31 暖かいもの

「……まあいいわ」


 フィリアは薄く笑った。


「別に今すぐにってわけじゃない。考えてくれるんでしょ?」


「……」


 そう言って片目を閉じるフィリアに、ウィズはなんとも言えずただ黙りこくった。


 『――ちょっと考えさせてください……』とウィズは確かに言った。それが遠回しの拒否であるというのは方便であるのはフィリアも分かっているはず。


 とても楽観的なのか。それとも、『アーク家』の家訓に従っているように、楽観を演じているだけなのか。


「そう言っていただけると……」


 ウィズはフィリアに合わせるように微笑む。しかしその笑顔の裏には後悔の残り香が未だ漂っていた。


 当然ながら、フィリアはウィズの心情を知らない。フィリアはふとももにおいた手、その人差し指を遊ばせながらひっそりと語りだした。


「でも、なんか不思議だね。だって――」


 優しい声色でそう話し出したフィリア。けれどその言葉は言い終わることはなかった。


 ――コンコン。


 ウィズの部屋の扉が誰かにノックされたのだ。ウィズとフィリアの視線がバッと扉へと向けられる。


「……ウィズ? 聞こえる?」


 扉の外から聞こえた声――それはソニアの声であった。ウィズの尋ねに来たのだろうか。


 その声により早く反応したのはウィズではなく、フィリアだった。


「ぁっ……! やばっ……!」


 フィリアはベッドを軋ませ跳ねるように立ち上がると、焦った様子でウィズへ告げる。


「わ、わたし早く隠れるから、ウィズは出てあげて……!」


「え? フィリアさん? 隠れる必要なんて……」


「――あるでしょ! 男子の部屋に女子が……って何この格好!? 露出が多……いやそれよりも隠れないと……!」


(何やってんだコイツ……)


 一人で慌てだしたと思ったら、また一人でさらに大きく慌てだしたフィリア。


 ウィズはそれを見て少し呆れてしまった。短い息を吐き、スッと立ち上がる。


 ソニアに対してなら、こんなことぐらいいつもの威圧的な態度で誤魔化せる気がするが。


 『アーク家』の次期当主を名乗る割には杜撰――否、経験不足というところだろうか。まあ『アーク家』の長女とのこともあり、大事に育てられたのだろう。


 そんなフィリアの姿はある意味滑稽であったが、ウィズにとって少し助かった。


(あんな姿見てたら、オレの今の悩みが吹き飛んだよ……)


 あたふたあたふたと急いで隠れようとするフィリアを横目に、ウィズは小さく噴き出す。


 問題が解決したわけではない。しかし"言えなかったという後悔"――それでもいいだろう、となんとなく思ってしまった。


 軽くなった足で扉の前に立ち、ちらりとフィリアを見る。彼女の銀髪がクローゼットの中に吸い込まれていくのを見て、そこに隠れたのだと理解した。


(……一応、気を使ってやるか……)


 ウィズはクローゼットに彼女がいることを術中に入れつつ、ノブに手を伸ばす。同時に勢いよくクローゼットが閉まった。


「どうぞ」


「お、お邪魔します……」


 ウィズが扉を開け、若干そわそわしながらソニアが部屋に入ってくる。その時点ではすでにフィリアの痕跡は消えていた。


 訪れたソニアの格好も、フィリアと同じく部屋着になっていた。しかしフィリアほどデザインに凝ったものではなく、ただ簡素な寝巻きであった。


「えっと……イスが一つしかないんだけど、どっちが座るか奪い合う……?」


「えっ、ボクはどこでもいいよ……?」


 そう軽口をたたきながらも結局のところ、ソニアがベッドに座ってウィズがイスに座った。なんだか既視感がある対面だが、ここは置いておこう。


 ウィズは本題に入る。


「それで、どうしたの? なんか僕に用があるんでしょ?」


「あ……う、うん……」


 ソニアは耳の前の一筋、栗毛色の髪を手で遊ばせながら、どこか落ち着かない様子で視線を四方八方に散らす。

 

「なんか眠れなくてさ……。それに、今日のお礼もまだちゃんとしてなかったから……」


 彼女はそう言ってへへへ、と幸薄の笑みを浮かべた。


 それを見て、ウィズは心のの中にある緊張の糸がほどけていく感じを覚える。それはフィリアやアルト、そしてガスタといった『アーク家』に対し、その心中を探りながら『ウィズ』を演じていたからだった。


 有体ありていに言えば、ウィズは疲れていたのだろう。ソニアのいつも通り隙だらけの笑みを見ていたら、不覚にも緊張もほつれてしまった。


「今日は色々あったからね。朝の時点ではこうなることすら思ってもみなかったよ」


 ウィズは背伸びをしながら告げる。それは本音だった。


 改めて考えてみると、ウィズが自分で言った通り、今日は激動の一日だったといえる。


 ウィズの雑貨店『リヴ・ウィザード』にフィリアとソニアが入店してきたところから始まった。


 『怒りの森』では呪いの装備とその剣士の無念が魔物と交わり、生まれてしまった怨嗟の化け物と戦った。


 『ネグーン』では不幸にもテロリスト集団にかち合ってしまい、結局は無事であったものの、客観的に危険な目にあった。


 『アーク領』へ赴く旅路も何者かに待ち伏せをされていて、自称『蜘蛛男』相手に『緋閃零式タイプ『イグネート』』を起動してしまった。


 その後も『アルト・アーク』に馬で轢かれたり、『ガスタ・アーク』の斬撃を受けたり、と盛りだくさんである。


「お礼も何も、ソニアの場合はまだ頑張らなきゃなんじゃない? ほら、君が『アーク家』に取り入ってフィリア様の護衛についたのも、『ネグーン』で語った『両親』に関連するんでしょ?」


「……うん」


 投げかけられたウィズの言葉を、ソニアは表情に影を落としながらもうなずいて肯定した。


 『ネグーン』にて、ソニアの旧友と思われる二人と遭遇したときのこと。その二人は『父親』に捨てられたとソニアを罵倒し、対してソニアは『未開領域探索隊』となって両親を迎えに行く、と言い返した。


 『未開領域探索隊』とは確か、国の枠を超えた組織で、国際地図の空白部分を埋めようとすべく活動している存在だったはずだ。


 ソニアはちらりとウィズを見ると、浮かない顔ながらも哀愁を噛み締めた顔で語り始めた。


「ウィズには言ってなかったけど……ボクの両親は『未開領域探索隊』だったんだ。ボクを生んでからは引退しちゃってたみたいなんだけどね。


 でもボクが物心ついて、四度目ぐらいの誕生日が回ってきたころかな。突然『未開領域探索隊』から調査依頼の誘いがきて……。ボクに留守番を頼んで、行っちゃったんだ……。その時は『すぐ帰る』って言ってたのに……」


 それに続く言葉は想像に難くない。『帰ってこなかった』に尽きるだろう。


 目を伏せるソニア。誰がどう見ても、ソニアは今とても苦しそうな表情をしていた。


 ウィズはそんな彼女をジッと観察するが、その瞳に涙はたまっていない。――流しすぎて枯れ果ててしまった、ということか。


「それからはさ……。辛いことばかりだったよ。親戚を名乗る人に家は取られちゃうし、孤児院に入られてからは傷とかあざができるようになって……。そんな境遇を変えようって、学び舎にも通ったけど、結果は傷と痣がもっと増えただけだった。ほんと……冷たいよね、人生って」


「……」


「……でも」


 ソニアは愛おしそうに瞳を和らげて、その視線を真っ直ぐウィズへ向ける。


「ウィズとの思い出は暖かいものばかりだよ。だから、いつもありがとうね」


 そう言って、幸せそうに笑ったのだった。

 

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