第71回 自分語り


 ベッドにまみれた代り映えの無い景色の中、豆のように小さかった標的ターゲットの姿が、ほんの僅かずつ大きくなっていく。


 そのペースがとても緩やかなものであるにもかかわらず、俺の心身にかかる重圧は異常なほどに増大していた。


 遂にが来る。自身を神になぞらえた、極めて傲慢な存在が。視界のウィンドウには、レベル111の絶対者――杜崎一聖――と表示された。


「――う……うりゃあああああぁっ!」


 余裕の表情を浮かべる絶対者に対し、俺は体当たりすると見せかけ、すれ違うことで


 あれからどんどん増えていったので、もう100匹くらいにはなっているはずだ。


「「「「「ウジュルッ……!」」」」」


「お、おごおぉおおっ!」


 よーし、いいぞ。振り返ると、マゴットたちが余すことなく杜崎教授を攻め立てていた。


 俺はその間に野球帽の姿を探すが、妙なことに全然見当たらない。ただ、マーカーを見れば位置は被っているので、この近くにいることは間違いない。


 今はとにかく絶対者をなんとかする必要があるし、記憶を失った野球帽ならいないほうが都合がいい。


 さあ、【クエスト簡略化】スキルの恩恵を受けさせてもらおう……って、あれ?


 絶対者を前にしているわけで、俺の視界には、ウォーニングゾーンやセーフゾーンが示されるはずだが、驚くべきことに


 これは一体、どういうことだ……って、そうだ。やつが蛆たちにやられている間に攻撃しないと。


 そう思った直後、俺の視界全体が赤く染まった。


「ま、待ちたまえっ、佐嶋康介君、今、こっちへ来てはダメ、だ。むぐっ……」


 杜崎教授が、蛆たちの攻撃で白衣を赤く染めながらも喋り続ける。


「今攻撃されたら、僕は憤慨のあまり本気を出してしまい、君を瞬殺してしまうだろうから……」


 やつの台詞が偽りではないことは、既にウォーニングゾーンで証明されていた。


「……いっ、生きた、ままっ、生贄をっ、食べたいので、ねっ……」


 続けざまに、おぞましい言葉が杜崎教授の口から発せられる。あの噂はやはり本当だったのか。


「……フ、フフッ、これを見たまえ……」


「なっ……」


 俺はを前に、言葉を失っていた。


 杜崎教授が蛆を掴んだかと思うと、そのまま口の中に放り込んでしまったのだ。それも、一匹だけじゃなく、二匹、三匹と、立て続けに。


「――ごくんっ……み、見たまえ、これぞ、本当の踊り食いというものだ……」


 やつは蛆を全部食べると、時折苦し気に血を吐きながらも気丈に語りかけてきた。こ、こいつ、バカなのか……?


「おっ、おおうっ、い、今も蛆どもは、僕の胃の中で、暴れている。い、胃を突き破ろうとしている、のだ。し、しかし、レベル100以上の鉄の胃だからっ、ぐふっ……か、簡単にはいくまいっ。ククッ……」


 俺がその隙に攻撃しようとすると、やはり視界がウォーニングゾーンでいっぱいになる。忘れてしまいがちだが、今回の敵は人間とはいえレベル111。学校ダンジョンのボスよりも遥かに強い。すなわち、今俺が手を出せば間違いなくこっちがやられてしまうってことだ。


 やがて、やつは落ち着いたのか口元の血をハンカチで拭い、一部が欠けた白い歯を覗かせた。蛆を食べる際に損傷したんだろうか。


「ふう……。ちょっと話を聞いてくれ」


「話……?」


「あぁ。僕は家で大トカゲを飼っているのだが、これが実に面白いよ。彼らはネズミを生きたまま、尻からであっても齧りつき、呑み込むようにしてじわじわと食べる。ネズミは悶え、必死に口から抜け出ようとするが、かなわない。どんどん体内に引き摺り込まれ、獲物の温もりを感じたトカゲは、喜び狂ったように獲物を地面に擦りつけて弱らせようとする。抗っていたネズミは遂に生きたまま胃の中へ流し込まれ、そこで溶かされながら断末魔の悲鳴を上げるのだ。残酷だと思うかい? 答えはノーだ。生き物の世界では、むしろこれが普通なのだよ。形に見えるだけまだいい。人はあらゆる競争にさらされて、日々もがき苦しむか、または愉しんでいる。上を見て絶望したあと、下を見下ろしてほくそ笑んでいる。己が何者かもわからないまま、数字というマジックに踊らされ続けている。生きたまま食われるネズミとなんら変わらないどころか、むしろこっちのほうが僕には残酷に思えるね。このような生活に固執する彼らを解放することは、果たして罪だろうか? 否、偉大なる神の生贄となるのだから、むしろ感謝されるべきことではないだろうか?」


 な、なんだ、杜崎教授のこの怒涛の自分語りは……。何を言いたいかよくわからなかったが、この男がとにかく残酷で、神とはかけ離れた欲深い人間なのは痛いほど理解できた。もし絶対者クエストをクリアできなければ、こんな許しがたい動物に生きたまま食われてしまうということも。

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