物モノもの者

宝亭鈍器

もふもふ木目調

 世界には今日も数え切れない程のモノが生み出され、消費されていく。あるものは人目に触れることなく、ひっそりとその生涯を全うせず終える。反面、時代の寵児となり過剰な評価を受けるものもある。私たちはそれら個々に貴賎を持たず平等に扱う。そして、モノが本来持つ役割をあるべき場所に届ける。そういうことを生業としている。


 学生時代に読んだ本に書かれた一文だ。この文章に感銘を受けて生涯の仕事にしようと決めた。表向きにはそういうことにしている。が、真っ赤な嘘だ。本当は逃げた先にたまたま転がっていたものを掴んだ。ただそれだけである。



 現在、我が国ではすべての人間に毎月平等の手当てが支払われている。ここにたどり着くには長い時間を必要とした。財源、地域差や年齢差などさまざまな問題が発露し、その度に人々は議論を重ねた。議会は混戦を極め、ひと月もなじり合いが続いた時期もある。時の長は対抗勢力を制圧し、それに端を発し暴動にもなった。死傷者もいく人が出た。

 「あの時代は誰もが自分たちの先を考えなくてはいけなかった」

 教室のモニターで視聴した動画で、シワシワの手をした老人が輝く目でそう語っていた。

 この運動家たちの血と汗の賜物だろうか、我々が受け取る金額はそう多くはない。人がひとり糊口をしのぐが限界だ。わたしが生まれた時から一定の支給額を保っているのだから、インフレ傾向がある昨今に対応していないのだろう。実際この金額では、と昔以上に働かざるを得ない人は増えている。前時代に比べてはねられる金額が格段に上がってしまったことが原因だ。

 また、かつての教育から受け継いだ『働かざるもの食うべからず』の精神も根強い。労働欲を説く宗教家も人気だ。

 労働を拒否する人間は社会から不適合者の烙印を押され、小さな自室で膝を抱えながら日々を過ごすことを強要されている。そうした人々は毎年たくさん狭い部屋でひっそりとその生涯を終える。それが自死であるか、自然死なのか、人々は興味を持たないように努めている。

 わたしたちはそうならないために夢を持つことが必要だ。昔のように漫然とした職業はいまの世の中には存在しないからだ。

 幼い頃、わたしにも夢があった。それがなんであったか、恥ずかしくて口にできない。ただそれは他人に認められるためのもので、本来自分が求めていたものではなかった。その方が周りを安心させることができるから。その不純な動機に気がついたとき、わたしは夢を手放すことにした。死ぬまで不純であり続けるにはわたしの残りの人生はあまりにも長かったからだ。死にたくないという欲だけが残った。そしてわたしはある事実に気がついた。

 国が生きている人間と定めるのは、何者かである人だけだ。何者かでなければ息を吸うことすらを許されない。

 国の方針に従い、わたしはハリボテでも夢を持つことにした。辿り着けたのは最悪の中の一つの奇跡だった。

 おかげで、わたしはこの仕事の有用性を全く理解していない。こんなことに金を使ってくれるなんて随分な酔狂だと腹の中では常に思っている。そんな気持ちを抱えているものだから、当然仕事は少なく相場も悪い。それだけでは飽き足らず、例えばこんなことにもなる。


**


 その宿の朝食会場では、天井に吊るされたモニターからワイドショー番組が今日も流しっぱなしになっていた。会場はそこそこの賑わい。にも関わらず、かわいらしいアナウンサーがなにを話そうと、自らの食事とこれからの予定すり合わせに各々は夢中だった。もしかしたらモニターがついていることにすらわたし以外は気づいていないかもしれない。

 おかげでアナウンサーの声はこちらまで届きづらい。わたしは終始だらしなく口を半開きにしながら重たい頭を持ち上げてら画面に表示される文字を目で追っていた。

 先ほどよりもさらに歳が若そうなアナウンサーが登場した。正確なモチーフはわからないが、とにかくなにかの動物らしい白いかぶりものを被っている。長いまつ毛に縁取られた大きな目が自分は無害であると訴えているようだ。その期待を大きく裏切るかのように、アナウンサーは最上の笑顔の後に唐突に化け物の脳天にその華奢な手を突っ込んだ。なんのご乱心かと初見ならば思ったろうが、わたしはすでにこの光景を何度か見ている。こちらの予想通り、アナウンサーは巻物を取り出す。この演出にいまはどんな効果があるのか理解できないが、初回ほどの驚きはない。あと何度かすれば必要性がわかるのだろう。そういう人たちがこのコーナーを作っている。

 カメラに向かって仰々しく巻物が開かれた。本日のテーマが記されていた。

 もふもふ木目調。

 いかにももふもふ木目調な特徴的フォントで表示されたそのワードには聞き覚えがある。そう、最近。いま話題のアイテムならば、やはりそんなに遠い記憶ではないはずだ。

 コップが結露し始めた牛乳に口をつけながら考えた。口元を拭うついでに音にもしてみた。思い出せない。わたしの不審な動作の最中にも番組は進行する。


 ーーもふもふ木目調とはとあるファッションブランドのトップデザイナーが今年のスプリングサマーコレクションに取り入れた柄です。動物の毛並みの柔らかさを表現するもふもふと硬い木との融合を成し遂げ、暑い北半球の夏にこのデザインを取り入れたことにその魅力があります。その創造性はどこから生まれたのでしょうか。

 「硬い印象が強い木ですが、曲線で構成される木目は皆さんが考えていらっしゃるよりも柔らかい印象を与えます。それに、木のぬくもりや温度変化が起こりにくい性質はもふもふと同じ性質と言っても過言ではないでしょう」

 あまりに突飛な過言が飛び出したのでわたしは牛乳を飲むのをやめた。派手な格好のこの人がデザイナーかと思いきや、肩書きには最先端ファッション研究家とある。人のことを言えた義理ではないが、世界には実に多様な職業が存在するものだ。

 「デザイナーが自らの作品に著作権を主張しなかったことがブームを加速させました」

 画面が切り替わる。トップデザイナーから熱いメッセージ。文字が映し出されたあと、コマーシャルが始まった。

 デザイナーの仕事はデザインを生み出すことだ。それで金を稼ぐわけだから作品が他人に乱用されないよう死守するのは当たり前のことだ。だがどんなところにも枠から外れることをしたがる人間はいる。

そういう問題を持ち込むのは大抵が天才と呼ばれる類の人間だ。

 天才は情動で生きている。なにかの本を読んだ。「誰それになんとかと言われた」「神の啓示を受けた」昨日まで一切気にしなかったことが唐突に世界の中心となる。そして明日にはまた別のものが世界の中心となるかもしれない。そんな天才の気まぐれを周りは苦労して説得し、正しい道を指し示す。

 その甲斐あって、そうした思いつきはほとんど表には出てこない。天才とはそうやって自分一人が容易に成し遂げてしまう仕事の倍の量の仕事を周りに与える性質を持っているのだ。

 ではなぜ今回それがなされなかったのか。

 長いコマーシャルが明けて『初代もふもふ木目調』が映し出された。老舗ハイブランドの昔から作られている定番のバッグで、形こそクラシカルなものだが先だってのコレクションでトップモデルが髪の毛を巻きつけてランウェイを歩いたデザインだった。ブランドものを持つような生活をしていないわたしですら、それがどんなものだか知っている。高額なのはもちろんのこと、そもそも店頭に並んですらいない特殊なアイテムだ。ではどうやって手に入れるのか。

 噂では入店すると直ちに名前を呼ばれるくらいの常連客となると、店員から「もしご興味がおありでしたら」と声をかけられる。「なんですか?」素知らぬ顔で促されるまま奥の部屋までついていくと、しずしずと部屋の中央の台に鎮座しているらしい。磨かれた革の質感と、必要十分な量に抑えられた金具がライトがなくとも輝かんばかりだそうで、金額を聞く前から「買います」と口から音が漏れるそうだ。

 流石にほとんどは嘘であろうが、この手の噂はこちらが思っているよりも真実の度合いが多い。末恐ろしい世界である。

 回りくどい販売方法と尾鰭がついた噂話のおかげで需要は高騰した。もちろんその期待に応えるだけの商品を用意できていることでブランドは自分たちのイメージを壊さず一定の収益を上げている。ブランド戦略は数々あるが、最もスタンダードでわかりやすい、いいやり方だ。


 場面は録画映像に切り替わる。暗い部屋に置かれた一人掛けの革のソファーにはピンスポットライトが当てられている。

 奇抜な髪型の若者が翻訳家を引き連れて登場した。どうやらこの人物がデザイナーらしい。天才の風格だ。インタビュアーに握手をしてからソファーに足を組んで沈み込む。その姿は髪型の他は至ってシンプルで、まるでそれが当然のことかのようにもふもふ木目調は身につけていない。

 「なぜ著作権を主張されないのですか」

 一通りの挨拶を終えたあとのインタビュアーの問いかけに、大袈裟に肩をすくめるとデザイナーは笑顔で語り出した。

 「自然からインスプレーションを受けた『もふもふ木目調』は僕の創造物ではないんだ。だから著作権の主張は不可能だ。もちろん、僕はデザイナーとして最大限『もふもふ木目調』を生かした作品を発表した。それが僕の仕事だから。この優れた存在を世に広めることはトップデザイナーとして自分に与えられた責務なんだって自覚している。だから『もふもふ木目調』が僕の知っている国、知らない国、とにかく世界中のみんなから愛されたことは本当に喜ばしいことなんだ。一仕事終えたって自負もあるしね」

 なにが面白かったのか声を出して笑うと、画面は正面のバストアップに変わった。インタビューは終わりらしい。デザイナーは満面の笑顔を振りまきながら片言で挨拶すると、両手をパクパクさせて締めくくった。

 続いては戦略に乗った我が国の人々が作り出したもふもふ木目調の紹介だ。

 ーー品種は多岐に渡ります。ファッションアイテムはもちろん、建物の内装・外装や食べ物にももふもふ木目調は採用されています。その経済効果は絶大です。飲食店では連日老若問わず長蛇の列。こちらのチェーン店で開発されたスイーツは既存のものと比較して15倍の販売数を記録したそうです。

 スタジオに登場したスイーツをアナウンサーが笑顔で嚥下する。別のアナウンサーが「私も食べたいです」と過剰に羨ましがって見せたところでコーナーは終了した。


 どうしても納得いかないことがある。あれが本来もふもふ木目調という名前ではないと紹介されなかったことだ。さきほどのインタビュー映像でもデザイナーは自らが名付けた原語のワードを用いていた。それを直訳してももふもふ木目調にはならない。

 確かにそのワードはわたしたちの言葉ではあまりにも発音しにくい。国内に持ち込んだときに誰かが置き換えたのだろう。確かにもふもふ木目調の方が語感はいい。その甲斐もあってこんな辺境の国で爆発的なヒットとなったわけだ。

 だからといって本来の名前を伝えないことは正しい選択なのだろうか。

 いささか腹が立ってきたせいだろうか。思い出す必要がないことを思い出した。そうだ。わたしはもふもふ木目調に痛い目に遭わされかけたのだ。


**


 その手紙は一ヶ月くらい前に手元に届いた。

 ーーどうあってもすぐに手に入れたいものがあるから至急連絡を。

 高級ホテルのレターセットに書かれた文字は達筆すぎてお世辞にも読みやすくはなかった。いつものオリジナルのレターセットもいいが、こちらのレターセットも素晴らしいな。すべすべとした手触りと箔押しのロゴの美しさをぼんやりと眺めた。現実逃避だ。

 この達筆の主は、わたしのようなやる気のない人間にも定期的に仕事を回してくれる大変ありがたい存在である。が、どうにも公私混同がすぎる。

 「あの人の仕事で、プライベートな内容だとわかったらすぐ手を引かないと面倒なことになるぞ」

 送り主とわたしに付き合いがあると知った同業の先輩は忠告した。その隣では絵に描いたような引っかき傷を顔に作った先輩のパートナーが不機嫌な顔をしている。こちらはわたしと同期だが、そのやる気は天と地ほどの差がある。そのやる気のせいで危ない橋を渡りすぎ、先輩に拾われた人物だ。

 傷は鈍く、そのストロークから人間にやられた傷のようだ。人間が人間に引っかかれることなんかあるのか。しげしげと眺めすぎてしまったらしく、わたしは噛みつかれそうになった。

 実際、対岸の火事とする余裕はわたしにはない。かつて面倒に巻き込まれかけたことがあった。なので、可能であれば忠告がなくとも距離をおくようにしたい。だが、持ち込まれる仕事を断ることができるほどこちらのふところ状況はいつもまともではない。

 いまは案件も幾つか抱えているのでなおさら気は進まない。順当な仕事の話であっても断らなくてはいけない状況だ。かといって、連絡をよこせという顧客を無視できるわけでもない。先述の通り、わたしが相手を拒否する余裕なのない。

 宿で借りて通話を開始した。何度目かのコールで無愛想な秘書が送り主に電話を繋いだ。

挨拶もそこそこに、こちらがなにを探しているのかと尋ねると『もふもふ木目調』という言葉が飛び出した。その単語に聞き覚えはない。どんなものかすら想像がつかない。わたしはそれはどんなものですかと続けた。相手はわたしの言葉にかなり慌てた様子で「それがどんなものか全くわからないんだ」と答えた。

 その返答を聞いて悟った。これはわたしが関わるべき案件ではない。切迫したもの言いや博識であるこの相手が「わからない」と形容するものにはある共通点が存在する。流行の現行品。あの手紙を書いたときに一緒にいた相手へのプレゼントだろう。

 このような相談は今までも何度か受けたことがあった。その都度こういう相談は外商部の人間に相談すれば済むものであってわたしの力が必要なものではない。そう伝えた。何度も何度もだ。

 今回もそう返されるのは予想に難くないだろう。にも関わらず連絡をしてくるのはどういうことなのか。わたしに別のことを求めているからだ。

 自分はのろけのゴミ箱にされている。まともに取り合うだけ馬鹿だ。

 面倒くさがらずに対応した報酬が顔の引っかき傷とあっては割に合わない。しこも、いつもほど暇でも嫌なのに、いまのわたしはすこぶる忙しい。

 仕事ではないことを確認したので、義理を欠かない程度に話を聞いて通話を終えた。

 その、もふもふ木目調である。


**


 反芻するうちに怒りは少しずつ昇華されていった。思考が現在に追いついた頃にはわたしの感情の高まりとは反比例して、食堂内は賑わってきた。長居は無用である。

 ほぼ室温と同じになってしまった牛乳を一気に飲み干すと、机が汚れていないことを確認してから席を立つ。わたしが退くと新たな客がまるで椅子取りゲームのように速やかに座った。同行者も向かいに座り、やはりワイドショーには気づいていない様子だ。

 使用した皿を返却する棚には、コップの底に5センチほど残った牛乳が取り残されていた。

 自分の胃の中身と残された牛乳の違いはどこにあるのだろう。

 境界が曖昧になると囚われてしまう。一目散に逃げ出した。世界の誰もわたしの逃亡に気がつくことはない。たとえ気がついても社会の範疇に収まるわたしを誰も非難することはできない。

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物モノもの者 宝亭鈍器 @orreforsorosu

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