透明人間の街

茶ノ丸

透明人間の街

「透明人間になりたい。」


 透明マントを被ったり、透明になれる薬を飲んだり。ある朝起きたらいきなり超能力に目覚めていたり、はたまた突然現れた魔法使いに魔法をかけられたり。


 小さいころの私は、どんな方法であれ透明人間になりたいと、叶えようのない夢を本気で願っていた。


「だって透明人間はすごいんだよ!透明人間になれば、幼稚園をこっそり抜け出してもバレないし、内緒で電車や飛行機に乗って遠いとこにも行けるんだよ。どんなことをしても透明人間なら気づかれないんだよ!」なんて幼心に母親に話していたこともあった。


 そんなとき母はいつも、「そうだね。いつかなれるかもね。」と微笑みながら、可愛い子どもの夢を肯定してくれた。「うん!」そう元気に答える我が子を、どんな思いで見つめていたのだろう。


 周囲の景色に溶け込み、周りから認識されることなく、思うがままに行動する。こっそり先生の後ろをついていって弱みを握ったり、探偵よろしく謎を解決したり、クラスのいじめっ子を懲らしめたり。


 そんな透明人間の自由さに憧れていた。


 けれどもそんな幼いころの大きな空想の願いごとは、成長するにつれ、目の前の小さな現実の問題に追いやられ、いつしか見る影もなくなってしまった。


 小学校に入った私を待ち受けていたのは、クラスの女王からの嫌がらせだった。


 毎日毎日頼みもしないのに、机に虫の死骸を届けてくれたり、黒板にメッセージを書いてくれたり。当時のいじめはとにかくしつこかった。


 どれだけ先生に相談しても、「そんなことはないだろう。」「先生が後で注意しておくから。」と、否定されるか投げやりな対応がとられて終わる。面倒ごとを避けたいのか、それとも生徒はみんな仲良しなんて妄想を信じてるのか。


 相談したところで、いじめられたという問題なんてないかのように偽装されてしまうのが関の山だった。


「なんで京ちゃんはいっつもこんなことするの?」


 一度だけ勇気を振りしぼって聞いたことがある。そんな勇気を踏みにじるように、京ちゃんはにやけながら、


「そんなのあなたがヘンだからに決まってるでしょ。女の子なのに透明人間になりたいだなんて、男の子みたいで気持ち悪いのよ。透明人間になんてなれるわけないじゃない!」


 そう言って、泣きそうになってる私を見ながら、友達と楽しそうに帰っていく姿に、生まれて初めて絶望という感情を覚えた。


 私がヘンだからいじめられるというなら、いじめることはヘンじゃないとでも言うのだろうか。きっとそうなのだろう。


 だって彼女はいじめられていないのだから。


 だから、それからの私は自分のやりたいことを抑えることにした。学校で友達と仲良くできるように。学校で仲間外れにならないように。普通の女の子のように。変なやつだと、奇妙な人間だと蔑まれないように。もう二度といじめられることがないように。


 普通でいることを強いられる学校生活の中では、私個人の個性など大した問題ではなかった。そんなものよりも、どれだけ周りの色に溶け込めるかだけが重要だった。たとえ自らの意思と異なる意見であろうと、平穏無事に暮らすために自分の意思を覆い隠す。


 クラスカーストの上位にいる人たちがそのを遺憾なく発揮するその陰で、平々凡々な人たちはそっと息を隠す。そっと、そっと。


 透明人間になる代わりに、大人になって身につけた能力は、「空気を読むこと」だった。


 周りが笑えば自分も笑い、周りが泣けば自分も涙ぐむ。誰のどんな感情かも分らぬまま、流行のつまらない自分語りの音楽をエモいという。いつしか、自分の感情を表すのも怖くなり、全ての感情をエモいで片づけるようになった。


 自分の色に関係なく、周りの色に合わせる。そうやって空気を読み、波風立てずに過ごすことが大事なんだと身体に染み込ませてきた。


 それからも歳を重ねたからといって自分色の筆を使う機会はなかなか来なかった。毎日毎日同じことを繰り返す日々が続ける。友人も同じような日々を繰り返す。先輩も後輩も。きっと誰もが変わり映えしない日々を過ごしている。ひどく退屈な生活ではあるものの一定の安心が保証されている以上、あえてこの社会から外れようとは思わなかった。


 周りの色に合わせる。自分のしたいことを抑えつける。毎日毎日。


 ふとした時にいきなり大声で叫んでみたり、いきなり踊りだしてやりたい気持ちになったりするものの、そんなことをすればすぐに社会から除け者扱いされてしまう。たとえ除け者扱いまではされなくとも、周りの人からは奇異の目で見られ、異端な存在と認識されてしまう。


 他人と違うことをするということは、一色に塗りつぶされたキャンバスに、別の色を足すようなものだ。芸能人やアーティストのようにそれで成功する人もいるが、平凡な私がそれをしたところで成功するはずもなく、私はただただ周りと同じ色のキャンバスに潜り込むことしかできない。


 白いキャンバスには白い絵の具を、黒いキャンバスには黒の絵の具を重ねる。無地の何も描かれていないキャンバスには、何も描いてはいけない。周りに合わせるように、目立たないように、決してヘンなやつだと言われないように。


 そんな生き方をする私は、他人からすればいるかいないか分からない人間なのだろう。同じ色で塗りたくられた私たちの輪郭は、いったい何で縁取られるのだろうか。私はいったい何をもって私だと認識されるのだろうか。


 そしてそれは、なにも私に限った話ではないのだろう。


 叶うはずがないと思っていた幼いころのあの夢は、大人になれば呆気なく叶うようで、気づけば街には「透明人間」ばかりが溢れかえっていた。

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透明人間の街 茶ノ丸 @maru_sano

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