第4話 ドナルドの真価

 うつ伏せに倒れたドナルドを、真帆は冷たいまなざしで見下ろしている。すぐに生死を確認しなかったのは、この少女の慎重さゆえであろう。サメ狩りはみんな驚異的ともいうべき身体能力を持っているから、後頭部をハンマーで殴られても生きているかも知れない。不用意に近づけば、思わぬ反撃をくらう可能性がある。


 ――私の計画は、完璧だ。


 真帆は、大きく深呼吸をした。

 双頭悪魔蛸眠鱶ダブルヘッド・デビル・オクトパスシャーク、それが、この奇妙なサメの名である。頭部が二つに分かれたネムリブカにタコの脚をくっつけたという、これまでにないタイプのサメだ。

 このサメはただ陸上を動き回れるというだけでなく、タコの触手を使い、壁や天井に貼り付くなど、スパイダーマンのような立体的な動きをすることができる。

 強みはそれだけではない。このサメは、吸いこんだ者を眠らせる催眠ガスを口から吐くことができる。この催眠ガス、効き目は非常に強烈であり、これを相手が吸い込んだ時点で勝利が確定する。真正面からやり合わずとも、眠ったところを始末すればよいのだから。

 この奇妙な双頭のサメと組んだ彼女は、サメ狩り隊に潜り込んだ上で、青梅支部の留守を守る隊士を全員殺害した。その後に偽りの救援要請を出し、大鮫魚メガロドンと戦った三人の隊士を葉栗鼠島から誘い出した。その内の一人、谷治深鯱が今ここにいないのは残念だったが、残る二人は見事罠にかかってくれた。

 

 鮫人間になる前の真帆は、何をやっても駄目だった。勉強も運動も、何もできない。しまいにはいじめに遭って不登校になり、自室に閉じこもりながら鬱屈とした日々を過ごしていた。


 そう、黒縁蓮と出会い、鮫人間になるまでは。


 真帆は自分をいじめた相手を皆殺しにした後、恩人である蓮のもとに馳せ参じた。彼女は体質ゆえか、なかなかサメ化が進まなかった。ただ、他の鮫人間のように本能のままに人間に食らいつくようにはならず、ある程度自我と知性を保ったおかげで、サメ狩りの隊士になりすますことができたのも事実だ。それを考えると、いささか皮肉めいた話である。


「あんたたちの仲間はここにいないわ。バカなサメ狩りは全員始末してやったもの。これで終わりよ!」


 これで、まず一人……真帆はハンマーを振り上げ、ダメ押しの一撃を食らわせようとした。


「不意打ちとは卑怯千万。かように醜き卑怯者はこのワタシが叩っ斬ってくれよう」


 ドスの効いた低い声を発しながら、ドナルドはむくりと立ち上がった。出会ったときの様子からは想像もつかない変貌ぶりに、真帆はぞくりと背を震わせた。


「な、何なのよ!」


 内心の恐怖を払うように、真帆はハンマーを横薙ぎに振るった。だが真帆の単調な攻撃は、あっさりとかわされてしまった。

 真帆は知らなかった。ドナルドの真の力は、頭部への打撃によって引き出されることに……

 ドナルドの鋭い居合斬りを、真帆は間一髪で回避した。鮫人間である真帆は、常人よりも身体能力に自信がある。だが、ドナルドの剣撃は素早い。真帆は回避に専念せざるを得ず、ろくに反撃もできない。

 元々、ドナルドは「本番に弱い」という致命的な欠点さえ除けば、優秀な剣道部員であった。そんなドナルドがサメ狩りの過酷な訓練を受けて戦士となったのだから、本気を出せば弱いはずがない。頭部への打撃というスイッチによって恐怖心を取り払われた彼は、まさに無双の剣士である。

 いよいよ、刃が真帆の細首に届かんとしていたそのとき、ドナルドの腹に、長くてぬめりを帯びたものが巻きついた。


「なっ、後ろから!」


 ドナルドに巻きついたのは、タコの触手であった。あのタコ脚をもつ双頭のサメが、背後から奇襲を仕掛けてきたのだ。

 タコの触手はドナルドの両腕を束ねるように巻きつき、この剣士の体を拘束してしまった。ドナルドは腕を開いて拘束を脱しようとするも、触手の力は強く、なかなか剥がれてくれない。

 

「ふぅ~……ヒヤヒヤさせてくれたわ。それじゃあ、今度はこっちの番!」


 拘束されて動けないドナルドに、真帆が近づいてくる。そして手始めとばかりに、思いきり腹を蹴った。ドナルドは「グエッ」という、潰れたカエルのような声を漏らした。


「よくも邪魔してくれたわね! すぐには死なせないわ!」


 真帆は先刻の作り笑いを、すっかり捨てていた。彼女は自らのいら立ちをハンマーに乗せ、ドナルドの胸に追い打ちを加えた。「グッ!」という声とともに、ドナルドの口から赤い液体が垂れる。

 ドナルドは助けを求めるように、背後を振り向いた。怖いけれども頼れる仲間、凪義はどうしているのか……それを知りたかった。

 このとき、凪義は建物の玄関先で、うつ伏せに倒れていた。水色のガスを浴びた彼は、眠気に打ち負かされていたのだった――

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