緑のフタには奇跡が宿る

冠つらら

赤いクリスマス


 クリスマスの奇跡を信じる?


 幼稚園でのインタビュー。

 この言葉を聞いた園児は皆ぽかんとして首を傾げた。

 今時の子どもは冷めている。幼くして既に悟りを開き始める子だって少なくない。雪乃はその事実に寂しくなって眉尻を下げて笑う。


 じゃあお姉ちゃんはどうなの?


 反対にそう聞かれた時、彼女は迷わず首を縦に振った。


 「信じてるよ。だってクリスマスは奇跡が起こるから」


 するとまた園児たちは遠慮なく首を傾げた。



 「これ何? どうしてこんなもの取っておいてるの?」


 硬い表紙を手芸モールやスパンコールで派手に飾った分厚いノートを手に、ルームメイトの香那実かなみが目を丸くして笑う。


「あー! 緑のたぬきのフタだ。懐かしいー!」


 香那実からノートを奪い取り、雪乃ゆきのは開いたページに大事に貼られている丸い緑に頬を緩ませた。

 大学で心理学を学ぶ雪乃。今度の児童心理学の研究で使おうと実家から自らの幼き日の記録を送ってもらった。このノートはその段ボールの中に入っていた一つ。

 日々の思い出を文字やイラストで綴ったイヤーアルバムだ。

 緑のフタの下には小学校に入る前の年号が記載されている。


「クリスマスの日付じゃん。なんだかこのフタにはそぐわないね。食べるなら年越しでしょ」


 香那実はベッドに座り込んで腕を組む。雪乃も彼女の意見には同感だった。だけど彼女は幼い名残りを撫でて古き日を振り返る。


「そうなんだけど。うちにとってはこれこそがクリスマスだったんだよねぇ」

「そうなの?」


 興味を抱いたのか香那実の眉が上がっていく。雪乃ははにかんで頷くと、寒い寒い冬の日の思い出を彼女に語り出した。




 雪乃にとってクリスマスといえば豪華な食事に甘いお菓子だった。しかしその年のクリスマスは違う。父親と囲む食卓に並べられたのはカップ麺二つ。雪乃が顔を上げて父を見上げると彼は申し訳なさそうに表情を潰した。


「パパ。これがクリスマスのごはんなの?」

「うん。ごめんな雪乃。パパ、料理が得意じゃなくてさ」


 春には小学校に入学する娘の残酷な指摘から逃れるように父は頭を掻いた。


「それならいいよ。パパに怪我して欲しくないもん。でもなんで二人ともうどんなの?」


 雪乃は並んだ赤いフタを見下ろして無垢な声で父に問いかける。

 父はタイマーの残り時間を確認しながら寂しそうな笑顔で答えた。


「緑のたぬきはママのだからね」


 雪乃の母親はそばが好物だった。インスタントだろうと趣向は変わらず、彼女はいつだって緑のたぬきを優遇したものだ。


「それに赤いから、クリスマスっぽいだろ? ほら雪乃、サンタさんと同じ色だぞ?」


 ベルが鳴る一秒前にタイマーのボタンを押した父は、早速フタを開けて雪乃にその赤を見せつける。


「クリスマスと言えば赤だ!」


 湯気で曇った眼鏡の向こうで得意げに笑う父。雪乃はむぅと頬を膨らませて腕を組んだ。


「赤と緑だよ。どっちかがないならクリスマスじゃないよ」


 ここに緑のフタがあれば完璧だったのに。

 雪乃は微かな不満を抱きながら慎重に赤いフタをめくっていった。



 翌年のクリスマス二日前。今年も父は赤いきつねを買い物かごに入れる。

 家にスタンバイしている赤いフタに悶々とした気持ちを抱えたままクリスマスイブを迎えた雪乃。

 その日の保育園の帰り道。仕事で来られない父の代わりに迎えに来た近所の高校生のお姉さんに愚痴をこぼす。


「今年も赤だけだよ。これじゃクリスマスにならないよ」


 雪乃の抱える問題に、お姉さんはくすくすと笑いながら近くに掲げられたサンタの看板を見上げた。


「雪乃ちゃんの思う完璧なクリスマスってどんなの?」


 お姉さんからの質問に雪乃は彼女が見ているサンタを見やる。彼は全身を赤で纏う。


「赤と緑がそろうこと」

「ふふふ。そうしたら、サンタさんにお願いしてみるといいかもね」

「お願い? サンタさんなら叶えられるの?」

「うん。だってクリスマスだよ? サンタさんはどんな奇跡だって起こしちゃうんだから」


 その言葉が雪乃の頭にすんなりと入り込んでいった。サンタクロースは一晩で世界中の子どもにプレゼントを配る。そんな偉大な存在が奇跡を起こせないはずはない。

 雪乃の表情が少しずつ明るくなっていった。


「お姉ちゃん! ちょっと寄り道してもいい? サンタさんにするお願いごと思いついたの!」


 握った手に力が入る。お姉さんは「よろこんで!」と敬礼を返した。

 夜になると、一度ベッドに入った雪乃はこっそりと部屋を出る。

 父親の寝室をちらりと覗くと、買ったばかりの本を読んだまま寝落ちしている姿が見えた。

 雪乃はそのままリビングに飾った小さなツリーまで向かう。しゃがみこんだ雪乃は、部屋から持ってきた物をツリーの下に置き、先に書いておいたメモを添える。


「サンタさん。お願いします」


 最後に手を合わせてお祈りをすると、雪乃はそそくさと部屋へ戻っていった。

 ツリーの下に残されたのは一枚のメモとその下から覗く緑色のフタ。

 昼間、お姉さんと一緒にこっそり買った緑のたぬきだった。

 頑張って貯金箱に溜めていたお小遣いから数枚の百円玉を取り出して費用を捻出したものだ。


 サンタさんへ

 ママがかえってきますように

 このそばは、ママがだいすきなものです

 ゆきののママをさがすヒントにしてください

 クリスマスにはみどりがなくちゃ サンタさんはどうおもいますか?


 

 クリスマス当日を迎えた朝は、澄み渡る晴天だった。

 雪乃は起きるなり挨拶も疎かにツリーの下を確認する。


「…………あ」


 床に手をついて前のめりになった雪乃の瞳に映ったのは、ゴールドの紙で包まれたプレゼント箱。昨晩見た光景との違和感を抱きながら、雪乃はプレゼントを手に取った。

 その瞬間に、箱の下からひらりと緑色の丸が落ちていく。


「あ!」


 それが何かを理解した瞬間、雪乃は興奮を抑えきれずにぴょんっと飛び跳ねた。


「パパ! パパ! 大変! サンタさんがうちに来た!」


 プレゼントから手を離し、舞い落ちた緑の紙を拾い上げた雪乃は目覚めたばかりで欠伸をしている父のもとへと大急ぎで駆けて行く。


「どうした雪乃……ふぁ」

「サンタさんが緑のたぬきを食べた! これ! フタだけ残ってたの!」

「えぇ? 緑のたぬきぃ……?」


 状況を理解できない父は、大冒険話をするような雪乃の昨夜の企みに瞼を擦りながらぼんやりと耳を傾ける。


「お、雪乃、フタの裏にメモがついてるぞ」


 ようやく目が覚めてきた父は、雪乃がひらつかせるフタに見える白い紙を指差した。

 慌てて雪乃はメモを食い入るように見つめる。


 ゆきのちゃんへ

 たしかに、クリスマスにみどりがないとさみしいかな

 サンタより


「サンタさんだぁっ!」


 キラキラと輝く瞳で見上げられ、父は自分まで嬉しくなって彼女の頭を撫でた。

 雪乃へのプレゼントは彼女が前から欲しがっていた少し高価なテディベアだった。もちろんそれも嬉しかったが、雪乃はサンタと手紙のやり取りが出来たことに舞い上がり、一日中そのメモを見ては頬を崩していた。

 夕方になると、キッチンがやたらうるさくなる。

 父が今年こそはクリスマスディナーを作ると意気込んでいたからだ。

 昨晩も遅くまで料理の本を熟読し、なんとか要領を頭に叩き込んでいた。

 料理を待つ間、雪乃は昨日お姉さんに貰ったクッキーを食べた。食事の時にお腹いっぱいになるかもとは思ったが、空腹には勝てなかったのだ。

 ツリーに飾った緑のフタを夢見心地で見ていると、誰かが家を訪ねてくる音が鳴る。

 父が手を拭きながら急いでインターフォンに出る様子を雪乃はじっと観察していた。


「雪乃、ちょっと玄関まで行って迎えてくれないか?」


 父にそう言われ暇な雪乃は言われた通りにする。

 玄関の呼び鈴が鳴り、雪乃は背伸びをして扉を開けた。すると。


「雪乃! ただいま……! あら? 少し背が伸びたかな?」


 満面の笑みで瞳に映るのは、片手にスーパーの袋を持つ二年ぶりに会う母の姿だった。


「ママ……?」

「そうだよ雪乃。帰って来たよ」

「…………ママ!」


 一瞬理解できなかった雪乃。でも次の瞬間には大きくジャンプをして母に抱き着いていた。


「おかえりなさい!」

「うん。ただいま」


 ぎゅうっと抱きしめると母が本当にそこにいることが実感できた。

 二年前。会社に大抜擢された母は立ち上げたばかりの海外支局での任務につきっきりになった。家にも帰れず。娘にも会えず。

 ようやく帰ってこれた母に父も御馳走を振舞おうと張り切ったのだ。


「パパ! ママが帰ってきた! サンタさん、本当にお願いを叶えてくれた!」


 手を繋いでキッチンへと駆けこむと、雪乃と同じくらい嬉しそうに微笑む父が待ち構えていた。


「ああ。すごいな雪乃。クリスマスの奇跡だな!」


 結局、父のクリスマスディナー大作戦はいまいちの結果に終わり、食卓に座った三人の前にはカップ麺が並ぶ。

 雪乃は机の上を見て満足気に笑った。

 赤、緑、赤。

 これでクリスマスの完成だ。


「いただきますっ!」


 雪乃はタイマーが鳴る一秒前にフタを開け、待ってましたとばかりに顔を湯気にあてた。



 「へぇ。じゃあそのフタは、サンタさんが残したフタなんだ?」


 話を聞き終えた香那実は楽しそうにページを指差す。


「そう。だからこれは特別なフタなんだ」


 雪乃は懐かしさに頬を綻ばせてイヤーブックを閉じた。

 香那実はカレンダーに目を向け雪乃が記した帰省の予定をじーっと見やる。


「そろそろ今年もクリスマスだねぇ」

「だね」

「今年は何か奇跡が起こるかなぁ?」

「ふふ。わかんないけど。でも、私はクリスマスの奇跡を信じてるよ」

「あははっ違いないね」

「うん」


 クリスマスまで一週間。雪乃は実家で待つ両親の顔を思い浮かべてクスリと笑う。

 今年もクリスマスは家族と過ごす。そうしないと、クリスマスは完成しないのだ。


「そうだなぁ。ちょっと寄り道していこうかな」


 イヤーブックの表紙を眺め、雪乃はぽつりと呟いた。

 両親が用意するディナーもお菓子も待ち遠しい。

 だけどそれだけじゃ欠けている。

 赤と緑。

 さぁ、今年もクリスマスを連れて帰ろう。




 



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緑のフタには奇跡が宿る 冠つらら @akano321

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