赤と緑

一条 遼

赤と緑

しんしんと降り積る雪、寒い冬に暖かなコタツに身を預け天井を仰ぐ。特に面白いものも懐かしむものもない普通の天井なのだがどうしてか故郷の天井を思い出す。

長野から上京してはや10年、毎日仕事にあけくれ、人に揉まれる通勤と労働時間に合わないタスクに翻弄され家に帰っても寝て起きるだけ。

「はぁ……」ろくに実家にも帰れておらずただ日々は忙しく過ぎていく。

「……寝るか…明日も仕事だし…」

10年もこの生活を繰り返してきたので当たり前になってしまっていたが何故か今日だけは無性に泣けてきた。

「何やってんだかなぁ、俺」

そう言ってまぶたを落とす、その脇からは涙がほろり


肌を突き刺すような鋭い寒さとアラームの音で目が覚める

「行きたくねぇよぉ、さぼりてぇよぉ」

朝5時、毎朝こうして布団の中で駄々をこねる

体は冷や汗と震えで支配されていた

「ああああああああぁぁぁ…嫌だなぁ」

恐怖すら通り越して拒絶へと変わる

そのまま30分が経った頃突然震えは止まる

「よし、行くか」

これが彼の一日の始まりである。

出社して早々

「遅せぇよボケが!仕事の出来ねぇカスはもっと早く来て掃除しろってんだ!10年も言ってんだぞ!いい加減覚えろ!使えねぇなぁ…なぁ?!」

これはこれは大層元気のいい挨拶だこと

「あ、はいすみません」その謝罪はもはや反射に近い

「すみません、じゃねぇだろうが!分かってんならとっととやれやボケ!」

右から左から怒号が飛び交い、ついでに灰皿も飛んでくる

朝っぱらから元気な人達だ事

「おい!お茶!喉乾いて死にそうだよ!察しろカス!」

死なねぇよボケ

みんなとにかく口が悪い


そうやって最悪の始まりをした一日は深夜に至るまで怒号が飛び交いあっちこっちと動き回って帰路に着く

自宅に帰るのは既にてっぺんを回ってもっと経った頃

「〜♪。」

夜中に携帯が鳴る、もうこれだけで胃が痛い

聞きたくもない着信音と見たくもない画面

彼にとってはマンドラゴラと同類だろう。


しかし出なければ出ないで翌日(今日)が大変なことになるので恐る恐る携帯の画面を見る、すると意外な人物からの着信だった。


「やっと出た、もしもし、与四郎久しぶりね、元気してるかな?」

電話から聞こえる声は汚い怒鳴り声でも、うるさいマンドラゴラヴォイスでもなく、優しい聞き覚えがありすぎるがとても懐かしい声だった。

「母さん…こんな夜中にどうしたの?」

「あんたが全く連絡もよこさないし帰っても来ないから心配してるのよ、大丈夫なの?」

正直大丈夫ではない、しかし素直にそう言えるはずもなく

「大丈夫だよ、何とかやってる」

嘘をつくことが当たり前になっている

後ろめたい気持ちとこの辛い場所から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった、けれどそうは出来ない

10年もの間で彼の心は荒みきり逃げる、という本能を失いただ言われた通りに動くだけのロボットと化していた。

「みんなも元気?」

自分のことを探られたくないがためにそう言う

「こっちはみんな元気だよ、お父さんもあんたの知り合いもみんな元気に楽しくやってるよ」

すごく刺さる言葉だとこれ以上ない程実感する

「…与四郎、人間何歳になっても逃げていいんだからね?嫌ならどんどんそうしなさい」

「何言ってんのさ、俺は大丈夫だって」

内心ドキドキしていた。まるで心の中が見透かされているようだ。

「嘘をつく時、与四郎は必ず最後に大丈夫って言うんだよお前は…」

見透かされていた

「いやいや、今回はほんとに大丈夫なんだって」

「バカ言うんじゃないよ、あんたのことなんてお見通しさ」

「おつえっ?」

「いいかい?与四郎、くだらねぇ嘘と見栄をはるやつは地獄を見るんだよ」

「………」

とにかく刺さる刺さる

「本当に壊れちまう前に逃げてきな」

「明日も仕事だから切るね」

プッ.……

これ以上何かを見透かされるのが怖くてさっそく逃げた

そうしてまた天井を仰ぐ、今得た言葉を全て自分の体に染み渡らせる。そうして目を瞑り深呼吸

深い水の中に落ちたようにただ果てしない暗闇の中で自分が何をしたいかを今一度呼び起こす


そうしてそのまま深い眠りにつく。


また朝がやってきた、刺さるような冷たさとアラームの音

しかし今日は例の発作はない

そうして彼は棚の中から封筒と紙を1枚、ボールペンを握りしめて机に向かう。

「よし…行くか」

覚悟を決めて大きく深呼吸、そうして地獄へ向かう「おいてめぇ!昨日も言ったろうが!」

さっそくいつものフルコースが飛んでくる、しかしそれをものともせず封筒を叩きつけた。机に。

そこには大きく不格好な文字で(辞めます!)と

わかりやすい一言が書いてある。


「ふっ…」

思ったより気持ちよかった、つい鼻で笑ってしまう程に

「そうして目にも止まらぬ早さで帰宅するんですよ、これから。それではさようなら!」


吹っ切れた様子で走り去る、

そのまま目指すは実家へと


会社帰り直接駅へ向かい新幹線に乗り故郷へと


「やってやったぜ!!」


え?展開が早い?知らんがな。



そうして新幹線にゆったりまったり身も心も預け締め付けられていた精神を解き放つ。


瞼を落とせばその裏に蘇る過去の思い出


授業参観で親にいい所を見せようとして失敗したあの夜、優しく慰めてくれた父。そして赤いきつね。


高校受験で頑張っている時、結果が思うように出ず

親の小言が自分を苛立たせ怒鳴り散らし拒絶した時ですら決して離れず、味方でいてくれた母。

冷たいおにぎりと暖かいほうじ茶、そして緑のたぬき


上京して「大きなことを成し遂げてやるぜ!」と豪語し、父の大反対を受けた時、そばにあったのは

赤いきつねと紺のきつねそば


到着のチャイムが鳴る、改札を出れば故郷の空

あなたの味方、みんなを繋ぐ思い出の味。


どんな時でもあなたのすぐそばに。















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