アカいキつネ

鈴乱

ナマエ

 この世にカタチを持つモノは全て、等しく“名”に縛られる。

 この世の超常現象、即ちカタチを持たないモノにさえも「これは“奇跡”だ」とか「“神”が救ってくださる」とか、名を与えることでその存在を証明しよう、或いは理解しようと人間は努めてきた。

 と、同時に少なくとも我々人間にとって理解とは、“名”を持つソレを縛る行為でもある。たとえ“人”のカタチをしていても、“社長”という名で理解され崇拝されるものもいれば、「アイツは“悪魔”だ」と理解されるモノも在る。名によって世俗の理解を縛り、名によって社会に於ける扱い方を縛る。逆もまた然り。

 “人”の世で生きていくに限っては、“人”でなければならない。しかし、皆が“人”のカタチを持つが故に、更なる“名”で各々を縛る。更なる“名”が“普通人”であるように。目立たないように。カタチの無い“常識”を崇め、従い、寸分のズレもなく、皆と同じ“名”を求める。この世界で“自由”を得るために。


 他方、“人”では無いモノにも、当然の如く“人”によって、“人”の世で理解される“名”が与えられる。時にソレは、既に存在する対象に“人”が与えた“名”と一致することがある。

 

 例えば、「キつネ」。

 “キツネ”と縛れば“狐”であるし、“きつね”と縛れば“狐”にしかなり得ないのだが、どちらも“人”から同じ“名”を与えられ、音では違いを現せない。“普通人”の理解に於いては。

そして、それが彼らに、「“森”の“動物”」とか、“獣”とかの名を与える。


 ――“獣”という“名”付けをされたモノ

 ――ソレと出遭う“とある男”の物語。


         もしこの世の支配者が“人”で無ければ……。





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