第6話 計略

「ん……しまった!」


 跳ね起きた凪義の視界に入ったものは、今まさにいたぶられている仲間ドナルドの姿であった。凪義はチェーンソーを掴むと、脱兎の如く駆け出した。


「ちっ! あいつもう起きたの!?」


 真帆が舌打ちしたとき、すでに凪義は双頭のサメの背後まで迫っていた。振るわれたチェーンソーが、何本かの触手をまとめて根元から切り落とした。双頭のサメは驚いたように、残った触手をばねにして真帆の近くに飛び退いた。

 凪義とドナルド。二人の戦士が、真帆と双頭ザメのコンビと正面から向かい合う形となった。


鮫人間シャーク・ヒューマンが隊士に紛れ込んでいたか」


 凪義は歯噛みしながら、真帆を睨みつけた。鮫人間の力は一般人よりも強いが、特別な能力を持っているわけではない。徒党を組んで襲いかかってくれば危険だが、そうでなければ脅威の度合いはサメに劣る。

 だが、彼ら鮫人間はある意味サメそのものよりも厄介な性質を備えている。というのも、彼らは人間になりすまし、人間の中に紛れ込むことができるのだ。凪義の能力をもってしても感知はできない。


「不愉快な夢を見せてくれたな。代償はきっちりと払ってもらう」

「卑怯者の首、ワタシがもらい受けよう」


 二人の剣幕に押されて、真帆はじりじりと後ずさった。まるでサメの巨体を盾にするかのように、彼女は双頭ザメにぴったり寄り添っている。


「ただの人間ごときにサメが負けるかぁ!」


 真帆は無理矢理自分を奮い立たせるように、ハンマーを振り上げてドナルドに迫った。ドナルドは刀を横向きに構え、姿勢を低くして真帆を迎え撃つ構えを見せる。


「っ――!」


 すれ違った二人――崩れ落ちたのは、真帆であった。ドナルドの斬撃で右腕が切り裂かれ、ハンマーを取り落としてしまった。


「汚い化け物め……絶対に許さない!」


 一方の凪義は怒り猛々しくまなじり吊り上げ、双頭ザメに踏み込んだ。を見せられたことで、物凄い怒気を発している。

 サメはまたしても水色のガスを吐くが、同じ芸当がそう何度も通用するはずがない。呼吸を止めた状態でガスの中を突っ切った凪義が、縦にチェーンソーを振るう。触手を減らしたサメはうまく回避行動を取れず、苦し紛れに残る三本の触手を盾にした。その触手は、一振りであっさりと切り飛ばされてしまった。

 凪義は追撃の手を緩めなかった。振り向きざまに、チェーンソーを斜めに振るった。触手をなくした双頭ザメは、もう何もできない。左の頭に刃が食い込み、鼻先から縦に割られてしまった。勢いよく噴出した鮮血が、ホースの放水のように凪義の体を濡らしていく。

 とどめを刺そうとした凪義であったが、その手は止まってしまった。


「くっ……」


 先ほど吐いた催眠ガスが、目や鼻の粘膜から吸収されたのだろう。凪義のまぶたが、半分閉じてしまっていた。


「同じ手は……二度とっ!」


 凪義は腰のナイフを抜き、それを腕の甲側に突き立てた。流れ出す血と、骨身をえぐる激痛が凪義を襲う。しかしその激痛こそが、深淵へと落ちかけた凪義の意識をすくい上げる唯一のものであった。

 再びチェーンソーを構え直した凪義。その脇腹を、タコの触手が打った。いつの間にか、切り落とされた触手が再生していたのだ。驚異的な自己再生能力である。


「……厄介なやつだ」


 詰襟の脇の辺りが破け、そこから血が流れている。触手の一撃によるものだ。それでも、凪義はしっかりと二本足で立ち、チェーンソーを構えてサメと向かい合っている。

 

討鮫術とうこうじゅつその一……」


 地面を蹴り上げ、高らかに跳躍する凪義。彼を特徴づける長い黒髪が、まるでマントのように広がった。


大顎おおあご!」


 凪義がサメの背後に着地したとき、サメの右の頭はなくなっていた。大きな獣に食いちぎられたかのような傷跡が、何とも痛々しい。


「……うそ……うそうそうそ!」


 亡骸となったサメを見て、真帆が叫び出した。ほとんど狂ったような声色であったが、無理もない。頼りになるを失い、自身も手負いになっている。相手も消耗しているが、二対一の状況を作られてなお自身の勝利を夢想できるほど、真帆は楽観主義者でなかったのだろう。


「うそだ……うそだ……こんなの……せっかくってのに!」


 足元のハンマーを拾い上げた真帆であったが、今の彼女にはそれが精一杯であった。体力以上に、気力が摩耗してしまっていた。

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