第90回 思い出


 繭、魚、少女、芋虫、蝶、椅子、鏡、時計ときて、さあ、次はどんな形態になるのか? 今度はテレビか車か。そんな俺の予想を、ボスは早くも裏切ってきた。


 なんと、時計の形態はまったく変わらないまま、新たなカウントダウンが始まったからだ。


 しかも前回と同じく残り300秒で、カウントダウンとともに逆方向に針が進み始めたのがわかる。


 今まで、頻繁に姿を変えてきたはずのミュータントが、同じ姿を維持している。思えば椅子形態になったときからその傾向はあったとはいえ、これが意味するのは一体なんなのか……。


 ちなみに、前回老化攻撃をしてきたとき、ボスは一切光ってはいなかった。フラッシュの時間が短いがゆえに見逃した可能性もあるかもしれないが、対象が大きくて目立っているだけにそうだとは思えない。


 同じ形態であることの意味だけでなく、反撃できるチャンスが全然ないことの意味も知りたいものの、だからといってこのまま手を出さない状態をキープするのはまずい。


 なので俺はじっと様子を窺いつつ、ここだといわんばかりにはっとした顔で攻撃してやった。声を出し忘れたが、そのほうが却って自然だったと思う。


 俺が攻撃したタイミングから少し遅れて野球帽や原沢も続いたわけだが、俺が叩こうとする前に強い圧力を感じたので、羽田が念力を使ってきたのが見て取れた。恐ろしいほどの反応速度だから、こっちの様子をよく観察しているのがわかる。


「クソオォッ……」


 俺が羽田のほうを見たくないのにいちいち視線をやるのは、そのほうが自然に苛立った顔を作れるからだ。


 実際、あいつの邪悪な笑顔を目にすると腸が煮えくり返るからな。やつはやはり、これでもかと愉快そうな笑みを返してきた。笑いたければ笑え。学校ダンジョンのときみたいに騙されてるだけだ、間抜けな虐殺者め。


「…………」


 残り300秒もあったカウントダウンが、気が付けばもう180秒になってしまった。ただの錯覚だとは思うが、焦燥感が加わったことで針が動くスピードがぐっと増したようにさえ感じる。


「すー、はー……」


 焦りを振り払うべく俺は深呼吸した。とにかく、落ち着いて対処法を考えるんだ。時計の針は反対方向に回っている……ってことは、ボスの攻撃方法が過去と関係しているのは間違いない。


 そうだ、やつはただの時計ではなく、生き物なのだから過去というものがちゃんと存在し、それを確かめるように思い返すときがあるはずなんだ。


 だとすると、俺たちもそうすることでボスの攻撃を防げるかもしれない。試しに、以前の出来事を思い浮かべてみたら、やはり足元がウォーニングゾーンからセーフゾーンに切り替わるのがわかった。


 だが、過去について考えるのをやめるとすぐに赤くなってしまうことから、常に過去を振り返っていないといけないってわけだ。これは、簡単そうに見えて意外と難しいように思う。


 しかも、だ。同じ思い出を想像してもセーフゾーンにならなかったことから、今顧みたことは過去ではないと判定されているのがわかる。


 つまり、ボスの攻撃が始まるあと60秒ほどあるが、ギリギリまで思い出の引き出しを開けるのは一旦やめにして、過去を振り返る行為は温存したほうがいいってことか。


 そういうわけで、俺は野球帽と原沢に対処法を説明することに。


「野球帽、原沢。俺が合図を出したら、なんでもいいから過去の出来事について振り返ってくれ。そうすればボスの攻撃から身を守ることができる。今思い出したものは無効だから、それまで温存しておくように」


「わ、わかった。過去、だな……」


「よし、任せろ。私が医師になるまでの、栄光に満ちた過去を思い出してみせる」


「…………」


 苦い顔をした野球帽と、したり顔の原沢の反応は対照的だった。


「野球帽、どうした、どこか痛むのか?」


「な、なんでもない。気にするな」


「そうか……」


 もしかしたら、野球帽にはあまり思い出したくない過去があるのかもしれない。思えば、コンビニで見かけたときから不思議な感覚を抱かせるやつだった。あのとき、妙に落ち着かない様子を見せてたんだよな。それも、彼女の過去と何か関係があるんだろうか。

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