異世界に転生したら民生委員になった件
@lotus_bustard_jobless
第一章 未来の支配者
5月の初め、春が深まり新緑の青葉が太陽に照らされる頃、世間の大学では五月病とか言う話が出始める季節に、聡祉(さとし)はまぁ、相変わらず呑気に大学院生活を謳歌していた。
大学院というのは、普通はそれなりに勉強量も多く、就職も不安定なため、通常はかなり精神不安を抱えることになるのだが、聡祉は生来が太平楽のせいか、何事にも悩まず、気にせず、顧みず、かと言って自分にできる事は「それなり」に関わると言う、他人から見れば安定した人物であると認められる十分な資質を備えていた。
しかし当の本人はと言うと、あくまで、何事も「それなりに」ではあるが、自分が「それなりに」一角の人物になりうることが分かっていながらも、どういった方向性に自分の人生を振るべきか決めないことが現段階では合理的であると言う現実に、「それなりに」納得しながらも「それなりに」そこに葛藤してもいた。
そういった彼の現状には以下のような背景がある。
彼の名は村山聡祉。とある武蔵野と呼ばれるあたりの生まれで、都会に近く、同時に自然もある、旧制高校の名残を残す恵まれた学校風土と地域社会に育まれて、今日まで何不自由のない生活をして来た。
当然裕福な両親の元に生まれたわけであるが、この両親と言うのが、野党のさる大物政治家である。母、夕里子は弁護士、父、一秀は活動家上がりの政治家で、双方とも政治の世界では息子の「それなり」な性分とは対照的に、多方面への精力的な活動、支持者への脚で稼ぐ信頼によって与党政治家からも一目置かれていた。
中でもこの夫婦政治家がマスコミからも与野党からも一目置かれている理由は、かつて民生委員をしていた父が、未だに日本各地を飛び回り、出生直後の新生児からターミナルケアーを必要とする年寄り、そこで務める医療関係者、行政担当者、さらにその家族に到るまで、幅広く、そして熱心に話を聞きに行く点であった。
そして聡祉は父から何度も、その政治信条(しかし一秀は“政治”信条と言う言葉を嫌った。彼は自らの行いを「共民活動」といっていた。)を聞かされた。
かつて封建国家は、国王とキリスト教勢力の権威のせめぎ合いのなかで、それぞれの地方領主は自らの土地と領民を近隣の領主、山賊、場合によってはイスラム勢力やモンゴルの侵略から守るため、(といっても異文化の侵略は、かつては殆ど概念上のものであったが)国王、神聖ローマ皇帝、キリスト教勢力のいずれかと連帯しながらそれぞれの領地を守り、「農奴」と呼ばれたこの時代大多数の人民は、その日の食べ物に満足すると、あとは動物のような単純な楽しみと祈りだけを頼りに生きていた。
時代が進み、官僚制と呼ばれる、今日、国家の上部構造の雛形と言える仕組みが出来た。これ以降、中央集権の力は知識と財力、物質の集積を生み、その力は戦争を経てヨーロッパ全土を埋め尽くすと、やがて大航海時代を経て数世紀の後、世界を埋め尽くした。
この際、ヨーロッパの国民はナポレオンに端を発する民主化とそれを巡る混乱により、以下のような国家制度を作り上げた。
国家と言う物の大半は、行政官によって運営されるものであり、この行政官は国家の委託を受け、決められた法律の元に業務を行う。この行政官の力というものは、近代以前から強大なもので、各地に散らばった民衆と繋がり、その生活実態に詳しく、さらに僅かな制度の変化から国家中央の力関係を類推できると言う立場から、教会勢力に勝るとも劣らない、隠然たる力を発揮して来た。
そして、この行政官の力を適切にコントロールする為、立法に狙いを定めた国家運営制度が生まれた。これが議会制民主主義である。
議会において、国民から選出された国会議員は、立法機関たる議会において、法律の立案、作成を行い、行政官は国会で可決された法律に乗っ取ってのみ業務を行い、それ以外のいかなる慣習や教義にも従わない。それでもなお行政の決定に不服がある場合には、司法にその異議申し立てを行う。
そして民生委員とは、立法、行政、司法、何の立場も取らず、困難を抱えた人々に、三権に対してどのようなアプローチをすべきか、アドバイスをする役割である。
話が長く、演説のように時事を論じる父のこの長ったらしい説明は何度も聞かされた。あまりに何度も聞かされたので、小学校二年生の時の作文にそのまま書いたら全国で表彰された。その作文を見た父は複雑な顔をしたものだ。
この説明の中に、マルクス主義によく使われる単語は一言も出てこない。彼はマルクス主義からは兼ねてから距離を置いていた。思想だけで現実を認識できるとは到底思っていなかったからだ。与野党問わず一目置かれているのはこう言う父の側面が影響していた。
母は、同じく武蔵野の裕福なクリスチャンの家系に生まれた。明治以前は旗本であった。典型的なお嬢様として育った夕里子は、父、一秀とは年が離れており、貧困やイデオロギー対立を直接知らずに生きてきた彼女にとって、一秀の語った実体験は、法律家として生きていく自身の価値観を大きく揺さぶった。法の成立と運用が末端にどのような影響を与えるかをよく知っている一秀と、理想に燃える若き法律家志望の、まだ少女と言っても差し障りがない夕里子は互いに惹かれあった。
情熱を共なった恋愛結婚をした夫婦に相応しく、二人は子息の聡祉に惜しみない愛情を与えた。この時代、イデオロギーも戦争も流血も、少なくとも武蔵野から駆逐され、日本からは巧妙に隠蔽され尽くしており、愛情と平穏を知り、自由に育った聡祉は情熱を傾けるべき何かと言うものを知らずに育った。激動を生きた父と勤勉と自制に生きた母からはそれは予想外のことであった。
御茶ノ水にあるこのキャンパスは駅から真直ぐの下り坂の丁度途中にある。皇居にも近くこれだけの一等地を贅沢に使った大学はやはり周囲からも都会のオアシスと認識されている。建物も古く、決して近代的とは言えない建物ばかりであるが、それに不満を持つ者など居ないだろう。
どうやらここにある古い建物を取り壊し、ビルにしようと言う計画があるらしいが、どこの間抜けの考えであろうか。吹き入れる風、太陽に透かされる樹木の葉、どこにいても程よく聞こえてくる学生の声。昼休みに屋上で練習している詩吟の長音訓練。完璧ではないしにても、たとえそれが小さい世界であったとしても、期間限定の理想郷に近いものを作る事。
ほんの僅かでも良いので社会の荒浪と言う現実の前に人間のあり方を学べる場所。それが教育機関であるべきだ。これも父の受け売りであるが、やはり正しい。別に父の言ったことだからどうこうとコンプレックスの様なものを抱いたりしない。誰が言ったことであろうが正しければ平等に評価をされるべきだ。
「ヨォ!聡祉、お前歩くの速いよ!」
丁度正門から中庭へ入った辺りで、友人の石渡哲也が話しかけてきた。学部時代からの友人でゼミも同じだった。彼も院に通っている。
「別にいつも通りだよ。今日は気分がいいから少し颯爽としてたかな。」
「お前ってそう言う台詞ナチュラルに言えるからいいよな。お前は修士終わったらどうすんだよ?博士行くの?それとも就職?」
「 まだ決めてない。そろそろ親とか政党とか支持者とかとちゃんと話さないと。社協党って話が遅いんだよね。自共党なんか高校の時から色々接触してきたのに、社協党は親父の事があるからってのんびりし過ぎだよ。今時、親子や兄弟で別の政党なんて珍しくないのにさ。」
哲也は短髪いつもでジーンズを履いている。冬でも夏でも変わらない。しょっちゅう海外旅行で東南アジアやオセアニア、南米に言っている。彼の生命力と自由な立場が羨ましい。哲也は聡祉の良き相談相手で、大学の剣道サークルで知り合った。何でも遠慮をせずに訊ねてくる性格のせいか、すぐに打ち解けた。
「お前の場合、色々大変だよな。政治家として地盤を引き継がなきゃいけないのか、それとも別の道を選ぶのか、いちいち考えなきゃいけないもんな。」
「家業があるのは何も俺一人じゃないけど、うちの場合、晩年野党だしな。昔と違ってだんだん組織に締まりが無くなったらしいね。何事も話が遅いって親父が嘆いていたよ。官僚や敵対政党の知り合いから情報をもらう方が早かったりするんだって。俺も自供党の人たちとはそれなりに接してるけど、社協党はそうでもない。」
「自供党がお前に何を話すんだよ。まさかスパイになれとか?自供党から立候補しろとか?」
「そのどっちでもない。実はライターとか評論家にならないかって誘われてる。若き学者でさらに父はあの村山一秀でしょ。今、結構、保守系でも社会保障関連の話題ってホットなんだよ。特に若手論壇の中ではね。自協党としても正直、村山一秀の子供で文章とトークができるなら、今更落ち目の野党で2流政治家になるくらいなら、論壇で中立な立場で好きな事を言ってる方がかつてのしっかりとした野党の役割を果たせるんじゃないかって思ってる見たい。今の野党の体たらくは与党政治家も辟易としてるから。」
「なるほど。お前には向いてるんじゃないか?」
「そっちは何になろうとしてるの?」と聞こうとした時、後ろから女性の声で「ねぇ二人とも」という声が聞こえた。
声の持ち主は浦上瑛里華。別の研究科だが、学部時代から仲が良い。年の割にはあどけない顔をしているが少し背が高い中肉中背といった体格で、いつも地味な格好をしているのに妙にバストが大きいところが聡趾と哲也の間ではよく話題になっていた。彼女は日本史研究科で聡趾は社会政策、哲也は東南アジアの開発国が研究テーマだった。
「ねぇ聡祉君、今日、南塚先生の所でシンポジウムの打ち合わせあるでしょ?何時くらいが良いって言ってた?。」
「4時くらいからだって。」
「俺もそれくらいに行くから。『教育行政と地域格差』っていうテーマ、俺と丸山で考えたんだよね。」
丸山という人物に関しては後に詳しく記すが、村山聡祉、石渡哲也、丸山秀樹は同じ剣道サークルに所属していた。丸山は理科系の学部であり、校舎が人文社会学系の学部とは別の場所にあるので、週一回の合同練習会でしか聡祉、哲也と会うことはない。しかし、哲也と丸山は同じ県の出身で、背景が似ているため良く話をしていた。山っ気のある性分が相通じたのだろう、二人でシンポジウムを立ち上げようと意気投合したのは大学三年生の時だった。そこで、教育行政の専門家である聡趾の指導教員である南塚に協力を仰いだ。
哲也自身は研究者としては王道とは言えない分野の研究をしていたが、そのせいか、よく異分野の研究者の話を聞いていた。何事も雑食的に吸収するのが彼の長所だった。
「じゃあ4時に研究棟の5階に行くから。また後でな。」
「了解。じゃあ俺は先に教授に用があるから少し話しておくよ。」
「私も図書館に用があるから。また後でね。」
「じゃあ二人とも後で。」
軽く挨拶を済ますと三人は別々の方向に歩き出した。聡趾はすぐに研究棟に行くわけではなく、授業一コマ分、学内のカフェで一休みしようと考えた。
カフェで紅茶を飲みながら、果たして「恵まれている」とはどういう事かと聡趾はふと考えた。哲也は確か、さして偏差値の高くない、埼玉近郊の高校から名門とも言えるこの大学に入った。
高校時代の話を聞くと、自分の環境とのあまりに大きな違いに戸惑った。彼の高校では、教師などまるで尊敬しないのが当たり前であったらしいし、彼は中学から剣道部に所属していたが、彼が部長になってけじめを付けるまで、それは良い加減な部活だったらしい。そんな良い加減な連中がなぜ剣道などやりたがるのか聡趾には解らなかった。受験指導らしい事も特に哲也の高校では行わなかったらしい。
聡趾の高校では高校2年の時からそういうことは始まったいたし、高校3年になれば授業時間もかなり減らされたが、哲也の高校ではそんな事はなく、特に尊敬もされていない教師が特にやる気の無い生徒に対して受験シーズンの真っ只中でも変わらない授業を続けるのだ。
哲也の話によると、特に教師のモチベーションが低かったという事は無かったらしい。しかし、話を要約すると、生徒の意欲なり、そもそもの学校へ対する敬意なりを欠いている状況では形ばかりの受験指導などやったところで特に役になど立たないであろうという事だった。
浦上は大手花問屋の家系で、育った背景は聡趾とよく似ていた。とは言っても聡趾は両親とも政治家というアッパークラスの中でも珍しい家庭で育ったので、昔からそこここに周囲とのズレを感じていたが、浦上とはピアノや読書その他の教養も共通していたので、話がはずむ事が多かった。厳密に言えば、ある程度の年齢になっても知的な会話以外の話題がない浦上にとって聡趾は良い聞き手であった。
学内のカフェには聡趾のお気に入りの場所があった。一番見晴らしい良い席で、当然外からも丸見えなのだが、聡趾はそんな事に構わなかった。案外こういう場所に堂々と座るには勇気がいるようで、いつ行っても空席になっている事が多かった。ここではいつもピアノの有線放送がかかっている。騒がしいポップスでも無く、オーケストラでも無く、ピアノだけの曲だけが持っている音と音の空間とそれぞれの音が消えゆく時間が聡には心地よかった。
「あぁ、村山君、ここに居たのか」
南塚教授はサスペンダーにスーツといういつもの出で立ちで、その大柄な体格で鯨が陸を泳ぐようにして聡址に話しかけた。
「あ、どうも。偶然ですね。」
「朝早く打ち合わせがあってね。ほら、例の企業連中さ。朝早くに集まるのが意識の高いアメリカ流だかなんだか知らんが、人の仕事場に営業に来ておいて朝も早くに呼びつけると言うのは何を考えてるんだろうね。大学でどうやら民間企業が授業を始めるようだが、それを国が義務付けるって言うんだ。普通はそう言うことは、企業の方から頼まれてやるもんだが、今は国が、大学に企業の食い扶持を出すように、と来た。どっちが共産主義でどっちが資本主義だか解らないね、全く。」
聡址は苦笑した。彼の父親は熱心な共産主義者ではなかった。勿論、南塚教授もだが、この大学は以前、左翼過激派の牙城として知られた大学で、近年でもいまだに暴力革命だどうのと息巻いている中年学生が大学に存在する所だった。当然、警察や公安機関と何度も大学は情報交換をしているが、制度上、こう言う連中を排除しようにも、理由もなく追い出すわけにはいかない。一線を越えると暴力に訴えてくる連中だ。数年前もこの大学の学長が襲撃された。
そう言う左翼過激派相手に、大学当事者として苦労をした経験もあるが、リベラリストとして、知識人としての良心と、国家の暴力との間でいつも引き裂かれたいた。戦後の日本人は皆、多かれ少なかれそれは同じだろう。しかしそう言うゴタゴタが静まりつつある時代に、ようやく南塚は、落ち着いて本業である教育行政の研究により組めると考えていたようだった。
「ビジネスマナーとか、コミュニケーションキルを大学で教えるらしいですね。」
「そんなことも後輩に教えられない連中がどうして大学に偉そうに営業に来るのか理解できないね。どうも最近は公務員や大学を既得権益と批判する人が多いが、それなら大学を自分で作ってみればいい話だよ。役立たずの文部省は何を狂ったか大学を増やしたいらしいからね。君はライターや評論家になる手段を探しているし、研究テーマも少し山っ気があるものを選んでるが、いい傾向だと私は思う。優秀な若手は外に出て行くのに、使えない中年もどきのサラリーマンが大学に入ってくる。だからどうしてこの国は、共産主義と資本主義が入れ替わってしまったんだろうね。」
聡址は声を出して笑ってしまった。独特の世界観というか、語り口をもつこの教授と話すのはいつも面白かった。誰かと会うときには、相手を退屈させないように、小話を一つ仕込んでくるような人物で、学生からも人気がある。だが話が面白いのは良いのだが、話し出すと止まらない癖があるので、聡址はシンポジウムの打ち合わせの話を切り出した。
「あの、すいません、お話中に。今日4時に先生のお部屋に日本史をやってる知り合いを連れて行きたいのですが、いいですか?例のシンポジウムの手伝いをしてくれているので。それと、哲也と丸山秀樹という生命科学の学生もお邪魔を致します。」
「あぁ、いいよ。あの曲者校長の件か。」
「ありがとうございます。企業との折衝、大変ですね。」
「私は幇間連中が苦手でね。村山君、言葉に表情がない人間にはなっちゃいけないよ。」
「はい。気をつけます。」
しばらく二人はここで話を続けた。聡址は自分が順調な大学院生活を送っていることに満足を覚えていた。誰とでも流れるように会話をし、友人の役に立とうと常に気を使っている。そういう自分に満足をしていた。そして最近よく思うのだ。「人生に情熱は必要なのか」という事を。
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