大学生編

第10話 【3ヶ月後】けもの道を往く



風間篤樹は真剣に考えていた。

友人が真っ当な道を踏み外そうとしているとき、人はどうするべきなのだろうか、と。


できるだけ関係を崩さず、かつ率直に過ちを指摘するのはとても難しい。それが人智を超えた要因によってもたらされたものであれば、尚更。




◆◆◆




am 7:00


親愛なる航ちゃんへ


Good morning!(^^)v

航ちゃんは以前午前七時に起きると言っていたので、モーニングコールならぬモーニングLIMEをしてみました!(びっくりさせちゃったかな?笑)


今日は一限から講義があるんだよね?

なんと! 僕も今日は一限からです。

同い年で講義のスケジュールもおそろいだなんて、本当に運命を感じます。(実際に運命なのに、わざわざ言ってごめんね!)


だいぶ寒くなってきましたが、風邪など召されていませんか?

もちろん僕は大丈夫!

旧帝大の医学部はダテじゃありません笑


規則正しい生活とバランスの取れた食事、そして適度な運動。

これを守っていたらある程度の病気は跳ね除けるからね(^^)


ただし、航ちゃんが風邪を引いたら僕は全力で看病します!

安心してください。僕はそうやって必要とされるときのために日々研鑽を積んでいますので……笑(航ちゃんならそのなかでも特別コースでお送りします! なんてね!)


そういえば、アルジャンテの修理がやっと終わりました。

大学近くの自転車屋さんに持ち込んだときは「どんな使い方したらこんな酷い状態になるんだ」なんてお小言を食らったけど、航ちゃんに会いに行った話を話したら、その後一言も言わず黙々と作業を進めてくれました! さすが、プロの技です。


そうそう、あと、アルジャンテの元の持ち主は、僕がアルジャンテを正式に引き取ることを快諾してくれました。

元の持ち主である僕の親友は、工藤くんといいます。彼は「航ちゃんによろしく」と言っていました。(なんでかな? 変わった奴ですね!(^^))


親切な人たちに囲まれて、僕はとても幸せです。もちろん、航ちゃんに出会えたことが一番の幸せなんだけど……。ちょっと照れちゃうな笑


東の空から朝日が昇るのを見るたび、僕は航ちゃんを想います。あの空の下に、航ちゃんがいるんだなって。そう思えば、毎日が明るい。(ちなみに僕は毎朝四時三十分に起きます。朝のジョギングがあるので。)


航ちゃんは僕にとっての朝日です。

僕という人間の輝かしい人生を、さらにまばゆいものに変えてしまった。


航ちゃんの顔を初めて目にしたときの胸の高鳴りは今も忘れられません。太陽光よりも眩しいものに、僕は初めて出会いました。航ちゃんも同じように思ってくれていたら嬉しい、なんて思うのは贅沢かな?笑


僕にはずっと大切にしている言葉があります。

初志貫徹。大好きな四字熟語です。

僕はこれまでこの言葉を胸に苦労を乗り越えてきました。(苦労と言っても、受験はいつも簡単だったけどね!)


でも、ここに来て好きな四字熟語が変わりました。航ちゃん、何だと思いますか?


正解は……そう、「葉竹航太」です。


これより大切にできる四字熟語はありません。できれば航ちゃんの好きな四字熟語も教えてくれたら嬉しいな…(^^)

もちろん無理強いするわけじゃないけど、ちょっとドキドキします笑


そういえば、こんな話もあります——



◆◆◆



「……いや、長えよ!」

「長いよね」


スッとスマホを引きながら、航太は死んだ目のままで口元を歪めた。長文の送り主は航太のストーカー、狩野田かのだつかさだ。ゼミ終わりの夕陽が差し込む部屋で、航太の力ない笑みがむなしく浮かぶ。


航太から見せてもらったLIMEのメッセージはまだまだ下へ続いている。その先まで読む根気が、風間にはなかった。しかも一つのメッセージでこの長さだ。おそらくすべてのメッセージを律儀に読んでしまったであろう航太は、冷めた目で「そうですか」とだけ打って返信ボタンをタップする。

そこまで冷静になれない風間は、突っ込みどころしかないメッセージを思い返しながら航太に尋ねた。


「……なんか相変わらずやべえことだけは分かるんだけど、聞いていい?」

「どうぞ」

「……アルジャンテって何?」

「ママチャリの名前」

「……あ、そう、なんだ……」


初っ端から話に付いて行けそうにない。

なぜママチャリに名前が?

その疑問も、風間は飲み込んだ。航太に聞いても答えは分からないことは明白だった。狂人の思考をなぞろうとしてはいけない。その先は覗いてはならない深淵なのだから。


ストーカーの話をするときの航太はいつも表情を失っている。風間の固まった表情を見て、力なく眉尻を下げる様に、風間の胸はきつく痛んだ。


キャルメリで服を譲ったことがきっかけとなり、航太は大阪の大学に通うやばいアルファにストーカーされている。一時は風間の部屋に避難させたのだが、その後ストーカーは航太の部屋に押しかけたらしい。


大阪から。ママチャリで。

本当にあった怖い話だ。


「航太、本当ごめんな。俺があの日断ったから……」

「いいよ、それは。めでたいことじゃん」

「でもさ……」

「仕方ないよ。来ちゃったんだから」

「…………」


航太がストーカーの襲撃を受けた日、風間はアルファの恋人と過ごしていたから、その悲劇を止めることができなかった。ついでにイチャイチャしている最中に発情期が来て、その場の勢いでつがってしまった。


——航太が孤軍奮闘しているときに、俺は。


風間は悔やんでも悔やみきれなかった。ストーカーからの襲撃を航太から知らされたとき、もっと話を聞いてやればよかったと。

航太はぼそぼそと言う。


「いいんだよ。あの日は手持ちの金ぶつけたら帰ったし……」

「……………」

「朝までドアの前にいたけど……」

「……航太」


すまない。風間は涙が出そうだった。どれほどの恐怖だっただろうか。彼は自分のうなじに色濃くついた歯型を恥じた。 


立ち去る条件として、ストーカーは航太とLIMEのID交換を強いたらしい。

急ぎすぎは良くなかったね、まずはお友達から、などと言って。

航太はそれに屈してしまった。それから毎日、航太のスマホにはストーカーからの長文が届く。


せめてもの慰めと、俺は笑顔を作って航太の肩を叩いた。


「でも、航太が無理矢理つがいにされたとかじゃなくて良かったよ」

「……たぶん、そういうことはしないと思うけど」

「いや、何するか分かんねぇって」

「……そ、そうだよね」


そもそも匂いだけで執着してくることが異常なのだ。なぜか歯切れの悪い航太に、風間は釈然としないものを感じていた。あり得ないことだが……ストーカーを庇っているような。


航太は暗くなったスマホの画面を見ながら、ぼんやりと呟く。


「でも、LIMEは一日一回って決めて、守ってくれてるし……」

「……ん?」

「宰もおれが本気で嫌がったら、無理強いはしないと思うし……」

「……待て。航太、ちょっと待て」


思わず航太の両肩を掴んで向き直る。

航太は驚いた顔をしていて、自分が発した言葉の違和感にまるで気がついていないようだった。

守って「くれてる」?

なんだその言い方は。いや、そんなことよりも。


「お前、宰って呼んでんの?ストーカーのこと……」

「え」

「今言ったよな。宰って、あいつの名前だろ? なんで親しげにストーカーを名前で呼んじゃってんの?」

「……え、あ、いや」


指摘されて初めて気が付いた、と言わんばかりに、航太はわなわなと唇を震わせ始めた。

どうやら、無意識に名前を呼んでいたらしい。


「あのやべぇ奴に会って、本当に何もなかったのか?」

「なっ、ないって! ほんと、俺は刺し違える覚悟で、こう、チェーン越しに激しい攻防があって!」

「何だよそれ、何振り回してんだよ」


動揺しまくった航太は何かを握って振り回す仕草を見せたが、その慌て具合が逆に怪しい。

アルファとオメガの関係は繊細だ。

アルファが本気でオメガを籠絡しようと思ったら、航太なんてひと捻りなのだ。


ふと疑問が浮かび、風間は航太の顔を覗き込む。


「……顔は?」

「えっ」

「顔とか匂いとかさ、どうだった?」


ストーカーのアルファは、航太が「運命のつがい」だという強い妄想を抱いている。

Twatterでも俺もちらっと顔は見たけど、整った容姿をしている。

もし万が一、航太がそれに引っ張られているのだとしたら。航太は目を泳がせて答えた。


「……べ、別に」

「おう」

「べべ別に優しそうだなあとか写真で見るより全然かっこいいなあとか何か分かんないけど良い匂いするなあとかは全然思ってないけど!」

「…………」

「あっ」


しん、と沈黙が走る。今度は風間が死んだ目をする番だった。事態は完全にだめな方向へ転がり始めていた。


「……航太、お前」

「あああああ! 違う!」


航太は両手で頭を抱えると、額をがんがんと机にぶつけ始めた。航太のステータスは混乱に陥っていた。


「お、落ち着けよ!」

「違う、これは違うんだ……違う……」


慌てて風間が取り押さえるが、航太は目を見開いたままブツブツと呟く。


「あいつはストーカー……、あいつはストーカー……、気持ち悪い和歌を送りつけてくるストーカー……」

「和歌?」

「ごめんあんまり深く聞かないで」


スッと顔を上げたかと思うと、航太はまた死んだ目を風間に向けた。とりあえずあまり大丈夫そうではなかった。風間は髪の乱れた友人を諭す。


「……な、警察行こう」

「え? それは可哀想じゃん」

「……………」


航太は、確実に真っ当な道を踏み外そうとしていた。


運命のつがい。

そんなものが本当にあるとしたら、それはこの世で一番おそろしい繋がりだ。




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