油田を持ってる佐渡くん!

きゅうた

第1話 石油王がやってきた

 「はいじゃあ問8、佐渡」

「先生…この世には問題というものが多すぎますよね…お金で解決できる問題は須くお金で解決すべきなのでは?」

「いや金積めば確かに嘘偽りも捻じ曲げて真理にすることは出来るかもしれませんけども、数学の証明問題をお金で解決しようとしないでください。」

 どっと教室が笑いに包まれる。ひと笑いとって満足したのか、佐渡くんは艶やかでクセのある黒髪を揺らして黒板までくると、サラサラとチョークを走らせ几帳面な字を数段横に横に並べて証明を完成させた。

「はい正解ー」

 数学の沼田先生の授業で笑いが起きるなんて、佐渡くんが来るまでは考えられなかった。普段生徒がふざけた解答を口にしようものなら「君の学力にそんな軽口叩く余裕があるとは思えませんけど?」などと嫌味を言ってくる先生も、彼にはそんな口はきかない。

 だって実際佐渡くんなら、どんな無理も通せるし、どんな道理も引っ込めさせることができる。それだけの力が…財力があるのだ。ぶっ飛んだ財力は暗くてネチネチした授業も、そのお金の煌めきで楽しく輝かせてくれるらしい。お金ってすごいんだなって、改めて思う。


 佐渡くんは持っているのだ。


 雲の上の存在の、現代御伽噺の、100人に聞いた掘り当てたい物ランキング10年連続堂々第一位の、


そう、“油田”を。






 「たっ大変だ!石油王がこの学校に来た!!」

 あれは忘れもしない4月の第二月曜日。2年生に進級して新学期が始まって、浮かれた気持ちも日常の中に徐々に飲み込まれつつあったあの朝のこと。血相を変えた堀内くんが教室の扉を引き千切り飛ばす勢いで開けるなり叫んだのだ。

 あっけに取られたクラスメイトの怪訝な眼差しを血走った瞳で押さえつけ、堀内くんは再び叫んだ。

「ガチで!石油王が!今ここに!!」

「いや何言ってんの…」

大仰な堀内くんの手の動きに苦笑いをしながら、ようやく石田くんがツッコミを入れた時だった。

「石油王だ!!」

「石油王が歩いてる!!」

「ガチだヤベェ!!」

「石油王がいるぞ!!」

窓辺の生徒たちが次々に声を上げ、椅子を膝裏で跳ね飛ばしては外を指差すので、クラスの人口が窓際にザァアッと音を立てて集中した。


 桜舞う正門への道に、人影が二つ。


 春風に巻き上がる砂埃の向こう側で真っ白な布がはためく。


 ハッとして思わず私も生唾を飲み込む。私は、あのシルエットを、知っている。私たちの遺伝子にいつの間にか刷り込まれた共通認識。


  ソノ者黒キ輪ヲモッテ白キ衣で頭部ヲ覆イ、身ニハ長尺タル純白ノ衣ヲ纏イテ金色ノ砂漠ニ降リ立ツベシ…カノ者ノ名ハ…


「石油王…」


 間違いなかった。堀内くんは正しかったのだ。ざわめき止まぬ窓際で、思わず口元を押さえる。平凡で特筆すべきことは特に無い人生を絶え間なく送っていくはずだった私が、石油王をこの目で見ることができるなんて。お母さんに言ったら信じてもらえるかしら?


 校門の向こうへ消えた白い影を、皆が口々に噂する。

「何で石油王がこんな学校に?」

「え、まさかこの学校買収とかされんの?」

「買収って何目的だよ、石油王興味ねぇだろこんな田舎の高校。全寮制ってこと以外何も特徴ねぇぞ」

「逆に?寄付じゃね?慈善活動の世界行脚ツアーとかやってんじゃね?」

「わざわざ砂漠から赴いてひたすら金落としていくとかどんだけ暇な聖人だよ石油王」

「なんかザ!キャリアウーマン!!って感じのスーツの女の人連れてなかった?」

「通訳だろ通訳」

「マジで全身白かった。ヤバい」

「石油王ヤバい」

「やば」

 皆の語彙がどんどんと失われていくのをチャイムの音が食い止めた。

 一度我に帰ったクラスメイトたちは興奮冷めやらぬ顔でひとまずは席についていく。全員が席についてもかすかに鼓膜に「セキユオウ」という音があちらこちらから届くので、このクラスが石油王により受けた衝撃はやはり計り知れないものがあったようだ。


 「うぃーおはよーございまっす」

独特のテンポで朝の挨拶を口にしながら担任の吉田先生が教室に入ってくる。と、その後ろにもう1つ人影が見えて教室はわっとざわつく。

 初めて見る顔。うちの制服を着ている。が、ただの転校生ではないことは一目瞭然だった。


 彫りの深い顔立ちに濃い眉濃い上睫毛下睫毛、黒々とした頭髪はややうねりを帯び、薄めの褐色の肌は異国情緒をこれでもかと私達に叩きつけてくる。自分たちと違う特徴を持つからといってジロジロと見るのは失礼であるのは重々承知してはいるものの、先程の事件の後ではどうにもこうにも致し方なかった。

「えーちょっと手続きやら何やらで新学期には1週間ほど間に合わなかったんだが、うちのクラスに編入することになった佐渡マリクくんだ。お父さんがアラブの方でお母さんは日本人だそうだ。えーと、じゃあ何か一言挨拶いいか」

先生が教卓の前を譲ると、佐渡くんは微笑んで前に歩み出た。

「佐渡マリクです。こんな顔をしていますが日本語はペラペラなので言葉の心配はしなくて大丈夫です。両親は海外にいて、こちらには知り合いらしい知り合いがいないので、どうぞよろしくお願いします。」

こぼれ出る白い歯が眩しかった。言葉の心配よりも身分の差の心配を皆していただろう。お辞儀する癖っ毛に向かって拍手しながら彼の醸し出す清潔感に感心していると、堀内くんがまん丸な目をさらに丸く見開いて後ろの席の高橋くんに向かってスマホを差し出しているのが見えた。

「おい…今マリクの意味をアラビヤ語で検索したらこれ…」

「おっ」

高橋くんが言葉を失っている。

「間違いない、俺確かめるぞっ」

「堀内…!」


 「先生!!」

堀内くんがほとんど悲痛に近い響きの声色で手を挙げた。皆ハッと息を呑み、静かな興奮の視線が堀内くんに集まる。

「何だ堀内腹でも痛いか?」

的外れな先生の問いは無視して堀内くんが続ける。

「佐渡くんに質問があります!今マリクくんの名前を調べてみたらアラビア語で『王』を意味すると…」

ざわっ。それぞれに顔を見合わせ目を輝かせ、クラス全体の温度がグッと上がった。

「さっき白い出立ちのお方が校門を出ていくのが見えました。もしかして、いやもしかしなくても、佐渡くんは…

石油王の御子息ですか?」

核心きたーーー!!と視線が濁流のように佐渡くんに移動する。みんなの紅潮した顔を目線で撫でた後、佐渡くんがゆっくり口を開いた。

「いや、俺は別に王族とかではないしハーフってだけの普通の高校生だけど」

一度言葉を切って、ふふっと笑うとニコニコしながら佐渡くんは答えた。

「まぁ…油田なら…持ってるかな」

「え‘’ッッッ」

一際大きい声が佐渡くんの横からして皆の肩がびくりと震えた。

 声の主は両手で口を覆った吉田先生で、信じられないといった表情で小刻みに震えながら佐渡くんを見つめていた。

「嘘まじか佐渡くんほんとに?えっどうしようどうしよう俺どうしよう」

あまりの動揺っぷりに逆にこちらが落ち着いてくる。

「いや先生さっき職員室で石油王に会ったんじゃないの?」

思わず笑いながら石田くんが尋ねる。

「えっ、や、すごく石油王っぽい出立ちだな、こんな自然にこの衣装着こなせる人いる?とは思ったんだけど、あなたは石油王なんですかとか聞けないじゃん?なんかそんなね?下世話というかさ、好奇心でプライバシーほじくるような真似は大人としてさ、油田とかなんかセンシティブな話題かもしれないじゃん?や、でも、えーどうしよう先生石油王とお話ししちゃったの?参ったな、えー…校長知ってんのかな、マジかうそー…えー…」

「先生落ち着いてください」

笑いを噛み殺した佐渡くんに声をかけられて、はたと我に帰った吉田先生は慌てて咳払いを一つした。

「よし皆落ち着け、油田を持っているとはいえ佐渡くんは今から君たちと同じこのクラスの一員になるんだ。仲良く楽しく共に生活していこう!あっ、万が一粗相したらお父様に消されるなんてことは…」

「ありませんありません、今回この全寮制学校に入ったのは、石油がらみの恩恵から離れて自分の手足で生きる力を培うようにという父の意向からです。ですから父のことや油田のことはどうぞ気にしないでください」

誰よりも生々しく石油王の影に怯える先生の姿に、みんな下を向いて笑いを堪えるのに必死だった。

「よし席は、1番前…いやそれはプレッシャーで俺が死ぬわ、1番後ろ…はまずいだろ石油王だぞ!真ん中…真ん中だ!よし舟越!」

「ッはい!」

予期せず急に自分の名前が呼ばれた私は、びっくりして膝を机に音を立ててぶつけてしまった。恥ずかしい。

「舟越の前の席に佐渡くんの席ねじ込むからちょっと下がってくれ。堀内高橋、隅っ子の空いてる机そこに移動させてくれ」

「「「はい」」」


 とんでもないことになってしまった。私はこれから次の席替えまでの間、石油王のうなじを見守りながら授業を受け続けなければならないらしい。石油王の右隣になった高橋くんは猫背をさらに丸くしてヘコヘコ笑っているし、左隣になった佐藤さんは両手を擦り合わせて何故か佐渡くんを拝んでいる。圧倒的オイルパワーが場の空気を支配していた。

「佐渡です、よろしく」

視線がかち合った石油王から改めて挨拶を賜ってしまい、しどろもどろで応じる。

「舟越実希です、こちらこそよろしくお願い、申し上げます…」

 令和の時代に突如教室を襲ったオイルショック。視界に常に石油王がいる生活だなんて…私、一体どうなってしまうんだろう?!

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