36 最初の朝

「……」


 夜は明け、日が昇った。


 部屋の窓から見えるは緑のカーペット。手入れの行き届いている大きな庭がその眼下にあった。


 窓際に立ち、そんな人の手により美しく整備された"自然"をウィズは見下ろしていると、部屋の扉がコンコンコンとノックされた。


「朝食を持ってまいりました」


 扉の向こう側から使用人の声が聞こえる。ウィズは普段前髪で隠れている耳飾りをいじるのはやめて、扉へと近づいた。そして鍵を開ける。


「どうぞ」


 ウィズの声を承り、使用人が扉を開けた。


 ゆっくりと開けられた扉。その向こう側にはおぼんを持った使用人が佇んでおり、ウィズを見るや否や、その朝食を乗せたおぼんを差し出した。


「三十分後、取りにまいります」


「ありがとうございます」


 朝食を受け渡した使用人は深く頭を下げると、扉を閉める。


 おぼんを受け取ったウィズは一人、閉まった扉を見つめた。


(……今日はあの魔剣に『祝福付与エンチャント』するんだったな)


 おぼんを机の上に置き、イスに腰を下ろしながらぼーっと考える。


 フィリアが手にしたのは魔剣『フレスベルグ』。『怒りの森』にてムカデの化け物から剥ぎ取り奪って、その剣でムカデの化け物元々の持ち主を消滅させた。


 『祝福付与エンチャント』を無しにしても、魔剣『フレスベルグ』のスペックはすさまじいものがある。さらにそれをフィリアの『契約権限クロニクル・ルーラー』という契約術で強化しているのだから、すでに至れり尽くせりなはずだ。


 しかし問題点がある。それはこのまま使っていく上で必ず念頭に入れておかなくてはいけないことだ。


 ウィズは朝食を口に入れながら、魔剣『フレスベルグ』の所以を思い返していた。


(『フレスベルグあれ』は元々呪われた装備だった。ムカデから無理やり剥がしたとはいえ、呪詛は健在のはず。……というより、あの怨嗟の化け物の中に埋め込まれてたんだ。その怨嗟に影響されて、さらに深い怨念に成長しているかもしれない)


 そう、魔剣『フレスベルグ』には持ち主を蝕む呪いが常時発動しているはずなのだ。恐らくフィリアはその呪いを契約術と元々の才能で打ち消しているのだと思われる。


 しかしそれがいつまでも続くとは限らない。例えば、フィリアが戦闘で同格と相手した場合だとか、力を使い果たす寸前にまで追い込まれれば、魔剣の呪いを抑え込む力が弱まるはずだ。


 その弱まった隙に、『フレスベルグ』の呪いが暴走して彼女自身を取り込むかもしれない。そんな危険さがあの魔剣には付きまとっているのだ。


(……どうしたものかなあ)


 ウィズは窓から見える青空を眺めながら、パンをかじったのだった。



 ◆



「……」


 朝食を取り終えた後、残った食器を回収しに来た使用人から『エントランスに来い』と言った旨の話をされた。


 ウィズは話を受けた通り、ソニアを連れてエントランスへと向かっていたのだった。


「……」


 そこでちょっと面白いのは、ウィズが迎えに行った時からずっと、ソニアが微妙な表情をしていることであった。


 原因は丸わかりである。十中八九、昨夜のことであろう。自分よりも遥かに地位が高い人と言い合うなど、普通に懲罰ものだ。


 朝の低血圧から成す重めの冷静さがその事実を導き出し、ソニアを自戒の重力に捉えているのだ。


「うー……」


 ふと、ソニアの視線を感じた気がして、ウィズはソニアを見る。しかし視線が合おうとするや、ソニアの方から視線を外してくる。そしてちょっと唇をモヤモヤさせながら、苦しそうに唸るのだ。


 どうしてか、イタズラをして主人と気まずくなったペットを見るような感覚がする。普段は雰囲気などどうでも良いが、何故かこの雰囲気は肩身が狭い。


 仕方ないので、ウィズは奇妙な沈黙を破るため口を開いた。


「そんなしょげることないよ」


「……それをウィズが言う?」


 むむむ、といった表情でちょっと不服そうにソニアは言う。


 ウィズは苦笑しながら続けた。


「僕はなんとも思ってないし、フィリアさんだってたった一度のことで本気にするわけないよ。なんというか、器量あるんだから」


「そういうことじゃ……」


 ウィズの言葉にニュアンス違いを指摘しようとするソニアであったが、ある意味ではウィズの言葉は正しかった。


 ソニアは言葉を改め、弱弱しく告げる。


「……昨日はその……いきなりで取り乱しちゃって、フィリア様にあんなことを言っちゃって……普通なら従者失格だけど……。本当に、フィリア様は……」


「昨夜のあれは……そうだなあ。……うーん、勤務時間外の出来事ってことで、なんとかなる……かな?」


「なる……かなぁ。望み薄だね」


 自分で大丈夫と言っておいてなんだが、ウィズも実際に口にしてみたら、なんだか穏便に済みそうな気がしなくなってきた。


 ウィズのそういう雰囲気につられ、ソニアは力なく笑う。


 色々と失敗してしまった。ウィズはとにかくソニアを擁護することを考えて、とりあえずは口を開く。


「……もし致命的な処罰を言い渡されたら、そうだなあ。僕も一緒に受けるからさ。気落ちするのはやめようよ」


「それはダメだよ」


 真っ直ぐとウィズの瞳を見つめ、はっきりとソニアは告げた。まさか真っ向から否定されるとは思わず、ウィズは意外そうに眉をひそめる。


「……ウィズの力は『アーク家』に必要だから、懲罰なんて受けるいわれも暇はないよ。もし罰を受けるなら……それはボク一人で受ける。自分の後始末は自分で……そうだよね。――うん、そうしよう」


 拳をぎゅっと握りしめて、ソニアは大きくうなずいた。その瞳はさっきまでなかった生気が宿っている気がした。


「……」


 よく分からないが、どうやらソニアは前向きになったようだ。ウィズの情けがソニアの心情にどのような影響を与えたのかは分からないが、ポジティブになったのならそれで良いか。


(……あんまり面倒なことにならないといいが)


 ウィズがそう思っていると、いつの間にか目的地のエントランスはすぐ目の前まで迫っていたのだった。

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