56 恐怖というもの

 ウィズたちを乗せた馬車は何だかんだ無事にアジト付近までたどり着けた。エイジャと彼女が連れてきた職員が操る二台の馬車は、もっと遠いところに停めてある。


 二人は馬車を降りた。ウィズは持ってきたコンパスで方角を確認し、自分たちがいる位置を再確認する。


「……じゃあ、予定通り崖の上から見張りを狙撃するよ」


 ウィズはソニアへ言った。どこか視線が落ちているソニアは黙ってうなずく。


「……?」


 ウィズは首を傾げた。どこか、ソニアの様子に覇気がない。悩んでいるような、そんな雰囲気があった。


 といっても、ウィズはそれに口を出せなかった。何故なら、その原因というのはほとんどウィズで間違いないからだ。恐らく、走行中の馬車の上からソニアを押し出したことが原因であろう。


 確かに魔力の使い道を危険を持って覚えさせるのは有効だ。しかしそれは失敗した時の危険な被害を度外視してのこと。まともな友人想いの人物ならば、そんな危険なことを何も言わずにやらせはしない。


(クソ……クソ……。化けの皮が剝がれていく気分だ……)


 まだウィズの核心をついた失敗はしていない。けれど、一番外側からどんどん『ウィズ』という皮が剥がれていく感じはしていた。


 だがゆっくりと、それが薄い皮だとしても、失敗を続けるならば全ての皮が剥がれるのも時間の問題になる。ウィズは歯がゆく拳を握った。その拳が力んで震える。


 それをソニアはしっかりと目撃していた。ウィズがそれに気づいたのは、彼女が震えたウィズの手を握ってきたからだ。


「ウィズ……」


「……」


 思慮深い瞳で、ソニアはウィズを見つめる。ウィズは少しドキっとしながらも、面喰って真ん丸な瞳で彼女を見返した。


「そうだよね……。ウィズだって、手ぐらい震えるよね……」


 それを聞いたウィズは黙ってソニアを見る。彼女はしっかりとウィズを見ていたようだ。


 ソニアは続ける。


「ウィズぐらい強くても……。やっぱり怖いことは無くならないんだね……」


「……」


 ソニアは目を伏せながら、そうつぶやいた。ウィズは依然何も言わずにソニアを見つめる。


 彼女はウィズの手の震えをそう解釈したようだ。ウィズは腕をポケットに入れると、中で拳を強く握りしめた。


「……そうだね。、僕は……」


 恐怖というのは圧倒的な力があればねじ伏せられるものだと思っていた。けれど、それは違った。力を自覚すれば自覚するほど、その"力"そのものが恐怖の対象となる。『』――それだけで、ヒトは恐怖を覚えた。


 その『恐怖』は、ヒトが、自然が、セカイが存在すると同時に、必ずどこかに居座っている。二つの関係性は途絶を許さない。光があれば影が、表があるのなら裏が、正義があるなら悪が、それぞれの存在は二元論から逃れられないのだ。


「これまで積み上げてきたものが崩れてしまうのは……。いつになっても怖いよ。例えそれが、、ね」


 ソニアはウィズを見る。彼女の瞳は何を思っているのか、今のウィズには分からない。ウィズの心中を察しているとは思えないが、もし本心を悟っていてくれているのならば。


 ――オレは何を望むのだろうか。何を、願うのだろうか。


「ま、それは人生の課題だねえ。今は見えないフリをして、やるべきことをやっちゃおうか」


 ニッとウィズは笑って見せた。つられるように、ソニアも微笑んだ。


「……そうだね。今はやるべきことがある」


 ソニアとウィズは森の中から、緑の中でちらりと見える土の色を見つめた。ユーナを誘拐した奴らのアジトはその周辺にある。今やるべきことは、ユーナを救うこと。


「そうだよ……。今は、目の前だけを見るんだ……」


 ウィズはソニアにも聞こえないぐらい小さな声で、ぽつりと口の中でぼやく。いつかは目的へ辿り着かなくてはならない時がくるのだ。せめて、それまでは。


 自覚してしまった恐怖はすでにウィズに染みついた。ソニアを馬車から突き飛ばしたあの時に。


「――じゃ、行こうかソニア。作戦通りにね」


「うん……!」


 ウィズは瞳を微笑ましく曲げて、明るい声でソニアと自分を奮い立てる。ソニアも隣で拳をぎゅっと握り、自分の士気を高めているようだった。




 周囲の気配に警戒しながらも、ウィズたちは崖の上へと回った。


 そこまでのルートに関しては、ソニアの短剣に付与されている『地形感知サンドキャッチ』のおかげで、ほぼ最短を進めた。


 二人が歩いて数十分が経つ。もうすぐ崖の上に出るといったところで、ウィズは気配を感じてソニアを制した。腕を横に出して、後ろから付いてきているソニアに待ったをかける。


「……人がいる」


 ウィズが小声でそう告げると、ソニアは黙って短剣を握り直した。ウィズはさらに感覚を研ぎ澄ませて、視線を先を探る。


 木々のすき間から見える人影と音響。そこから感知できた気配は二つ。たまたまこの場所をうろついているというわけではなさそうだ。まるで、この馬車を見張っているかのよう。


(……崖の上から奇襲を防ぐための見張りか?)


 ウィズはそう思案する。しかしそんな知恵をあの男女の仲間が持っているとは少し考え難い。


 とすれば、彼らを雇っている飼い主の知恵か。『商売許可証』を欲しているであろう飼い主。――その正体がさらに気になってきた。


「ソニア、崖の上にも見張りがいた。……準備ができ次第、あの人たちを倒して、間髪入れずに崖下の見張りも倒しに向かう」


「……分かった」


 ウィズの神妙な口調に、ソニアは慎重にうなずいたのだった。

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