『嘘を守る男』

N(えぬ)

彼はそれを守り続けて……

「この森に来るようになって。ついには住むようになってしまったね」


 地元の巡査、石川がバイクを止めて降り、彼に汗を拭きながら寄ってきて笑いかけた。巡査は40代半ばの男性で、やや腹が出ているが固太りの気味で体はがっしりして見えた。顔を合わせたときはいつも笑顔の印象だが、ときに見せる厳しい顔つきは彼が警官であり職務のために表情を使い分けているのを感じさせた。栗山洋一郎が巡査のそういう仕草について感じ取ったのは、知り合ってしばらくしてからのことだった。


「こんにちは石川さん。そうですね、来るようになって4年目です。とうとう引っ越して来てしまいました」


 洋一郎へ返事をしながら不謹慎にならない程度に微笑んで見せた。


「4年経つんだねえ……我々もずいぶん手を尽くして探して来たんだけれど……」


 巡査は自らの仕事の残念さに表情を曇らせ、合わせて栗山に気遣うような調子を声に含めていた。


「僕は時間のある限り、ここに居たいと思います」


「うむ……。何かあったら、また知らせるからね。それじゃ」巡査は栗山に軽く敬礼した。それは巡査が栗山を、なにか、正義感という道義的なことよりも、捜し出さなければならないという自分と同じく業務として人捜しをしている者と認識しているらしいことを感じさせた。


「はい、おねがいします。また」

 道ばたの二人の別れに、やはり笑顔はない。これから先の互いの労をねぎらうような緊張感が漂うのだった。



 4年前のこと、この森に一人で来た川内有紀(26才女性、会社員)が消息を絶った。女性は山歩きは慣れていて、休みの日にはよく方々の軽い山歩きのコースを巡っている人だった。この山も、山歩きに慣れた人なら、楽にコース踏破が出来る、そう難しい場所では無かった。


 けれど、やはりそこは大いなる自然の中。いったん道に迷いでもして深みにはまると、命取りになりかねないことは確かだった。家族に伝えていた帰宅時間を大きく過ぎても帰って来なかったのと、彼女への携帯電話での連絡が不通になっていたため、家族から娘が下山して来ない様だという連絡が警察に伝えられた。


 捜索はすぐにも開始され、翌朝から大々的に人員が投入された。「本当にこの山に入ったのか」という確証も無かった。しかし女性本人が家族にここへ行くと言い残していたことを手がかりとして、この森での遭難と言うことで対応された。捜索は数日続けられたが、遺留品一つ見つからず、目撃情報も何も無く、唯一の情報が行方不明者本人の、ここに行くということばだけだったため、行方不明者の捜索としてはかなり早めに打ち切られた。


 栗山洋一郎は、彼もまた、山歩きを趣味としてやっている慣れた人間だった。川内有紀の恋人で4年前の遭難時にすぐにここへ駆けつけ、当初は泊まりがけで捜索隊に加わっていた。大がかりな捜索が終了して彼もいったん撤収したが、それから足繁く通って来て、一人、彼女を求めて山を森を彷徨うように歩き回った。

 2ヶ月ほど後には、この森からそう遠くないところにアパートを借り、週末などはそこを拠点に泊まり込んで川内有紀を捜した。

 彼は住むうちに町の人とも親しくなり。町役場の人間とも顔なじみになった。当初の、常に青白い引きつった顔が時間とともにほぐれていった。いつしか「消息の消えた恋人を捜して歩く」だけに訪れていたのが、町のイベントに参加したり、地元の居酒屋の常連にもなった。すっかり町に溶け込んでしまった。町の人々も、彼に感じていた悲壮な感覚が徐々に失われ、彼を温かい目で見ていた。


「ずっと、恋人を捜して森を歩き続けるなんて……可愛そうね」


 町の人々にとっては、それしか言いようが無かった。不憫でならない。彼自身も常に自分がそう言う目で見られていることを分かっていただろう。そう思うと。思えば思うほど。彼が明るく振るまい、町に溶け込もうとするのを特別なものとして周囲は受け止めていた。


 山は、覆う木々が人に恩恵を与えるだけで無く、山の中に住む動物たちも育てている。日々降り注ぐ太陽の光や吹く風、注ぐ雨は森の新陳代謝に深く関わり、状況を変化させていく。

「山の中だから、4年も経てば自然の風化はもとより多くの動物、生き物の歯牙にさらされ、いつかはきれいさっぱり消失するだろう……もう探してもな」目的地を見失った旅人のような栗山の行動を心重く見ている町の人もいた。


 彼女の遭難には大きな疑問もあった。「それにしても、山歩きの装備で入っただろうに、それさえ見つからないというのはナァ」 そういうことだった。彼女が家族に告げた行き先のことば以外、この森に入ったのも出たのも、誰も見ていない、手がかりなしだった。



 栗山は毎週末、特別何か用事が無い限りは、必ずこの森を歩いていた。それは修行僧の様でさえあった。黙々と一人歩いている姿はいつも他の住民に目撃されていた。

 彼女が消息を絶った夏の季節。よく晴れた日には爽やかな森の空気を感じながら彼女は歩いただろう。彼もそれを同じように感じて、彼女の辿った道程をなぞるつもりで歩く。木々の木の葉の間から見上げる青い空、白い雲、輝く太陽。彼女もこの景色を見ただろう。麓へと続く小さな水の流れ。彼女はここでこの水を飲み喉を潤しただろう。



 不意に状況を一変させる連絡が入った。

「昼前、山に一人で入った若い女性が男に襲われ暴行を受けた」という。それは、巡査から栗山への気遣いの一方だった。

 逃げ出した女性は通りすがった人に助けを求め、その後警察に犯人は40歳前後くらいの男で、軽い普段着と思われる服装で合ったと伝えた。犯人は山から出たという情報は無く、そのまま山に居残り、森を逆に抜けて逃走を図った可能性が高かった。そのため、警察はできる限りの人を当てて、日ぐれて何も見えなくなる前に山狩りを強行した。

 2時間ほど過ぎた頃、遠くの方で「いたぞー!」という声が響き、警官それぞれに無線が届いた。男はやはり、森を抜けて山の反対側を目指しているようだった。

「男はこの山に詳しいのかもしれない、見失って逃げられるんじゃ無いぞ」捜索隊の指揮官は無線で檄を飛ばした。

 それから尚1時間以上が経過しとき、また無線が響いた。犯人らしい男を発見したという。しかし、その男は絶壁から10数メートルしたの川近に転落し、石に頭を強く打ちつけて死亡していた。

 犯人の死は現場検証が行われた。崖の上と下とで警官が別れて見ていた。

「男は、捜索隊に追われて逃げ惑い、崖の縁に直面して落ちた、と。そういうことだろうね」

 捜査のリーダー格の男は、犯人が転落した岩場のそばから崖を見上げ、男が落ちたらしい地点を指さしながら言った。

「はい。落ちた理由は……確かめようがありませんが」一人の部下が少し声を落として返答した。

「いや、そうでもないだろう?逃げ場を失い、一か八かで崖を降りようとしたなら痕跡があるだろう。崖に気づかずに落ちたなら、ためらいなく飛んじまってるだろうから、それくらいの違いはわかるんじゃ無いか……。追い込まれて、覚悟の身投げという線もある」

「そうですね」そういうと部下は崖上に向かって、「おい。男がそこから降りようとした痕跡が無いか、よく見てみろ!」と叫んだ。崖上にいた刑事らは声は聞こえなかったが口をハイと動かし頷いて、恐る恐る崖っぷちに腰をかがめて見入った。


 崖から転落死した男は、直前に起きた女性の暴行犯とわかった。身元もわかった。犯罪歴には、二度の性的犯罪の記録があった。けれど、今回は何も語ること無く死亡してしまった。彼が4年前の川内有紀の事件に関わっているかは、その後の捜査でも何もわからずじまいだった。これでさらに『川内有紀失踪事件』は謎が深まったとも言えた。もしかしたら関係していたかもしれない男から、一切何も聞けずに死なれてしまった。安堵することもできない。


「転落した男は川内有紀さんのことと関係があったのかさえわからないからね。君も気持ちの納まり悪いだろうね」巡査は、栗山に話せる範囲の情報を詳細に話してくれた上で、申し訳なさそうな顔を栗山に見せた。

「お気遣いありがとうございます。だいじょうぶです。むしろさっぱりした気分です。逃げられて消えてしまわなくてよかった。……僕は、これまでと同じようにする。それだけです」栗山は自分を納得させるように言うと巡査に小さく会釈した。巡査も呼応して会釈し、「それじゃ」といつものように軽く敬礼し、バイクで走り去った。



「もう4年でしょ。違う人生もあると思うが……」

 地元の居酒屋の年かさの常連にそう言われたこともあった。栗山の親もきっとそんな思いかも知れない。それでも彼にはここを離れられない思いがあった。


 森を歩き続け山の奥の少し切り立った小さな崖から僅かにだがよい景色の見える、彼だけが知るだろう場所がある。4年前はもう少し木々の背が低くもっとよく遠くが見えた。

「かつて二人で見つけた場所。彼女はここに来て、この景色を見た……僕との別れの気を晴らすのには、一人森を歩きここまで来てこの景色を見ればきっと、何もかもスッキリしたのだろう……僕は君を離せなかった。君の唐突な別れのことばを受け入れられなかった僕は後を追って来た。僕はここで君を、大好きな君を……。僕はこの森で君と生きるよ。僕は守るよ、守り続ける。君を埋めたこの森を」




おわり






書かれていないこと


栗山洋一郎は、川内有紀さんと恋人同士だったと言っているが、そのことについて警察が裏づけを取ったことはない。川内有紀の両親も栗山について全く見ず知らずである。


栗山は川内有紀さん殺害を『男』に見られていた。そして強請られていた。

『男』はクセの悪い男で、川内さん殺害の森で、自分も女性暴行事件を起こし逃走していたが、それを聞いた栗山から携帯電話に「逃げるのを手伝ってやる」と連絡を受け、崖に連れ出されて突き落として殺された。




月日が経ち、約10年後の栗山洋一郎の病死後に彼の親が警察に提出した栗山洋一郎の日記からわかった事実について。

栗山の日記には、一連の事件の経過が細かく記されており、犯人しか知り得ない秘密の暴露も多数あった。これにより、警察は栗山洋一郎を犯人と断定した。


「警部。長年に渡って未解決だった別々の事件が全て一人の人間の仕業だったとは驚きですね」

「ふんん。栗山洋一郎は、自分の頭の中の世界で川内有紀と恋人になり、結婚の約束をして、けれどそれが破れて現実の川内有紀を実力行使で死なせてしまった。その後も、自分の想像上の愛の世界を維持して生きていたが、現実世界でそこに干渉してくる人間が現れるたび、排除していった。栗山を強請った男。……栗山という人間の存在を川内有紀の両親に親切心で教えた巡査と、それを聞いた川内有紀の両親を、自分が事件に関与している不都合な事実と認識されるのを恐れての殺害。足かけ7年に渡って合計5人か」

「洋一郎は入院中の病院では、両親が長年信仰していて洋一郎に勧めても拒絶していた宗教に、死ぬ間際に入信して、魂を救われて死んでいったそうですよ」

「自分だけ救われたか。生きているうちに帰依して、真実を語って罪を償うべきだったな」

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