再会の約束
内海悠希
再会の約束
からんからん、と金属と金属が交じり合う音が、葵のいる室内に響いた。ザーザーという雨音が、先程よりも大きく聞こえる。その音とともに入ってきたのは、茶色のコートに白いニット、黒いスキニーを履いている一見普通の男だったが、よく見てみると、全身ずぶ濡れだった。いい服を着ているから、きっとある程度お金持ちな人なのだろう。深く帽子をかぶっているため、葵から顔は見えない。そんな風に葵がまじまじと男を見つめていると、男は、コートを脱いで、それを畳みながら話しかけてきた。
「すみません、今って、まだやっていらっしゃいますか?」
「あぁ、はい。まだ閉店時間ではないので。それにしても、こんな遅い時間に来店とは、いったいどのような御用件で? それと、つかぬことをお聞きしますが、どうしてそんなに濡れていらっしゃるのですか?」
男はどうやらコートを畳み終わったらしく、こちらを向いてから言った。
「ははは、ちょっと、天気予報も見ずに家を飛び出してきたもので……。すみません。私は、ただ、貴方に会いに来たのです。あ、その、変な意味とかではなく……。……やっぱり、何か買った方がいいですかね。それならーー」
少し慌てた様子で、店内を見回す男。
「あっ、いえ、結構ですよ。お客様の相談に乗って解決するのが、便利屋の店長である私の仕事なので」
葵がそう答えると、男はホッとしたような素振りを見せた。
「そう……ですか。それなら、良かったです」
「さぁ、そこの椅子にお腰掛けください。粗末な椅子ですが」
「粗末だなんて、そんな。わざわざ椅子までありがとうございます。それでは、お言葉に甘えて」
男が、葵が用意した椅子に腰掛ける。
「いえいえ。……それじゃあ、お茶でも入れてきますね。ダージリンで宜しいですか?」
「はい、大丈夫です。でも、そんなに気を使われなくても大丈夫なのに……」
「これは、私が勝手にやっていることなので、どうかお気遣いなく」
「そうですか……」
葵はその言葉を聞いてから、簡素なキッチンに向かい、紅茶を入れる準備を始める。それにしても、あの男は一体どんな人なのだろうか。身なりの割に、随分小心者だな、というのが、葵の男に対する印象だ。いや、能ある鷹は爪を隠す、と言うぐらいだから、この男が隠しているだけなのかもしれないが。それに、この男を見ていると、不思議と昔に戻ったような気分になる。一体どうして……。そこまで考えたところで、ポットからピピピッ、という音が鳴った。葵は慌てて、紅茶を入れ始める。ちょっと経って紅茶を入れ終わると、二人分の紅茶のカップとソーサーをお盆の上に乗せて、男の方へ戻る。
「遅くなってしまってすみません。こちら、どうぞ」
葵はそう言ってから、男の前にソーサーを置き、上から紅茶の入ったカップをのせた。それから、自分のところにも同じように置く。そうしていると、男が突然話しかけて来た。
「……いつも、このようにしているのですか?」
「……??」
葵は質問の意図が分からず、少し黙ってしまう。
「あぁ、変なことを聞いてしまってすみません。どうかお気になさらないでください」
そう言う男を見ていると何だか可哀想に思えてきて、葵はさっきの質問に答えた。
「……はい。そうですね。いつもこのようにしています」
すると、男はふっ、と僅かな笑みをこぼした。
「そうなのですね。凄く良い店だと思います。あ、私なんかにそんなこと言われても嬉しくないですよね、すみません」
「そんな。ありがとうございます」
そこまで言ったところで、葵は席に座る。
「いきなり本題に入らさせてもらってすみませんが、今日私に話したいことって、何ですか?」
葵がそう話を切り出すと、男はこちらをまっすぐに向いた。それから、あ、と呟いて、深くかぶっていた帽子を外す。
「すみませんでした……。いつもかぶっているものですから、忘れていて……」
「………」
「……?? どうかされましたか?」
「……あっ、いえ、その、……あまりにお綺麗なお顔でしたので……」
葵のその言葉は、決してお世辞ではなかった。すらっとした顎に色白な肌、鼻は高く目は綺麗な二重で、睫毛も長い。まるで、この世に存在しないもののようなぐらいの綺麗な顔立ちだった。
「……! ふふっ、ありがとうございます。そんなこと言ってくれたのは、貴方が初めてです」
「そうなんですか?? 意外です。もっと色んな人に言われてそうなのに」
「そんな事ないですよ」
それから、男はしばしためらったような素振りを見せてから、口を開いた。
「……やっぱり、やめにします」
「何がですか?」
葵がそう聞くと、男は目を少し伏せながら、こう言った。
「……実は、私は貴方を殺すために来たのです」
「……それは、本当ですか」
不思議と、そんなことを言われてもあまり驚かない。もう既に、人間とは思えぬ綺麗な顔立ちを見たからだろう。
「……はい。……っでも! いい人を殺さないためにって、今私は、友人に特別に作ってもらったある仮面をつけています」
「特別な……仮面?」
随分突拍子もないことだが、適当なことを言っているようにはとても思えない。
「……心の汚い人間には、私の顔は醜く見えるのです。今まで私が仕事で出会った人々は、全員醜く見えると言って来ました。……でも、あなたはそうは言わなかった」
「……それじゃあ、今のあなたは?」
「本当の姿です」
「……そう……ですか」
もしやこの美しい姿は仮面によって見せられているものなのではないかと思ったが、どうやら違ったようだ。
「ええ。……だから、私は貴方を殺したくない。仕事を始めてから初めて、私の本当の顔を見てくれた方なので……」
「……えーと……、取り敢えず、今夜はうちに泊まって行ったらどうですか??」
葵は、自分が発言した言葉に、自分で驚く。
「……貴方を殺しに来た奴を、わざわざ泊めるのですか」
驚いたのは、男も同じようだ。
「……いや、泊まるところがあるなら全然そちらで良いのですが……。悩んでる時は、休むのが一番って、昔からそう教えられて育ってきたもので……。迷惑ですよね、すみません」
葵は、自分で言っときながら、恥ずかしくなって来た。
「……いえ。迷惑ではないです。ありがとうございます。……でも、私は戻らなければなりません。……なので、今日は遠慮させていただきます」
男は、もう一度こちらを向いて、そう答えた。
「そうですか。……それで、結局私は……」
葵の一番気にかかっていたことだ。
「あぁ、変なことを話してしまってすみません。さっきも話した通り、やめることにします」
「でも、何か罰を与えられたりとかは……」
「それも、多分大丈夫です。……もう、仕事は辞めるので」
「えっ?!! どうして!」
「どうしてって……。人を殺す仕事は、ダメでしょう? それに、こんなことをしていても、全く楽しくない。仮面をつけるのもやめます」
男は、苦笑しながら言った。
「まぁ、そうですけど……。あと、仮面を取るのはちょっとよろしくないかもしれません……」
「どうして?」
心底わからない、と言うような風に聞いてくる。自分だけ色々と考えてしまっていると分かって、また恥ずかしくなる。
「……いや、顔が綺麗だから、色々大変なこともあると思いますし」
「そう……ですか。……それじゃあ、仮面を取るのはやっぱりやめます。…あの、ありがとうございました。もうそろそろ帰ろうと思います」
男はそう言って、席を立ち上がった。慌てて葵も席を立つ。
「あっ、すみません、急に」
「いえいえ、全然大丈夫です」
本当に、いい人なのだろうな、と葵は思う。……なのに、どうしてあんな危険な仕事をやっているのだろうか。そう考えているうちに、男はもうコートを着て帽子を被り、扉の前に立っていた。
「それじゃあ」
「ありがとうございました」
葵は、そう言いながら男に向かって頭を下げる。
「……あの…また、来ます! ……今度は、普通に」
男は、振り返って葵にそう話しかけて来た。
「えぇ、待ってます」
葵が顔を上げて笑顔でそう答えると、男は安心したような笑顔を見せ、扉を開けた。
また、からんからん、という音が室内に響く。雨は、もうすっかりやんでいた。そういえば、名前を聞いていなかった。聞いておけば良かった、と葵は思う。……いや、また来ると言ってくれたのだ。…彼のことだ。きっとまた来てくれるに違いない。不思議なことは、またその時に聞けばいい。葵は、くすりと笑みが溢れた。
再会の約束 内海悠希 @utsumi7110
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