深夜の一杯

もりくぼの小隊

深夜の一杯


「ただいまぁ」


 玄関を開けると口からついと出てしまう「ただいま」という口馴染んだ言葉。独り暮らしの安アパートに誰かが待っているはずはないのに。地元を離れた社会人生活、疲れが溜まった時に小さな独り言と実家暮らしの癖がついと出てしまう。


「あ〜、疲れたぁ。今日も遅くまでご苦労さまでしたぁ〜」


 そろそろ日付の変わる深夜二十三時五十分。残業疲れな身体を玄関へと滑り込まし、近所迷惑にならないように静かに扉を閉めてから自分への労いの言葉を吐いた。

 重いカバンを床へと放り、コンビニ袋を机の上に置くと万年寝床な布団へと身体を転がす。電気の灯った天井を眺める。安アパートでも一応はLED化された天井照明。その絶妙な明るさがなんだか虚しく感じ、眼鏡を外して眉間を揉んで目を強くつむる。そんな事を無駄にくり返して、またしばらく天井を眺める。なにもしないという時間が、贅沢な贈り物のように感じた。普段はそんなふうには思わない、けど、今日はそれだけ身体が疲れてしまっている証拠なのかも知れない。このまま寝るという選択も悪くはないと思ったけど、お腹は空腹を訴えて何度も食事を要求してくる。

 仕方なしとまだまだ気だるい両足を上げて勢いをつけて起き上がる。机の上のコンビニ袋をガサガサと漁って二つの買い物を取り出した。


「あー、どっちにするかなぁ」


 両手にしたのは「赤いきつね」と「緑のたぬき」こんな深夜にカップ麺とも思うが、この時間に食べるカップ麺の背徳感はたまらなく食欲を唆り抗えないものだ。それが子どもの頃から慣れ親しむ「赤いきつね」と「緑のたぬき」なら尚更だろう。問題は、どちらにするかという事だけど。


「赤いきつね」

 ツルッとした喉越しのカップうどん。あっさり関西お出汁に甘く煮たお揚げと玉子とカマボコのちょっとしたアクセントが嬉しいご定番。出来上がりは五分と長い。


「緑のたぬき」

 ズズッと食べたいカップそば。天かすと小エビの小さめなかき揚げ天ぷらにカマボコの入った関東風味な濃いめの鰹出汁の一杯。出来上がりは三分と短い。



「うーん……たぬきかなぁ」


 悩んだ末に緑のたぬきに決めた。労働の疲れからちょっと濃い味を身体が求めてるのかも知れない。


 ガスコンロでお湯を沸かしてる間にフタを半分はがして、粉末スープとかやくを入れる。天ぷらは後乗せにするか迷ったが、今日はたぬきの名に相応しい姿にしてあげようと天ぷらも一緒に投入した。沸かしたお湯を注ぎ、熱せられたやかんの底でフタをアイロンよろしく器にそってじっくりと滑らしていく、上手くいけば再びくっついてくれる。IHクッキングヒーターの熱ではできないガスコンロの熱ならではの裏ワザというやつだ。よし、上手くフタ閉じ成功を確認。出来上がりの三分までに着替えをすませておこう。



 ゆったりとスウェットに着替え終えて時間を見る。三分を過ぎてしまったが誤差の範囲だろう。ペリペリと再び糊付けされたフタをはがすとつゆしゅませた天ぷらが主張する緑のたぬきが湯気と共に現れた。食欲をそそる鰹出汁の香りに喉を鳴らしながら箸で天ぷらを崩し、たぬき蕎麦の姿を整える。ガツンとパンチを効かせるために七味唐辛子を多めに投入して汁を静かに啜った。


「んっ、おおぁァ〜っ」


 砕いた天ぷらのしゅんだつゆが労働疲れな身体をジンワリと労ってくれているようで、思わず声がもれる。腹も刺激されたか、グルグルと鳴ってくる。こいつはたまらんと大口を開けて思いきり蕎麦を啜りまた汁を口に含んだ。子どもの頃から慣れ親しむこの味が小さな幸せをと告げてくる。美味い、すっごく美味い。だけど、子どもの頃とちょっと違う大人になったもうひとつの幸せもまた湧き上がってきてしまう。


「ヤッッバッ、ビール欲しい」


 手を付けないつもりだったが我慢できそうにない。コンビニ袋からビールを瞬時に抜き出すと片手を使ってプルトップを起こし開ける。カシュリといい音を立て溢れでる魅惑なビール泡に迷いなく、一息ッ、グビリグビリと喉を鳴らす。


「んっ、なあぁっっ、生きかえったっっッッ」


 喉と腹を焼くビールの味に再び蕎麦を啜りビールをカッとあおり呑む深夜の一杯コンボに労働の疲れも吹き飛んでいくようだった。


 ふぅ、明日、というか今日の休みは布団を干して昼は赤いきつねを食べてゆっくりしようかなぁ。

 

 誰にも邪魔されない休日の幸せ計画を頭の中で思い浮かべなら、最後の蕎麦を一啜りして汁と共に砕けたかき揚げを搔きこみ、腹を満足させてゴロンと横になった。



 結局、休日を一日寝て過ごして頭を抱えたのは言うまでもないのかも知れない。


 ―――終わり。





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深夜の一杯 もりくぼの小隊 @rasu-toru

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