一夜の契り

烏川 ハル

前編

   

 最悪の目覚めだった。

 ズキズキと頭が痛いし、散らかった部屋が視界に入る。本棚に並べられていた文庫本が何冊も、テーブルの上に投げ出されていた。

 大学が楽しかったり仕事が忙しかったりで、大人になってから読書量は激減。本棚の中身は十代の頃に読み漁った推理小説ばかりだ。そう何度も読み返す本ではなく、一晩で一気にたくさん読むはずもないのだが……。

「ううん……」

 女性の甘い声が聞こえてくる。驚いた私はガバッとそちらへ向き直り、ようやく気が付いた。

 同じベッドに見慣れぬ女性が眠っている!

 胸より下は布団で隠れているが、見えている部分は全て肌色。下着すらなく全裸のようだ。

 我が身を見直せば同じく素っ裸で、しかも下半身には心地よい疲れ。先月別れた元カノとラブラブだった頃、よく経験した感覚だ。

 記憶をなくすほど泥酔しても、私の肉体と欲望は正常に機能したらしい。

 フッと苦笑した瞬間、同衾の女性が目を開ける。

 ふっくらした頬と、おっとりした垂れ目。愛嬌のある顔立ちだ。

「おはよう、あなた」

「ああ、おはよう。ええっと……」

 名前で呼びかけたいが出てこない。

 焦る私の唇に彼女は人差し指を当てて、内緒という仕草を示す。

「お互い名乗らない方がいいわ。たった一度だけの、一夜の契りなんだから」

「ああ、うん」

 曖昧に頷く。

 名前すら教えないならば、電話などの連絡手段も同様だろう。

 一夜限りの体の関係。私らしくない不誠実な行動だが、人生色々あるものだ、と自分を納得させる。

「でも契りは契りよ。忘れないでね」

 にっこり笑いながらベッドから出て、彼女は手早く身支度を整える。

「もう二度と会うことないけど、本当に忘れちゃダメよ? さようなら!」

 と言い残して、私の部屋から去っていった。

 繰り返された「忘れないで」という言葉。一晩の関係を思い出として胸に刻み込むのは、感傷的で可愛らしい。

 改めて彼女を好ましく思うが、肝心の夜の記憶がなく、申し訳ない気持ちになった。



 ベッドの中は覚えていないが、知り合った経緯は記憶に残っていた。

 昨夜、行きつけのバーでの出来事だ。

 二つ三つ隣の席で、女性が一人、飲みながら泣いていた。

 他人事ながら心配になり、格好つけて一杯奢ってみた。ドラマや小説みたいな「あちらの席のお客様からです」という形で。

 素面ならばドン引きされそうだが、彼女も酔っていたから大丈夫。一緒に飲み始めて話を聞くと、大学時代からの彼氏にフラれたばかりという。

 未練はなく、むしろ可愛さ余って憎さ百倍らしい。

「もう殺してやりたいくらい!」

 という大袈裟な言葉も出てきたほどだ。

 私も先月ひとつ失恋しており、元カノへの愚痴をオーバーに吹聴したところ大好評。

「わかる、わかる! 同じ扱いされたもん!」

 おおいに盛り上がり、飲み過ぎて……。

「じゃあ、続きは部屋で!」

 となった場面で、記憶は途切れていた。

 この先がムフフなのに、思い出せないとは勿体ない。

   

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