやっぱり強い気がするけんやっぱりなんか違うんよ」

「ほんまに?」

「多分?」


 母が苦し紛れにそんなことを言うから、においをかいでみたりもするが、確かに気持ち西の方がだしの香りが強いような気がするが、それでも視覚に引っ張られて気がしているだけなのかもしれない。


 所詮味覚のプロでもない素人の舌で食べ比べして違いが明確にわかるわけではないのだ。


「でも、おいしいから」

「そやな。うまいからええか」


 そんな感じで家族全員見事に東向けと西向けの赤いきつねうどんを完食したのである。


 我々では東向けと西向けの味の違いを明確に感じることはできなかった。


 でも大事なのはそこではなく、毎年当たり前のように何となく過ぎていく年越しが東向けと西向けでわざわざ味を変えて作ってくれている赤いきつねうどんのおかげで、何となくでも、ずっと覚えている印象に残る年越しになったのだ。


 普通の年越しうどんを食べていてはこういう会話すら生まれなかったのだ。


 そういう家族団らんの思い出ができるのも、年越しうどんを食べる醍醐味ではないだろうか。

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